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ありふれた恋歌  作者: 徒然
第2章 統べる者
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第17話※

 その男は、喉の奥で獣のようなかすかなうめき声をあげた。

 ここ数ヶ月で頭髪には白髪が目立つようになり、目の下の隈も染み付いたように常にそこにある。

 健康的でつやつやとしていた肌はガサガサと乾燥し、頬はげっそりとやせこけていた。

「・・・・・エルンスト、医者にはちゃんと診てもらっているのか?」

 エルンストは、若くはないとはいえまだ五十を過ぎたばかりの働き盛りだ。それがこんなにも急激に老け込むというのは、よくない兆候だった。

 俺の言葉にエルンストはかっと目を見開き、もう一度うめき声を上げてから口を開いた。

「いいえ陛下、私は病気ではございません。この有様は、この度の陛下のご乱心による心労のせいでございますれば。」

 エルンストの言葉に、溜息をついて背もたれに体重をかける。

「乱心とは、心外な言葉だ。まあいい、しかるべき後継者が決まればお前もきっと安心する。不安なのは最初だけだ。それで、誰がいいか決めたか?」

「あなた様でなければ誰であろうと同じこと、いっそくじ引きでもなさってはいかがか!?」

 口角泡を飛ばしてまくしたてるエルンストから若干身を引いて、眉を潜める。

「自棄になるのはやめろ!これからはその者がこのエストアの王となり、この大陸の指針となる。慎重に選べ。紙上の情報だけで決めるのが難しければ、候補者を全員この城に呼び集めて見定めるのもいいだろう。あと半年・・・・・いや、粘ってあと一年は時間をかけてもいい。戴冠式は二年後に行うし、引継ぎもしっかりするから心配する必要はない。」

 まったく、この男を説得するのが一番難しい。

 数ヶ月前の夏至の日に、二年後に退位すると宣言して以来、宰相であるエルンストは来る日も来る日も怒っていて、時に落ち込みも激しくかなりの情緒不安定におちいっている。

 しかし、今この男の協力を失くすわけにはいかなかった。

 新しい王には、どうしてもこの男の補佐が必要だった。もう十年以上も俺のもとで宰相をやっている彼がそばについていれば、政務官や軍部をまとめやすいだろう。

「心配だらけです、陛下。何故急に退位されるなどと申されるのです?ご即位されてからまだ百二十年ほどしか経っていないではありませんか。・・・盟約の期限まで、あと八十年もあるというのに。」

 それを言われてしまうと、なかなか反論しづらいところがある。


 昔、この大陸には無数の小国があり、各国同士が覇を争い、戦乱の時代が長く続いていた。

 何百年にも及ぶ戦乱に疲弊した人々は、竜族の長に願った。

 竜族から我々の王となる者を与えて欲しいと。

 長は願いに応え、人の娘を妻とすることを条件に人々の王となり、この大陸を統一した。

 王は統一したこの大陸を七つの国に分割し、王の直轄の国を宗主国としてそれぞれに人族の王を立てた。

 エストアにも人間の王を立てたが長続きせず、結局竜の長は己の息子をエストアの王として封じた。

 二百年の間に王が人間の花嫁を選ばない場合、あるいは大陸の人間の王のうち、過半数が竜による支配を望まない場合、王位を退かせ一族の元に戻らせるという盟約を結んで・・・。

 異種族による支配は、秩序を重んじる竜族には納得のできないものだった。

 だから、せめて人間を伴侶にすることで、自分も人の世界に関係があるという体裁が必要だったのだ。


 この盟約は逆に言えば、大陸の王達の過半数が竜王の退位を望まない限り、二百年以内に人間の花嫁さえ現われればいつまでも竜王の統治が続くという意味でもある。


「昔と今では事情が違う。各国の情勢も安定してきたし、この百二十年ほどで平和に国家を運営する尊い精神も為政者達に浸透したはずだ。第一、先代の王は二百年以内に花嫁を選ばなければ一族の元に『戻らせる』と言ったんだ。二百年の間は『戻らせない』とは言っていない。お前達は俺を退位させることができるが、俺も自分の意思で退位することができる。」

 この数ヶ月のあいだに何度も繰り返した言葉だが、法の抜け穴を利用するような罪悪感はぬぐえなかった。

 きっと、エルンストはもちろん、誰もがこんなに突然、竜による支配が終わるなどとは考えてもいなかっただろう。

 だがいずれは必ず竜による支配を終わらせたいと思う者が出てくるはずだし、そうならなければおかしい。

 人間という種族は短命で、未だ幼く感じる。だがその進化の速さには目を見張るものがあり、このわずか百年でも成長したと確かに感じるのだ。

 大人になるにつれて、保護者から独立したいという気持ちは自然とわいてくるだろう。

 思いがけず独立心が育つのを待たずに独り立ちさせることにはなったが、彼らには自立するだけの力は十分に備わったと思う。

 

「・・・それは、そうかも知れません。ですが陛下、まだ何故退位なされるのか、その理由をうかがってはおりません。せめて理由を教えていただけませんか?」

「・・・・・そろそろ退位したい。それだけだ。他国の王なら、数十年も在位していれば長い方だ。病や事故で数年しか在位できない者も多いのに、俺は百年以上エストアを統治してる。もう十分だとは思わないか?」

 理由を教えたりしたら、この男は小躍りしてあの娘を迎えに行くだろう。それですべての問題が片付くのだと、大喜びで。

 その状況を想像するだけで、寒気がする。

 自分に言い寄ってきた男の正体が竜だと知られたら、間違いなく引かれる。恐れられるかも知れないし、もう笑顔も見せてくれないかも知れない。

 なにしろ、命の恩人と言う事で多少の好意と敬意は持っていてくれても、恋愛の対象としてはゼロの位置にいるのだ。

 これからゆっくりと時間をかけてプラスに持っていこうという時に、第三者に勝手に動かれてマイナスになっては非常に困る。

 このままいてもどうせ数十年後には俺はエストアを去るが、あの娘とのことは一生で、つまり数千年は続くこれからの長い人生に、ずっと関わっていくことなのだ。

 どうしても、慎重にならざるおえない。

「陛下という中心がなくなれば、各国が離反することにもなりかねません。」

「仮にあと八十年待ってみたところで、その懸念は変わらない。だが、起こるかどうかも分からないことを心配して、身動きが取れなくなるのは愚かだ。」

 しばらくお互いに表情を読み合うように視線を合わせた後、エルンストは大きく溜息をついて表情をゆるめた。

「どうあっても御心は変えられぬようですが、我々も最後の最後まで、諦めません。新王の候補者については検討を進めますが、また、折を見てお願いに上がります。では、失礼を・・・。」


 肩を落として部屋を出て行くエルンストを見送って一息つく間もなくまたノックされる。

 普段から来客は多かったが、退位すると決めてからはさらに頻繁になった。

 仕事の相談という形で高位の文官や軍人が面会を求め、ついでなのか本題なのか分からないような勢いで退位を取り消すように嘆願してくる。

 これは、粘り勝ちを狙っているのだろうか?

 何をどういわれようと気持ちは変わらないが、通常の仕事に引継ぎの準備、それに臣下達の相手で目が回るような忙しさだった。



 新王が決まらないまま、季節は冬を迎えようとしていた。

 毎日文句を言っていたエルンストも、流石に諦めたのかここしばらくは退位に対して何も言ってこない。

「・・・・では、そのように。」

 今日も用件だけ済ませたエルンストは、そそくさと部屋を出て行こうとした。

 別に引き止めて欲しいというわけではないが、なんとなく距離を置かれたようで寂しい気もする。

「最近、何も言わないんだな。エルンスト、お前もとうとう音を上げたか?」

 扉に手をかけていたエルンストは、振り返って頭を下げた。

「いいえ陛下、我々の気持ちは変わりません。ただ、訴えるだけでは何も変わらぬと分かったのです。今は、人智を尽くすとき。それだけでございます。」

 もう一度深く頭を下げたエルンストは、何か憑き物が落ちたようなすがすがしい表情だった。


 閉じられたドアを見つめながら、首を傾げる。

 あの迷いのない顔は、自分の采配に自信があるときの表情だ。

「・・・一体、何を考えている?」

 俺を引き止めるために何か考えているようだったが、それが何か想像できない。退位の件はまだ公式には発表していない。

 内外の混乱を、最小限に止めるための配慮だ。

 だから、民衆を味方にすることはできない。

 つまり臣下から説得するしか方法はないわけだが、エルンストがあれだけ言っても聞かないものを、他の誰が言おうと無駄だということも、十分分かっているだろう。

 俺に影響を与えられる誰か・・・・俺の両親か?

 だが、父と母の所在は俺にも分からないのだ。人間に見つかって騒がれたくないからと、各地を転々としているらしい。

 二十年ほど前に建国百年の祭典の時に招こうかと、大陸全土に令を出して探した事もある。

 それでも見つからなかったのだ。

 エルンストが俺の両親に頼ろうとしているというのは、考えにくい。

 他に誰かいただろうか?俺が、ちゃんと話を聞かなくてはいけないと思えるほどの誰かが。


 そこまで考えた時、突然脳裏に閃いた姿があった。

 まさか、という気持ちと、エルンストなら、という気持ちが入り混じり、一瞬でエルンストの力量に対する信頼の方が勝った。

 焦る気持ちのままに立ち上がって、椅子とついでに机まで蹴り倒したのに気付かず、部屋を飛び出した。

 慌てすぎて扉も引きちぎってしまったようだったが、それも後になって気付いた事だった。



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