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過去の目撃者 ―The Watchers of Yesterday―  作者: 柴犬ちゃすけ


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プロローグ 揺りかごの終焉

 近未来の大晦日。東京、世田谷区の端。最寄り駅の改札を抜け、雑踏の残響を背に、二十分ほど歩いた場所に、その「宇宙」はあった。世田谷工業大学理学部「宇宙物理学研究室」。再開発の波から取り残された場所にある十号館(別名 研究棟)一階は、真冬の寒さと湿ったコンクリートの匂いに支配されていた。

 多くの研究室がひしめくその最奥、古い電子機器が発する独特のオゾンの匂いが混ざり合う空間。そこに、人類を星々の彼方、あるいは時間の深淵へと送り出す『ワープ航法』の揺りかごがあった。ここで、三人の男たちは除夜の鐘を聞こうとしていた。

「今年もここで、除夜の鐘を聞くことになったな」

 研究員の江部明憲えべ あきのりは、硬い二人掛けのソファーに体を沈め、独り言のように呟いた。その腹の上では、布団のように掛けられている最新号の物理学雑誌が呼吸に合わせて上下している。二十年以上。この狭い研究室で、ワープという名の夢を追い続けてきた。普段とは違い、さすがに大晦日の夜では、静寂だけが新年の訪れを待っている。

 この研究室の一角に、パーティションで仕切られた会議卓が設けられている。江部は、そこに置かれた二人掛けソファーを占有していた。小柄だが引き締まった筋肉質の体躯は、かつてサッカー部時代の名残を感じさせたが、二十年以上という歳月は、彼の横顔に微かな影を落としている。

「何回目だろうな。うちら三人だけでこの鐘を聞くのは」

 パイプ椅子に腰掛けた秋元哲志あきもと さとしが、力なく応じた。彼は自動販売機の『モカブレンド』をすすっている。砂糖とミルクを最大まで増量したその一杯は、冷え切った研究室での唯一の慰めだった。秋元は江部よりさらに小柄で、頭髪はすでに薄く、遠近両用の眼鏡越しに見える瞳は、六十歳を過ぎているように見えるほど老けていた。だが、彼ら三人は同期入学で、もうすぐ全員四十五歳になろうとしていた。

「この研究そのものが、始めたら抜け出せなくなるブラックホールに思えて来たよ」

 三人目の男、大島大介おおしま だいすけは、パイプ椅子に巨体を預け、テレビの格闘技番組に目を輝かせていた。その名の通り『大』の文字を二つ持つ彼は、江部たちより二十センチ以上背が高く、その端正な顔立ちと鋭い目つきは、おしゃれな服装で着飾れば、モデルと勘違いされそうにも思えるが、本人には全くそんな自意識はなかった。


 彼らが追っているのは、物理学の聖杯――『ワープ航法』による瞬間移動の制御だ。その起源は二十四年前、スイスのCERN(欧州原子核研究機構)で行われた大型ハドロン衝突型加速器(LHC)による実験に遡る。実験によって生成された人工ブラックホールは、物理学者たちの予想を超えた挙動を見せた。空間が陽炎のように歪み、対となる「出口」――ホワイトホール――が、そのそばに出現したのだ。

 当時、大学四年生だった彼らは、そのニュース映像を研究室のテレビで見ていた。ピンポン玉を「入口」へ投げ込むと、そばにある「出口」から飛び出してくるという魔法のような光景。まだ、研究テーマが決まっていなかった三人は、即座にこれを研究のテーマにした。

 そして地球連邦政府――通称『地球政府』は即座にこれを『ワープ航法』と定義し、出口の発生位置を制御できた者に莫大な懸賞金と栄誉を与えると布告した。

「入口は対象物を使うから発生場所を特定できる。だが、出口は確率の海に消える。これを制御できなきゃ、ただのブラックホール爆弾だ」

 三人の中では、リーダー的な存在だった江部がホワイトボードに数式を叩きつけるように書き殴り、新たに発見した情報を共有し始めた。二人はところどころ頷いたり、質問をしながら、話を聞いていた。彼らが二十代の全てを費やして開発したのは、陽子ビーム砲を用いた小型の人工ブラックホール発生装置。ブラックホールはワームホール(時空のトンネル)をこじ開け、安定させるための重力アンカーとして使われる。しかし、出口を望みの座標に固定する理論の壁に、彼らはそこから十数年以上も阻まれ続けてきた。

「来年はきっと三者三様の正月を迎えるさ。見てくれ。これが解決策だ」

 江部が二人を案内したのは、装置の心臓部だった。そこには今までなかった方位磁石のような円盤と、精密な座標入力インターフェースが取り付けられている。

「出口ポイント設定装置。座標(x, y, z)を、センチメートルの誤差で指定できる。重力勾配を逆算して出口を固定する。小規模な実験には成功した」

 江部は鉄の塊とゴルフボールを使った実験を披露した。座標を隣の部屋に指定して陽子ビームを鉄の塊に撃ち、空間に「入口」を発生させる。ゴルフボールを投げ入れると、見事に空間を跳躍し、隣の部屋からバウンドする音が鳴り響いた。続いて逆位相の重力波を持つ第二のブラックホールをぶつけ、量子的に蒸発を促す。すると空間の歪みを完全に消滅させたのだ。秋元と大島は、呆気に取られていた。

「いつの間にここまで…」

 二人は出口を完全に制御可能にした実演を目の当たりにした。これによって、生成、瞬間移動、消滅も自由自在だ。今ここに、人類の歴史における大きな一歩を踏み出した瞬間だった。

「対となるものは片方を失えば、もう片方も消滅する。二発目の射出で入口を相殺すれば、後に残る歪みも消える。理論は完成した」

 しかし、歓喜の時間は短かった。江部は真剣な眼差しで二人を見据えた。

「問題は、人間だ」

 江部の言葉の意味はすぐに理解でき、秋元は目を大きく見開いた。

「無謀だ。空間の歪み幅は質量に比例しない。人間を通すには、もっと巨大なエネルギーが必要だ」

「計算は済んでいる。三トンの高密度な質量を消費することで、人間が通れるサイズの時空の歪みを発生できる」

「三トンの塊…? そんなものどこにあるんだ」

 秋元は、必死で止めようとしたが、そんな秋元をあざ笑うかのように、江部は大島を見た。

「大ちゃん、元自動車部だったよね。ガレージには、スクラップ寸前のポンコツ車がいつも何台か転がっていて、処分に困っているって話だったよね」

 江部の狂気じみた提案。最低でも三トン以上ある鉄の塊——廃車——を使って巨大な入口を発生させ、自らが台車ごと吸い込まれてみるというのだ。当時の水陸空万能車は、その多機能さゆえに重量三トンを超えるものが珍しくなかった。

「下手したら死ぬんだぞ。さらに制御に失敗すると日本滅ぶぞ。いや、そのまま成長して地球まで飲み込むかもしれないぞ」

 秋元は必死に止めたが、江部の決意は固かった。

「今の結果を信じて、もうやるしかないな」

 大島が江部の背中を押したことで、彼らの運命は決まった。


 大晦日の深夜、除夜の鐘は鳴り終わり、既に年は明けていた。初日の出まで待つことなく彼らは動いた。多摩川の河川敷。一キロメートルの距離を空けて、二台の廃車が並べられた。秋元が無理してローンで買った水陸空万能車でけん引して運んだのだった。冬の星空の下、オリオン座が冷たく輝いている。江部は陽子ビーム砲を載せた台車のシートに深く腰掛けた。

「つまらない人生だったなあ。でも、もし失敗して地球が消滅したら、俺を裁く世界は消えている。なら気にする必要はないな…よし、始めるか」

 彼は恐怖を紛らわすように、装置に「ブラックホールカノン」(通称BHカノン)と名付け、一人二役でカウントダウンを始めた。

「準備完了です。よし、この一射に全てを賭けろ。了解です。BHカノン、発射三秒前、二秒前、一秒前、発射します」

 引き金を引くと、静寂を切り裂くように陽子ビームが放たれた。

 一台目の車が飴細工のように捻じ曲がり、暗黒の点へと吸い込まれていく。出口は一キロ先にある二台目の車のそばに発生させた。江部は、目を瞑りながら、台車ごと空間のゆがみに飛び込み消えていった。

「うおぉぉぉーっ‼」

 玉堤通りから二台が見える場所で双眼鏡を覗いていた秋元と大島は、息を呑んだ。

「きたー、どうなんだ?」

 轟音とともに、二台目の車のそばの空間が弾け、江部を乗せた台車が勢いよく吐き出された。ワープは成功した。しかし、激しい衝撃で江部は台車から吹き飛ばされ、起き上がれずに倒れていた。さらに、出口の発生場所が、二発目の媒体予定だった車と近過ぎたため、車も弾き飛んでしまい、BHカノンとの距離がかなり離れてしまった。

「出口から吹き飛ばされたみたいだ。でも大丈夫、動いているぞ」

 大島は慌てて走り出した。秋元は万が一に備えて、すぐにでも病院に運べるよう、愛車で江部の元に向かった。二人が駆け寄ると、江部は必死に叫んだ。

「二台目の車まで離れてしまった。この距離だとBHカノンが届かない。秋元の車を使おう」

 まだ買ったばかりで、ローンが大量に残っている秋元の車だが、時間と共に成長を続けるブラックホールを相殺し、地球を救うためには、もはや他に道は残されていなかった。

 大島は急いで台車を起き上がらせ、シートに座った。そして先ほど研究室で江部から教わった方法を思い出した。震える手でBHカノンのコンソールを叩き、設定を『逆位相』へと切り替えた。秋元の新車を媒体にして生成された対消滅用のブラックホールが放たれ激しい閃光と空間の軋みとともに、二つの歪みが喰らい合い、嘘のように消滅した。多摩川の河川敷に静寂が戻った。

 光と音が激しかったせいで、誰かがこの騒ぎを通報したみたいだ。後に残されたのは、凍てつく川風と、遠くで鳴り響くパトカーのサイレン音と、秋元の車のローンだけだった。三人は歓喜の涙を流しながら急いでその場から逃げ去ったが、秋元の涙だけ二人とは違うものが混じっていた。


 新しい年明けは、徹夜作業に見舞われた。全ての関連する資料を焼却するためだ。

 彼らは最初から誓いを立てていた。人は、平和のために作られたものであっても、必ず殺戮兵器へと作り変えてしまう歴史を知っていたからだ。ましてや、瞬間移動装置など、暗殺兵器として即座に応用されてしまうことを懸念していた。

 この装置の設計図は決して公開しない。全てを焼却し、内部構造の秘密は三人の頭の中だけに留め、造ることも使用することも、この三人以外には不可能という暗号化の封印を施した。

 全て焼却を終えたところで、三人はそれぞれの道へ進むことにした。ただし、それも彼らの考えに共感してくれる条件を呑んでくれるところに限定した。

 江部は、分解されたところで誰も解読できないこのプロト版の装置を持って、地球政府へ身を投じる道を選んだ。実演することで、懸賞金も手に入る。もちろん情報の公開を求めない、製造、使用する場合、必ず江部本人が行うという条件付きでだ。

「宇宙に出て、人間が住める星を探す」

 それが彼の、この研究を始めた時からの夢だったからだ。

 秋元は、企業戦士を望んでいた。合コン、オフィスラブといったものに憧れを抱いていたからだ。

「ブラックホールを応用して、何か社会のためになるようなものを作りたい」

 建前上はそう言ったが、これから始まる社会人生活に胸を躍らせていた。

 大島は、謎めいた笑みを浮かべて

「探偵になる」

 と言い残し、二人に別れを告げた。


 後日、江部が地球政府に実演を披露したことで、大々的にニュースが流れた。地球政府は情報の公開を求めたが、江部がそれを頑なに拒否した。しかし、江部が入って協力するという条件で、やむを得ずそれを呑んだ。失うにしては、あまりにも惜しい力だったからだ。

 秋元は、東京都小平市にある望遠鏡メーカーに入社した。彼は受け取った懸賞金で車のローンの返済と、一軒家を買い、かつての極貧生活に別れを告げた。

「オフィスラブとか、あるわけないよなあ」

 四十五歳の新入社員である秋元は、虹彩認証(瞳孔の周囲にある虹彩パターンによる認証)で厳重に管理された本人一人しか入ることのできない隔離室の中で呟く。彼の仕事は、ワープ技術を応用した『ブラックホール望遠鏡(BH望遠鏡)』の開発だ。ブラックホールで光を集め、巨大な重力レンズを発生し、宇宙の果てを覗き見る。それは、確かに世界でこの三人しかできない仕事だった。

「一人か…。だったら研究室の方が仲間と一緒で楽しかったなあ」

 彼は苦笑しながら、モカブレンドを一口啜った。かつて三人で聞いた除夜の鐘は、もう聞こえない。だが、彼の目の前のモニターには、かつて見たこともないほど鮮明な、銀河の深淵が映し出されていた。

 そして大島は…。

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