第二話 決意②
「それじゃあ、乾杯」
「乾杯!」
今日会ったばかりだというにもかかわらず、付き合いが長いような空気になってグラスを傾ける。
ミサトとはDMでやり取りしている期間が長く、迅が勤める製薬会社が美容系の製品も取り扱っていることもあり、お互いの本業で情報交換するようなこともあったため、最初から距離感が近かった。
「なかなかよかったわよ。マッサージも性感も」
「ありがとうございます。そう言ってもらえるとほっとします」
どうやらミサトは迅のことを殊のほか気に入ってくれたらしく、遠慮せずにどんどん飲んでとお酒を進められているうちに、お酒が決して強くはない迅はすぐに酔いが回り、ついつい口が軽くなっていく。
「今日お会いしたばかりで申し訳ないのですが……。実は、これが僕のセラピストとしての最後の仕事なんです」
「それは残念ね。もったいない」
「……そんなふうに思ってくれますか?」
後ろ髪引かれるような言葉をかけられ、思わず反応してしまった。
本当は辞めたいと思っているわけでは……、この仕事に嫌気がさして辞めることを決めたわけではない。
職業柄観察眼が鋭いのか、そんなささいな迅の迷いを見抜いたらしいミサトは、神妙な顔つきになって尋ねてくる。
「なにかあったの?」
「……実は……」
本当は言っていいことではないのだが、アルコールの力もあって、今日が最後になるに至った経緯をあらいざらい話してしまった。未練たらしく愚痴った迅へ、ミサトはワインを傾けながら同情の気持ちを向けてくれた。
「なるほどねぇ……。なるほど」
ふむふむ、と頷きながら呟きを洩らし、迅の話を思案しているミサトはなにを考えているのだろう。
一人なにかを考え込んでいるバスローブ姿のミサトを眺めながら、迅はグラスに残っているワインを口にする。
内部の話をすることはよくないことだとはわかっていたが、これが最後ということで、少し自暴自棄になっていたところもあるのかもしれない。
お節介なおば様風のミサトには、つい愚痴を零したくなるような雰囲気があった。
「実はね。私、少し前から考えていたことがあって」
「はい」
足を組み直し、顔を上げたミサトから真っ直ぐ目を見つめられ、迅は深い頷きを返す。
なんだかバーで普通に飲んでいるような空気感になっているが、セラピストたるもの、本来はお客様の話を真摯に聞くことも仕事の一つだ。
なにやらじっくりと悩んでいたようだが、迅が相談に乗れるようなことならしっかりと向き合おうと思った。
果たして、ミサトが考えていたこととは。
「新規事業を立ち上げようと思っていて、高級サウナ店と女風店と、どちらにしようかずっと悩んでいたのだけれど」
予想だにしない悩み事に、迅の目は見開いた。
ミサトがパワフルな経営者だということはわかっていたが、新事業をはじめようとしているとは思ってもいなかった。しかも、その事業内容が内容だ。サウナ店はともかくとして、もう一方のほうは想像できるはずもない。
「どうかしら?」
「……なにがですか?」
漠然とした質問を向けられて動揺する。
どう、とは、「高級サウナ店と女風店とどちらがいいと思うか」という迅の個人的な見解を聞いているのか、それとも「ミサトに新規事業を成功させることができるのか」という疑問に背中を押してほしいのか。
だが、結果はそのどちらでもなかった。
「もし、私が女風店を立ち上げたら、ついてくるつもりはある?」
「え……」
「心機一転。あなたにそのつもりがあるなら、だけど」
真剣な瞳を真っ直ぐ向けられて息を呑む。
まさか、そんな誘いを受けるなどとは青天の霹靂にもほどがある。
今日でセラピスト業は最後だと。これで終わりにするつもりだったのに。
――『ごめんね。傷つけるかもしれないけど、迅のために最後に言っておいたほうがいいかなと思うことがあって』
いつか見た、申し訳なさそうな女性の顔がぼんやりと頭を過ぎった。
この仕事を始めた〝答え〟を、自分は見つけることができたのだろうか。
「とても嬉しいお言葉です。ありがとうございます。ただ……、今は考えられないです」
すぐに答えが出せるはずもなく、迅は猶予を願い出たのだった。




