第二話 決意④
それから二週間ほど経った、一月半ば。商談などにもよく使われているという少し金額の張る喫茶店の個室で、迅はミサトとの再会を果たしていた。
「話を聞く気になってくれたみたいで嬉しいわ」
注文を終え、閉じたメニューを横に置いたミサトが、にこりと笑いかけてくる。
仕事の合間に時間を作ったというミサトは、あの日の少し気楽な格好とは違い、今日はしゃっきりとしたスーツを着こなしていて、まさに肩書通りの腕っぷしのいい女性経営者らしかった。
「いえ。こちらこそ、時間を作ってくださりありがとうございます」
連絡をするとすぐに応じてくれたミサトにお礼を言いながら、こうしてミサトと会ってしまったことに少しだけ後ろめたい苦笑が洩れた。
迅が例の店と交わした契約書には退店時における決まり事もたくさん書かれていて、その中の一つが「お客様と個人的な連絡先を交換してはならない」というもので、セラピストとして出会ったお客様とは、たとえ金銭が発生しなくとも関係を続けることは許されていなかった。
迅にはそこまで悪いことをしているという気持ちはなかったが、それでもこれが違反行為であるということは認識している。
「この前、高級サウナ店か女風店、どちらを手がけるか迷ってる、って話をしたと思うけど」
「はい」
表情は柔らかながらも真剣なミサトの声色に、迅の背筋は無意識に伸びた。
「女風店に決めたわ」
おそらくそうなるだろうと思ってはいたものの、はっきりと告げられて静かに息を呑む。
「改めて伺うわ。私が女風店を立ち上げたら、ついてきてくれるかしら?」
真っ直ぐ顔を見つめられ、しばしの沈黙が落ちた。
ミサトから視線を逸らすことなく、迅はほんの少しだけ申し訳なさを感じながら口を開く。
「正直、まだ決めかねてはいるんですけど」
「それはそうよ。こんな重要な問題を即決できるような人間だったら逆に信用ならないわ」
「ミサトさんらしい感想ですね」
「誉め言葉として受け取っておくわね」
迷いを見せる迅にミサトはころころとした笑みを零し、あっけらかんとした態度を返してくる。
それがなんとも小気味よくてつい苦笑いを誘われてしまえば、ミサトはにこりと赤い唇を引き上げた。
「それで、私もあまり時間がないからすぐに本題に入らせてもらうけど」
「お願いします」
「この前言った通り、私は本気よ」
しっかりと姿勢を正して真剣な瞳を返した迅へ、ミサトも真面目な表情になってこの決断に至るまでの思いを語り出す。
女性のための美容サロンを手がけているミサトは、学生時代から女性の美に寄り添う仕事をしたいと思っていたという。だが、現実はそれほど甘くはなく、今のサロンが軌道に乗るまでには語り尽くせぬほどの苦労があった。
がむしゃらに働き、店舗を広げ、今では系列店を含めれば十数の店を持つ経営者にまで昇りつめた。
自分では気づいていなかったが、そんなふうに肩肘を張る生活を送り続け、ふと肩の力が抜けた時。「心身ともに女性に寄り添い、癒す」を謳う女性向け風俗の世界を知り、利用を始めたとのことだった。
「今までいろいろなタイプのセラピと会ってきたけど、私はこのサービスを利用してよかったと思っているわ」
女性向け風俗で提供されるひとときは、無意識に凝り固まっていた心と身体を癒してくれたのだとミサトは楽しそうに笑った。
そうして「サービスを受ける側」として女性向け風俗を利用していたミサトだが、美容サロンでは今まで十年以上に渡り「サービスを与える側」として尽力してきた人間だ。
利用をつづけるうちに、今までずっと女性の美を追求し寄り添う仕事をしてきた自分だからこそ、違う切り口から女性を癒す新しい風俗店を作ることができるのではないかと考えはじめたらしい。
このサービスは、内面から女性を綺麗にすることができる仕事だと。
「だから、挑戦してみたいと思ったの。同じような志を持つ仲間を集めて新たな店を立ち上げたい」
そう語るミサトの声にも瞳にも熱がこもり、新事業立ち上げへの本気さが窺えた。
「ハヤト。ぜひ、あなたの力を貸してほしいの」
真剣な眼差しが迅を射貫く。
それを受け止め、迅の頭の中には様々な感情と思いが駆け巡っていった。
セラピストとしての仕事にまだ未練がある。
そして、誰かに求められていることが、単純に嬉しいと思った。
「ミサトさんのご期待にどこまで添えられるかちょっと自信がないですけど……」
「私はあなたと一緒にやりたいわ」
「そこまで言っていただけるなら……。僕でよければ、こちらこそよろしくお願いします」
最後に少しだけ考えたのちに、すでに自分の中では出かけていた決意を口にして、迅はミサトへ笑いかける。
「嬉しいわ。よろしくね。ハヤト」
「はい」
手を差し出され、交わした握手には自然と力がこもった。
「あ。〝ハヤト〟じゃなくて、名前も別のものにしないといけないわね」
「そうですね。それはおいおい考えます」
そこでふと思い出したように洩らしたミサトの呟きを耳にして、迅は苦笑した。
たしかに〝セラピスト・ハヤト〟はもう引退している。
新しい店で働くとなると、ある意味〝別人〟にならなくてはならないわけだが、そこまで考えるのはまだ先でいいだろう。
「それとね、できれば、本業の経験を生かして、セラピストとしてだけではなく、運営や営業のほうにも携わってもらえたら嬉しいと思っているのだけど」
「……え」
さすがにそこまでは考えていなかった。
あくまで新規店立ち上げの際の初期セラピストメンバーの一人くらいに軽く捉えていた迅は、見開いた目で正面に座るミサトを凝視する。
先日の、たった一度、たった数時間のやりとりで自分のことをどれくらい理解できるというのだろうと動揺するが、そんなふうに期待をしてくれるというのなら、応えたい、とも思った。
違う業種とはいえ、数店舗のオーナーを務めるミサトの人を見る目はたしかだろう。
八年間の仕事では企画書を作ったりお客様の前でプレゼンをするようなこともあった。新規店オープンとなれば、その経験を生かせる部分もあるかもしれない。
だからといって、その重責を担えるかは自信がなかった。
〝ハヤト〟は、トップセラピストでもなんでもなかったのだから。
「ミサトさんと僕の二人でスタートするんですか?」
「実は、あなた以外にも声をかけている人がいて、後日会うことになっているのだけれど、あなたも同席してくれるわよね?」
「わかりました」
新規店立ち上げにかける思いを語っている間に運ばれてきたコーヒーを手にして、ミサトは迅を真っ直ぐ見つめてくる。
「今日はありがとう。運営のことも前向きに検討してくれると嬉しいわ」
「……わかりました」
この場での決断を求められなかったことにほっとしながら、迅も手元のジンジャエールに手を伸ばす。
とはいえ、与えられた猶予時間はそう長くはないだろう。
真剣に考えなければと自分に言い聞かせ、ふと思うところがあって迅はグラスをテーブルに戻した。
「ちなみに、差し支えない範囲でかまわないんですけど」
「なにかしら?」
「その人は、どういった……?」
先ほどミサトは、迅以外にも声をかけている人物がいると言ったが、もしこの話を受けることになったなら、これから一緒に同じ道を目指していくということになる。
新規店立ち上げがそう簡単にはいかないことくらいは安易に想像できるため、仲間の存在も関係性も重要だ。性格や方針の不一致などがあれば、新規店を作るどころではなくなってしまう。
とはいえ、聞いてもいいものかとためらいがちに窺った迅へ、ミサトはあっさり情報を開示してくれる。
「一人は、私が関西に出張に行った時に指名していた有名セラピ」
関西にもサロン店を持つというミサトは、定期的にそちらの店舗にも顔を出しているという。
その際、泊まったホテルに呼び出している、付き合いの長いセラピストにもこの話を持ちかけたとのことだった。
「もう一人は」
さらにもう一人の存在を口にされ、今度はどこのセラピストだろうとなんとなく身構える。
だが。
「先日の忘年会イベントで出会って話が盛り上がった女性で、発信力のあるカリスマユーザーさんよ」
思った答えとは違う言葉に、迅の瞳は瞬いた。
忘年会イベントというのは、女性向け風俗セラピストとお客様の交流を目的として、年末に行われている恒例行事だ。ユーザー同士が仲良くなるケースもあり、そこで出会った誰かとミサトは意気投合したらしかった。
たしかに、新規店運営にあたってはセラピストだけでなく、事務仕事をしてくれるメンバーも必要だ。
「カリスマユーザー?」
が、小さく首を捻った迅は、なんだか嫌な予感を覚えて胸の鼓動を強くする。
この業界にカリスマユーザーなる者は何人か存在するが、迅個人としては、正直、あまり関わり合いたいとは思えない人々だった。
「有名だから知っているかしら。愛穂さんて方なんだけど」
「……え……。ラブホ、って……」
耳に飛び込んできた名前に、迅はぎくりとして顔を引き攣らせた。
「あ。やっぱり知ってた?」
そんなふうに呑気に笑わないでほしい。
迅の頭の中に、シークレット・ラバーズ本店時代の出来事が甦る。
――アイツか……!




