第五十八話 「波のような日常」
夕方の光が窓から差し込み、神代家のリビングはいつもより少しだけ賑やかだった。
テーブルの上には、母が作った夕食の材料が並び、まな板の音が軽く響いている。
「今日はちょっと張り切って作っちゃったわよ」
台所からそう声をかける母に、神代レンは苦笑した。
「いつも張り切ってる気がするんだけど」
その横では、ソレイナが真剣な顔で皿を見つめている。炎の擬神とは思えないほど静かな視線だ。
「この料理……火加減が絶妙です。主様の母君は、かなりの腕前ですね」
「だろ?うちの母さん、料理だけは昔からすごいんだよ」
ユシルはソファの上でごろごろしながら、窓の外を眺めていた。
外の木々が風に揺れているのが楽しいらしい。
「ん〜〜〜、風が気持ちいいね〜〜〜、外行きたい〜〜〜」
「後で散歩でも行くか」
レンがそう言うと、ユシルはぱっと顔を明るくした。
アヤネはというと、部屋の隅で静かに立っている。
視線はリビング全体をゆっくりと観察していた。
「主様、この家の周辺、異常なし。周囲の地質反応も安定しています」
「いや、そんな監視施設みたいな報告いらないから」
レンが肩を落とすと、アヤネは小さく首をかしげた。
「では、通常の報告に切り替えます。平和です」
「それでいい」
そのやり取りを見ていた母は、楽しそうに笑った。
「ほんと、にぎやかねぇ。最初はどうなるかと思ったけど」
「慣れたよ。もう普通の生活じゃないけど」
レンはそう言って椅子に座る。
その言葉に、ソレイナが静かに目を伏せた。
「主様の“普通”を壊したのは、私ですか」
「いや、違うだろ。スキルだし」
「ですが、私が現れたことで……」
「気にすんなって。今のほうが退屈してない」
レンがそう言うと、ソレイナはわずかに目を見開き、そして小さくうなずいた。
そのとき、リビングの空気がふっと揺れた。
「ん?」
ユシルが首をかしげる。
「今、なんか……海の匂いした?」
アヤネが即座に周囲を確認する。
「異常反応なし。しかし、空間揺らぎあり」
ソレイナの炎がわずかに揺れた。
「これは……擬神反応?」
レンが立ち上がると、床の一部に水滴のようなものが浮かび上がる。
それは次第に広がり、空中に“水面”のような円を作った。
「またかよ……」
ため息混じりの声と同時に、その水面からひとつの影が現れる。
「およ……?ここ、どこだろ……?」
のんびりとした声と共に現れたのは、海色の衣装をまとった少女だった。
その存在だけで、部屋の空気が少し湿ったように感じる。
ユシルがぱっと笑顔になる。
「フリート〜〜〜!」
「お〜〜ユシル〜〜元気〜〜?」
レンは額に手を当てた。
「いや、また普通に出てくるのか……」
ソレイナは静かに一歩前へ出る。
「海洋の擬神、フリート。あなたは主様の召喚に応じてここへ?」
フリートはきょとんとした顔で首をかしげた。
「えっとね〜、呼ばれた気がしたから来た〜」
「気がしたで来るな」
レンのツッコミに、フリートは笑っているのか眠そうなのかわからない表情を浮かべた。
アヤネが一歩進み出る。
「召喚プロセス未確定。だが反応は正常」
「正常なのかそれ」
母はその光景を見て、完全に慣れた様子でお茶を注いでいた。
「はいはい、増えるのはもう驚かないからねぇ」
レンは深く息を吐いた。
「うち、ほんとどうなってんだよ……」
その横でフリートは嬉しそうにくるくる回る。
「ねえねえ、海行く?海〜〜〜」
ユシルが即答した。
「行く〜〜〜!」
ソレイナが少し考えたあと、静かに頷く。
「主様の許可があれば」
アヤネも淡々と続ける。
「移動は可能。危険性は低い」
全員の視線がレンに集まる。
レンはしばらく黙ったあと、諦めたように肩を落とした。
「……わかったよ。明日な」
その言葉に、フリートの目が輝いた。
「やった〜〜〜!」
ソレイナは静かに微笑み、ユシルは嬉しそうに跳ね、アヤネは小さく頷いた。
母はその様子を見て、そっと呟く。
「ほんと、にぎやかで……いいわね」
レンは小さくため息をつきながらも、どこか満更でもなさそうだった。
「……普通じゃないけどな」
外では、夕焼けの空に風が流れていた。
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次回もお楽しみに




