28:他に、どこに書いてありますか
三十七日目を読み上げた。石を替えてからは、数がほとんど動かない。四十一、四十、四十一。
特筆すべきことがないというのは、たぶん良いことなのだろう。ニコは毎朝きちんと記録している。
厚着をして遺跡を出た。街道の窪みの氷は、踏んでも音がしなくなっていた。硬くなったぶん滑る。端の土を踏んで歩いた。
教会の中枢部屋には、三日前と同じ顔が二つあった。
コンラート司祭と、あの若い聖職者だ。名前はさっき教わった。ラウルというらしい。
「本日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。今日は、当番の予定は入っていません。魔石も三年先です。何も重ならない日を選びました」
何も重ならない日。
三日前に、それを持っていなかったせいで俺は止められた。今日はそれが用意されている。
「先に、今の数を読ませてください」
「どうぞ」
箱の左隣から歩いた。十四、十五、十六。数えるのは癖になっている。
十七番目の前で止まる。
供給系統:正常
出力:40
出力:39
出力:41
目盛りの光は、四十五から四十七のあたりを行き来していた。
六、離れている。三日前と同じだ。
「四十六のあたりです」
「はい。そう読めます」
コンラート司祭が、同じ場所を覗き込んで言った。
彼にも見えている。見えているものが、実際と六違う。それだけの話だった。
紋様に手を当てて、奥へ入った。
複数の細い経路が、それぞれの数を足す仕組みだった。その中の経路が一本、自分の数を二回数えている。そしてそれが、目盛りに渡っていた。
二回数えているのを、一回に直す。それだけだった。
表示術式:正常
顔を上げる。
光の先が、少し上へ寄っていた。
「直りました」
コンラート司祭が目盛りを見て、頷いた。
「……確かに、変わっています」
彼はしばらく黙ってから、こちらを見た。
「これで正しくなった、というのは、どうやって確かめますか」
良い質問だった。
俺が直したものが正しいかどうかを、俺が言うのでは確かめたことにならない。
「十六番から十八番を、順に読んでください」
「順に」
「はい。十六、十七、十八の順で。数だけ、声に出して」
彼は右へ一つ戻って、そこから読んだ。
「四十。……四十。……三十」
俺も同じ順で読んだ。三つとも、彼の言った数とほぼ揃っていた。
コンラート司祭が、指先を口元に持っていった。
「四十と四十で、同じ。四十から三十で、十」
「はい。さっきはどうでしたか」
「さっきは、四十六でした。四十から四十六で……増えています」
彼が言葉を切った。
この部屋の紋様の出力に、途中で増える箇所はない。使われて減るだけだ。
さっきまでの並びは、そこだけ理屈に合っていなかった。
ラウルさんが、先に口を開いた。
「この数には、意味があったんですね」
コンラート司祭は、手を下ろした。ラウルさんと顔を見合わせる。
「そうですね。入ってくる量と、出ていく量です」
ひと月前に俺が言ったことを、そのまま言っていた。
コンラート司祭が俺を見た。
「であれば、これまでの数字はおかしかった、ということになりますね。今は、二つが揃って、その先で落ちています」
「そうです」
コンラート司祭は、もう一度三つを読み直した。今度は指で数えながら読んだ。
「……確かに、揃っています」
それから、彼は箱の左隣まで戻った。
そこから読み直し始める。半歩ずつ、いつもの順で。朝の祈りよりも、足は速かった。
俺が頼んだのは十六番から十八番までで、彼が見ているのは、それ以外の全部だった。
最後まで行って、戻ってくる。
「二番と三番。四番と五番。……二十番と二十一番まで。どれも二つずつ、同じ数でした」
「……はい」
「揃っていなかったのは、十七番だけです」
俺は頼んでいない。
十七番が直ったことを確かめるだけなら、三つ読めば済む。彼は残りを全部あたって、他に一つも無いと言いに来た。
これが確認だ。
俺にしか見えないものを根拠にしなければ、彼の目でも確かめられる。二人で見て、同じだと言えるところまで持ってくれば、それは確かめたことになる。
持ってきたのは俺で、そこから先へ行ったのは彼だった。
相違なし、というのは、そういう意味だった。
コンラート司祭は、まだ紋様の方を見ていた。
「それから、もう一つよろしいですか」
「はい」
「二十二番までは、朝の目覚めの祈りでも灯火の継承でも見ています。二十三番以降を初めて見ました」
「はい」
「二十三番は一でした。二十四番以降は、全てゼロでした」
二十二。その先なら知っている。見なくてよいと言われた一枚があって、その隣に台がある。
四十のうち、二十四番から先はゼロだった。ゼロなら読む意味がない。手順に入ってないのも、それで説明がつく。
ただ、それがなんの仕事をしているのかは、分からない。
二十三番は、そのゼロにも入らない。今日は一だった。それを、誰も読んでいない。
* * *
「では、手順書を直しましょう」
コンラート司祭が、机の上に薄い冊子を置いた。表紙も綴じ紐も新しい。
開いて、指で追っていく。
「灯火の継承。第四の段。十七番、四十六に至れば次へ。……ここです」
「四十六を、四十へ」
「そうなりますね」
彼が羽根ペンを取った。
取ったところで、俺が止めた。
自分でも、なぜ止めたのかがすぐには言えなかった。三日前に彼が言ったことが、頭の隅に引っかかっていた。手順書を見直す時間もありません、と彼は言った。見直す。書き換えるではなく。
「コンラート司祭」
「はい」
「その数は、他に、どこに書いてありますか」
彼の手が止まった。
しばらく、冊子を見たままだった。
「……写しが、四つあります」
「四つ」
「当番の組ごとに一つずつ。手元に置いて覚えるものですので」
「その四つも、直しますか」
「直します。今日中に」
「他には」
そこで、少し間が空いた。
「聖典にあります」
「聖典」
「元はそちらです。手順書は、聖典を書き写したものですから」
俺は何も言わなかった。
言うことは決まっていたが、言っていい相手なのかが分からなかった。
彼の方が先に言った。
「聖典には、手を入れられません。私の一存では」
「はい」
「誰の一存でもです。あれは、そういうものではありませんので」
言い方が、これまでで一番硬かった。
分かりました、とだけ答えた。ここは俺の場所ではない。
ただ、それで片付かないものが一つある。
「聖典と手順書で、数が食い違うことになります」
「なります」
「食い違ったまま、三年後の二人が読みます」
彼が顔を上げた。
訊いておきたいことが、もう一つあった。
「伺っていいですか」
「どうぞ」
「その数を覚えている人は、何人いますか」
今度は、答えるまでに長くかかった。
「……分かりません」
「はい」
「私は覚えています。ラウルも、このひと月で覚えました。以前に担当していた者たちも、まだ現役です。あの日、並んでいた祈り手たちも、何人かは」
「紙は今日直せます。頭の中は、直せません」
「……ええ」
三日前に、俺は逆のことを考えていた。
順番と間合いだけが五百年残ったのは、身体が覚えたからだ。書いたものは消えたが、覚えたものは消えなかった。強い残し方だ、と思った。
強いということは、書き換えにくいということでもある。
同じ性質の、裏側だった。
ラウルさんの方を見た。ひと月前は、この数を知らなかった人だ。
コンラート司祭へ向き直った。
「三年あります」
「三年、ですか」
「次の灯火の継承までです。そのあいだに、覚え直してもらうしかありません」
「私が言えば、覚え直します。ですが、三年後に、誰かが」
彼はそこで言葉を探した。探しているのが分かったので、待った。
「……なぜ四十なのか、と訊かれたら、私は答えられます。私が居れば」
「はい」
「居なければ、四十という数だけが残ります」
(それだ)
二百年前に消えた数の欄と、同じ形をしている。あのときは減った。今度は俺が増やそうとしている。
「書いてもらえませんか」
「何をです」
「今日、四十六を四十へ変えたこと。変えた理由。目盛りが実際より六高く出ていて、それを直したので、数の方も六下げた、と」
「……手順書に、ですか」
「手順書でも、記録帳でも、どちらでも。三年後に読める場所なら」
コンラート司祭は、羽根ペンを持ったまま動かなかった。
それから、記録帳の方を引き寄せた。
「日付の下に、余白があります」
「そこで構いません」
「読み上げてください。私が書きます」
俺は書けない。この世界の文字は、いまだに一字も書けない。
だから、口に出して、彼に書いてもらった。三日前に見つけたこと。今日やったこと。四十六を四十に変えたこと。十六番と同じ数になることを二人で確かめたこと。
彼のペンは速くなかった。一文ごとに止まって、書いたところを読み返してから次へ行く。
書き終わって、彼が顔を上げた。
「これは、余白に書くものではありませんね」
「そう思います」
「欄を作ります。次の帳面から」
* * *
帰り道は、日が高いうちに歩き始めた。
持ち帰るものが、また増えていた。技術ではない。直し方でもない。
三日前に止められたときは、いつ触るか、という話だと思っていた。今日はもう二つ増えた。何と噛み合っているか。誰に断るか。
その三つを揃えるのに、今日は半日かかった。
遺跡の門が見えたあたりで、足が止まった。
俺の手で変えたものが、遺跡にはいくつある。
水路の繋ぎ替え。温度の摘まみ。灯りの経路。石の入れ替え。区画の供給系統。ニコの中身にも手を入れた。
どれ一つ、なぜそうしたかが残っていない。
三十七日ぶんの記録は、読んだ数しか並んでいない。数だけだ。
門をくぐって、ニコを探した。
トモが先に見つかって、ニコの居場所を聞いたら地下まで連れていってくれた。
「ニコ」
「はい」
「明日から、もう一つ記録してもらいます」
「何をでしょうか」
「私が何かを変えたら、変えたことと、変えた理由を」
「承知しました。書式はどうしますか」
書式。そこまで考えていなかった。
「変えたことと、理由と……」
「はい」
「変える前と、変えたあとも。あと日付」
「五つですね」
「あ、それから、担当者――誰が変えたか」
「六つになりました」
「はい、六つです」
「承知しました。本日の分は、ありますか」
今日は、遺跡では何も変えていない。
そう思ってから、一つあることに気づいた。
「今日は……記録を増やしたことを」
「理由は」
「なぜそうしたかを後で確認できるように、です」
「はい」




