第十六話 解散①
「解散、って……」
想像していた未来とは真逆に向かう言葉を耳にして、迅は〝解散〟の意味を口の中で噛み砕きながら愕然とミサトを見つめた。
聞き間違いであることを望んだが、無言でこちらを見返してくるミサトの真剣な表情は、その言葉が間違いないことを肯定していた。
「閉店……、ってことですか?」
「……ええ」
自分が想像する〝解散〟とは意味が異なるかもしれないという一縷の希望は、苦しげに頷いたミサトの反応によってあっさりと打ち砕かれる。
「どうして……」
たしかに現在、forestの経営は苦しい状況下に置かれている。
だが、ここから盛り返していくつもりではなかったのか。
ミサトであれば、この逆境さえ持ち前のパワフルさで乗り切ろうとするのではないかと思っていたというのに。
「女風の世界はまだ歴史が浅いわ。私の……私たちの理想は、まだ少し早すぎたのかもしれない」
「そんなこと……!」
悔しげに弱音を吐き出し、残ったワインを傾けたミサトへ、迅は思わずくらいつく。
けれど空になったワイングラスを置いたミサトは、唇を噛み締めて眉を寄せる。
「私たちならできる。そう思っていたわ」
ミサトがオーナーとして上に立って店を引っ張っていくわけではなく、信頼できる仲間たちと二人三脚で理想郷を築き上げていく。
ミサトらしい考え方に、胸が締め付けられるような感覚がした。
「でも、私は、アオを安易にスカウトして、そのあと彼の愚行に気づかず、制御できなかった。それだけならまだ仕方のないことかもしれないと思えたかもしれない」
問題児であることを理解した上で、さすがに越えてはならない一線は踏み止まる良識はあるだろうと信用したはずが裏切られた。
それでも、問題行動を起こしたのがアオだけであれば、元々トラブルメーカーだったのだからと、見る目がなかったことを悔やむだけで済んだかもしれなかった。
「……細井さんのこと、ですか?」
無言になって空のワイングラスへ目を落とすミサトへ、迅は静かに問いかける。
アオとは違い、ミサトと細井はエステ店からの知り合いだ。オーナーと事務員という関係でどの程度の仲だったのかはわからないが、ミサトが受けたショックは相当のものだったに違いない。
「……ええ」
テーブルの上で軽く握ったミサトの手に力がこもり、横顔が歪んだ。
「まさか、彼女まで……」
せめて最初から相談してくれればよかったのにと嘆く言葉を聞いて、心に受けた傷はどれほどのものなのか、迅には察する程度のことはできても想像はつかなかった。
「娘にね、言われたのよ」
数年ぶりにしっかりと顔を合わせた栞の姿を思い出したのか、少しだけ空気を和らげたミサトは、自嘲の笑みを浮かべた。
「母親としては認められないけど、仕事に向き合う姿勢についてはすごいと思ってる、って。そこだけは尊敬できるかもしれない、って」
その言葉は、ミサトのことを一人の女性として見る栞の複雑な心境を表している気がした。
「それで、思ったの」
視線を落とし、ミサトは続ける。
「今の私は、娘に堂々と胸を張れる仕事ぶりをしているかしら、って」
苦悩の色を見せるミサトの言葉を遮ることなく、迅は静かにミサトの話に耳を傾け、見守った。
「女風店の経営、という仕事自体は、世間に対して堂々と誇れるものではないかもしれないわ。それでも私にとっては恥じて口を閉ざすようなものではないと思ってる」
仕事自体が問題なのではない。
ただ、自分が選び、信じた部下たちと真の信頼関係を築けなかったことは、栞の尊敬を得られるものではないと、ミサトは悲しそうに微笑んだ。
「私のマネジメント力では、また迷惑をかけてしまうわ。今度はあなたたちに問題が降り注ぎ、守れないかもしれない」
「そんなことは……っ」
「いいえ。これは経営者としてあってはならない死活問題よ。これまでのエステ店経営の経験でできると思っていたけれど、私の考えが甘かったわ」
似たような店舗経営に見え、実際はまったく非なるものだったとミサトは自嘲気味の苦笑を洩らす。
「私自身、改めて一人のエステティシャンとして一人一人のお客様ともっと向き合う時間を持つべきなのかもしれない」
お客様に寄り添うために。自分自身を見つめなおすために。
そう言って、前を向いたミサトは胸を張る。
「私は母親としては失格だから。せめて仕事の面ではあの子に誇れる自分で在りたい」
それから申し訳なさそうに苦笑したミサトの視線が迅へ向いた。
「ごめんなさい。私のエゴよ」
「いえ……」
元々ミサトは有言実行のしっかりした女性だ。
ミサトの決意が揺らがないことを理解した迅は、気持ちを持ち直せない中でも緩く首を横に振る。
「だからって、いきなりあなたたちを放り出したりはしないわ。そのあたりはちゃんと責任を取るつもりだから安心してちょうだい」
「移籍先の斡旋など、今後困らないようなサポート体制は取るつもりよ。もちろんforestを選んでくれたお客様たちにも最後まで寄り添いたいと思ってるわ」
言っていることは理解できる。だが、すぐに気持ちを切り替えられるわけがない。
迅はしばし沈黙し、指先にぐっと力を込める。
「……わかりました。でも、少し時間をください」
「もちろんよ」
今後どうしていくかなど、この場で考えられるはずもない。
ミサトはゆっくりと頷いて、丁寧に謝罪の言葉を口にする。
「あなたには本当に最初から最後まで迷惑をかけて本当にごめんなさい」
「迷惑だなんてそんなこと……」
ミサトと出会ったことで迅の人生が変わったことはたしかだが、この一年で自分の身に降りかかってきた様々な出来事を迷惑だと感じたことは不思議となかった。
たとえforestが終わりを迎えるとしても、ミサトには最後の最後までミサトらしくいてほしいと思った。
「年明けすぐにミーティングを開いて、閉店の話をするわ」
「……閉店はいつ、ですか」
「一カ月後くらいかしらね。お客様にもお知らせしてお別れの時間を作らないと」
終わりに向かって具現化していく未来が、迅へ重く伸しかかる。
「わかりました」
了承する迅へ、ミサトは弱々しく微笑んだ。
「期待に応えられなくてごめんなさい」
「いえ……」
抗うことのできない終末に、迅もまた残った数口のアルコールを呷ったのだった。




