第十七話 これから③
閉店までの約一カ月は、これまでとはまた違う時間を過ごすことになった。
一度でも会ったことがある女性には退店の連絡をし、最後に会いに来てくれる人もいれば、どうしても都合がつかず、DMでのやりとりで挨拶を終えた人もいた。
forestのサービスがずっと気になっていたという人から、閉店してしまうなら最後に利用したいという奇特な問い合わせも数件あったらしいが、それはラブホが丁寧に断りを入れたとのことだった。
マリからも連絡があり、やっとシンヤからもシークレット・ラバーズ本店からも離れることができたと聞き、マリの気持ちを思うと、安堵するとともに複雑な感情が湧いた。
そうしてサクラに会った次の日。迅は最後の入金をするために事務所に顔を出していた。
「ジンさん。お疲れさまです」
「ラブホさんこそお疲れさまです」
すでに後方事務を請け負うスタッフはラブホしか残っていなかった。
現金の入った封筒をラブホに手渡し、迅は事務所内の気配を窺いながらラブホに問いかける。
「トウマとカナタ、来てますよね?」
玄関にはラブホのもの以外に、二人分の男性ものの靴があった。
靴のサイズとデザインからトウマとカナタのものだろうと予想したのだが、間違ってはいないだろう。
「はい。トウマさんは、最後だからって、掃除をしにきてくださって。カナタさんはジンさんと一緒で、最後の入金に」
今までの感謝の気持ちをなんらかの形で表したいと考え、事務所を綺麗にするという行動に出たトウマは、最初の問題行動からの成長を思わせた。
また、カナタは迅に相談したいことがあり、あえて入金のタイミングを迅に合わせて事務所にやってきたらしいと聞き、このあと二人の気配を感じる休憩室に顔を出そうと思いながら、まずはミサトの所在を伺う。
「ミサトさんはエステ店のほう?」
「はい」
「そっか。最後に挨拶できたらと思ったけど」
ミサトに関しては、ミサト本人だけでなく、娘の栞とも繋がっている。
栞からはミサトとの関係がそれなりに良好に続いているという報告をもらい、二人が互いに少しずつ歩み寄っていければいいと願っている。
「ミサトさんのお店は脱毛とかもやっていますから、この機会にどうですか? 今、メンズ脱毛も流行っていますし」
そこでしっかり営業をかけてくるラブホはさすがだなと感心する。
実際に、まず清潔感を求められるセラピストは、全身脱毛済の率が高い。
元々体毛は薄く、今まで必要性を感じていなかったのだが、この際、本気で考えてみてもいいかもしれなかった。
「脱毛か……。そうだね。お世話になろうかな」
「はい。ぜひ。お待ちしています」
にこにこと笑いかけてくるラブホを前にして、ラブホの変化も実感する。
最初に会った時のあの冷ややかな対応を思い出せば、この一年でずいぶんと心の距離が縮まった気がして感慨深いものがあった。
ミサトとはまた会える。もちろん、ラブホとも。
「あ。そういえば、フウガさんの情報が入ってきましたけど、さっそく移籍先で活躍しているみたいですよ」
「さすがフウガ」
ラブホから聞いたフウガの移籍先は、セラピストの在籍数がシークレット・ラバーズ本店に次ぐと言われている大手店だった。
フウガの実力であれば、どこに行っても即戦力だとは思うものの、さすがにこの短期間で動きが早すぎると、感嘆の吐息をつきつつ驚いてしまう。
兼業であるフウガがそこまで急いで次を決める必要はないと思うのだが、なにがフウガをそこまで動かしているのだろう。
そういえば、フウガにこの世界におけるモチベーションなどを聞いたことはなかった。
いつかまた会うことがあれば、その時はぜひ聞いてみたい。
「あ。ジンさん。お疲れさまです!」
「トウマ。カナタ」
そこで隣室からトウマとカナタがやってきて、嬉しそうに挨拶をしてきたカナタではなく、トウマのほうと目が合った。
「お疲れさまです」
「掃除してくれてたんだって? ありがとう」
どちらかといえば「お疲れ」なのは、事務所の掃除をしていたトウマなのではないかと思いながら笑顔を向ければ、トウマは首を横に振る。
「いえ、この場所には本当にお世話になったので。とはいっても本当に軽くですよ。そんな、お礼を言われるほどのものではないです」
どうやら掃除は終わったらしい。
小さく肩を竦めたトウマに、迅は今後の話を振る。
「トウマはどうするか決まった?」
「実は……、就職が決まりました」
「それはおめでとう!」
元々トウマは、転職するまでの繋ぎとしてセラピストをはじめたのだ。
再就職が決まったのならばそれは喜ばしいことのはずなのに、どこか残念そうに、そして申し訳なさそうに報告され、迅は「よかったね」と笑顔を向ける。
セラピストの仕事にやりがいを見出してきているように感じられていたから、正直に言えば少し残念な気持ちもあるが、それはそれとしてここは背中を押す場面だろう。
「でも、仕事が落ち着いたら、兼業でまたセラピストをするかどうか考えたいと思ってます」
このままセラピストを辞めてしまうのかと思えば真剣な表情で真っ直ぐ見つめられ、迅の目は自然と見開いた。
「その時は頼りにしてもいいですか?」
「もちろん」
また一緒に仕事ができたらと告げられて、一も二もなく頷いた。
最後にカナタは……、と思ったところで、カナタがにこにことした笑顔を向けてくる。
「ラブホさんから、今日、迅さんが入金に来るって聞いて。お会いできてよかったです」
「最後に会えてオレも嬉しいけど、なにかあった?」
表情からすると悪い相談ではないことはわかるが、わざわざラブホに迅のスケジュールを確認して会いにくるほど急ぎの話なのだろうかと、ほんの少しだけ身構えてしまう。
「ジンさんはセラピスト業を続けるんですよね?」
「うん。そのつもり。とはいっても、まだなにも決めていないんだけどね」
確認され、迅は穏やかな笑顔で頷いた。
今の迅に、セラピストを「辞める」という選択肢はなかった。
――『結局この業界は次々と新しい店ができては俺たちのところまで届かず消えていく。これが資本主義で真理だ』
ふいにシンヤに言われた言葉が頭の中に甦り、迅の眉間には皺が寄った。
――『結局お前一人でなにができた? なにもできなかっただろう』
迅一人ではなにもできないと言われた。
たしかに一人の力ではなにもできないかもしれないが、迅がもっと成長し、自分と同じ志を持って同じ場所を目指す仲間が増えていけば、シンヤと同じ土俵に立てるかもしれない。
迅が目指しているものを「理想論でしかない」と切り捨てたシンヤのことを、自分は間違っていないのだと、間違っているのはシンヤのほうだと、見返してやりたかった。
「オレは、自分の正しさを証明したい」
自然と握った手に力がこもった迅へ、カナタの真剣な瞳が向けられる。
「あの、お願いがありまして」
「ん? なに?」
「ずっと考えてたんですけど、ボクのことも連れて行ってもらってもいいですか? もう少し迅さんと一緒に頑張ってみたくて」
これから先も一緒にやりたいという意志を示され、一瞬驚かされたものの、迅はすぐににこやかな笑みを浮かべた。
「わかった。一緒に頑張ろう! じゃあ、また連絡するね」
やはり、こんなふうに、同じ方向を見てくれる〝仲間〟はいる。
移籍先を一緒に決めることを約束し、迅は新たな思いを胸に刻む。
「……それじゃあ、また」
それからしばらく取り留めない話をし、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、みんなの顔を見回した。
「はい」
「お元気で」
「連絡、待ってます」
――必ずまた、会えるから。
事務所をあとにした迅は、真っ直ぐ前を向いて歩き出したのだった。




