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過去の目撃者 ―The Watchers of Yesterday―  作者: 柴犬ちゃすけ


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第一章 光の追跡者

 五年後。茨城県日立市、川尻港のほど近く。海を望む断崖絶壁の上に建つ平屋の建物には、『小林探偵事務所』という、どこか場違いな看板が掲げられていた。

 所長の小林秀(こばやし しゅう 通称シュウ)二十三歳は、型遅れのモバイルノートPCを前に、椅子に深く腰掛けていた。

 シュウの亡き父が遺してくれた宇宙・空・海を自在に駆ける万能船「Grand Father号(通称GF号)」。それを維持するためだけに、彼はこの寂れた場所で探偵を営んでいた。この稼業を始めて三か月経つが、仕事は一件も入ってきていない。

「シュウ、また海に行っていたのか?足元が濡れているぞ」

 地下の停船場から汚れきったツナギを揺らしてエレベーターで上がってきたのは、かつて宇宙物理学の常識を塗り替えた『ワープ航法』の先駆者の一人、大島大介だ。今のシュウからは『オヤジ』と呼ばれる相棒だった。オヤジは秋元が開発しているブラックホール望遠鏡を、GF号に搭載するために心血を注いでいた。

「仕事来ないな、オヤジ。このままだと俺たちのGF号は、ただの宇宙旅行船で終わるぞ」

 シュウは窓の外の太平洋を睨んだ。GF号は、既にオヤジによってワープ航法が可能なように改造されている。そして秋元が開発した望遠鏡まで搭載し、世界にたった一台のワープ航法可能な超高性能 観測型宇宙船になっていた。

 そこへ、もう一人の仲間が賑やかに加わる。山縣奈美(やまがた なみ 通称ナミ)。身長百八十センチを超える、まるで異国の女戦士のような迫力を持つ十八歳の少女だ。彼女は世界三十八ヶ国語を操り、さらには遠く離れた者の口の動きを読み取る「読唇術」の達人でもあった。

 ナミの母親は先天的に喋れないらしい。しかしそのハンデをものともせず、世界各国の言葉を理解出来る能力を会得した。

 ナミは子供の頃から母親の持つその知識を、伝授され続けたという。ナミの読唇術は、声は出なくても口の動きが完璧な母親を見続けて、身に付いたものらしい。

 高校を出てすぐ、この事務所に来て「雇ってくれ」と言い出した。なぜここで働きたいのか?どこからここのことを知ったのか?と尋ねた時の回答は、「母親からここを薦められた」という話だ。しかしシュウはナミの母親とは面識がない。


 三人が揃い、時間を持て余しているところへ、突然ノックの音が響いた。

 扉を開けると、そこには『光を失った目』をした女、野上翔子(のがみ しょうこ 二十七歳)が立っていた。

「こんにちは、野上と申します。私の夫 直人なおとは殺されました。警察は事故だと言いますが……私は違うと確信しています。ここなら真実を教えてくれると聞きました」

 彼女の言葉が、シュウたちを時間の外側、光の届く限界へと引きずり出す合図だった。彼女の兄は警察の関係者で、世界に三人の、偉大な科学者の一人である大島の現在の活動内容を把握していたとのことだ。

 シュウは、翔子から詳しい日時と場所、そして天気を確認した。

「十日前、東京都中央区八丁堀のマンション……。夫はそこから落ちました」

 翔子の涙ながらに震える声を聞きながら、ナミが静かに立ち上がりハンカチを差し伸べる。彼女の長躯が、事務所に影を落とした。

 シュウは手元の型遅れのPCを叩き、該当する八丁堀のマンションの立体図面を画面に呼び出した。

「…なるほど。玄関側の共用廊下は、中庭を囲む完全な吹き抜け構造になっているな。天気は晴れ。これなら上空へ光が抜ける」

 シュウは独り言のように呟き、続けてオヤジに対して声をかけた。

「オヤジ、いけるぞ。十日前の『光』を捕まえに行く」

 オヤジは無精髭を擦りながら、自らの端末に座標を打ち込み始めた。

「待て、単に十光日離れた場所へ飛べばいいって話じゃない。十日前の深夜二時、地球の自転と公転位置から逆算すると、あの吹き抜けから逃げた光は、白鳥座の方角へ向けて一直線に飛んでいる。その極小の軌道上に寸分違わず先回りし、待ち伏せする必要がある」  オヤジの目が、かつての科学者のそれに変わった。オヤジはゆっくりと立ち上がり、先に停船場へ向けて歩き出した。

 翔子が落ち着くのを待って、三人はオヤジの待つ地下の停船場へと降り、父の形見GF号に乗り込んだ。

「シュウ、座標は特定した。八丁堀のマンション、八〇五号室。時刻は深夜二時。ハッチを閉めろ。加速に備えろよ」

 オヤジが操縦桿を握る。

 かつて地球政府を震撼させ、彼らが喉から手が出るほど欲しがった『BHカノン』が空間を歪ませ始めた。もちろん、オヤジ以外の他の者たちは、決して操作することはできないという。

「光は嘘をつかないが、光は逃げる。十日前に起きた事件の証拠は、今この瞬間も秒速三十万キロで宇宙の彼方へ逃走中だ」

 オヤジはモニターの座標を固定した。

「追いつくには、空間を跳躍ワープして先回りするしかない。我々は、これから『過去の光』を待ち伏せするのだ」

 視界が反転し、世界が引き絞られるような暴力的な圧迫感が襲う。息絶え絶えに目を開けたシュウたちの前に広がっていたのは、永遠に続くかのような漆黒の宇宙だった。地球から十光日離れたこの絶対零度の宙域には、「十日前の地球」が発した光しか届いていない。

「集光、開始」

 オヤジの研究仲間だった秋元が開発したBH望遠鏡が、重力レンズ効果で光を極限まで集束・増幅する。地球の大気による乱反射やチリのノイズも、『量子補完』が完全に逆算し、除去していく。漆黒の虚空から極小の光子を拾い集め、モニターには十日前の映像が鮮明に映し出された。

 モニターに映し出されたのは、十日前の八丁堀、あの夜のマンションだ。拡大された映像の中、翔子の夫、直人がエレベーターから降りてくる。そして、その後ろから忍び寄る影――。

「あいつは誰だ……」

 シュウが呟く。

「隣の大森さんです。…そんな」

 翔子の嗚咽が、船内に響く。映像の中の大森は、後ろから静かに忍び寄り、直人を突き落とした後、暗い下方を覗き込むこともなく、ただ自身の両手を見つめていた。その唇が、微かに動く。

「ナミ、あいつは何て言ってる?」

 シュウの問いに、オヤジは解像度を限界まで上げ、大森の顔をアップにした。ナミはモニターに顔を近づけ、無機質な声で紡いだ。

「『神の許しが出た』だって。さらに『条件はすべて満たされた。帰りが遅いこと、妻が寝ていること、そして千鳥足であること。妨げがなくなった今、これは神の意思だ』って」

「狂ってやがる…。勝手な条件を並べて正当化しやがったのか」

 シュウは吐き捨てるように言い、コンソールを叩いた。

「オヤジ、映像の抽出を頼む。警察に送りつける。言い逃れできないほど鮮明な『十日前の光』をな」

「了解だ。任せておけ」

 数日後、大森亘(おおもり わたる 三十歳)は逮捕された。警察の取り調べに対し、当初は大森も否認を続けていたという。だが、シュウたちが提供した「あり得ないアングルから撮影された極秘映像」を突きつけられた瞬間、彼は顔面を蒼白にし、自らの妄想に満ちた動機を自白した。発端は、三十で彼女がいない大森が、隣の楽しそうな笑い声を無性に腹立たしく感じたことだった。自分勝手に条件を設けて、それらが全てクリアになったとき、神から許しが降りたサインだと認定し、実行しようと決めていたらしい。

 事務所の窓から海を見下ろし、別れ際に聞いた

「ありがとうございます。これで前に進めます」

 という翔子の言葉を思い出しながら、シュウは冷めたコーヒーを煽った。過去の光は嘘をつかない。だが、それが照らし出す人間の闇は、果てしなく深い。

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