第二話 決意①
サクラと会うことができた数日後。二ヵ月以上前からずっとDMでのやりとりを続けていた女性から予約の打診を受けた。
辞めることが決まっている状況で、今さら新規のお客様に会うつもりはなかったが、是非一度会ってほしいと猛アプローチを受け、かなり迷った末に会うことにした。
予約の候補日として出された日は奇しくも年の瀬で、スケジュール調整を経て、クリスマス直後の二十七日の二十時に、迅は女性の待つホテルへ向かったのだった。
これが、セラピストとしての最後の仕事で、これから会う女性が最後のお客様になる。
初めて会う女性との時間が最後の仕事になるということに、なんとも言えない感情が湧いてきて、エレベーターに乗り込んだ迅は自嘲気味の笑みを零した。
くれぐれも、悔いのないように。
今日まで約八カ月培ってきたセラピストとしての力をすべて出し切ろうと気合が入った。
女性たちとの逢瀬は大体がラブホテルだが、今回指定されたホテルはシティホテルだった。
二ヵ月以上に渡るやりとりから、相手がどのような立場にある女性なのかという情報は得ているものの、実際に会ってみるまでは本当の雰囲気というものはわからない。
聞いていた部屋番号を確認し、扉の前に立った迅は、一呼吸ついてから呼び出しボタンへ手を伸ばす。
「はーい」
すぐに返事があり、扉が開かれた。
少しグレードの高い部屋で迅を出迎えてくれた女性は。
「ミサトさんですか? はじめまして。ハヤトと申します」
年はアラフィフ、と聞いていた。そして己の腕一本でのし上がってきた経営者だという事前情報の通り、堂々とした雰囲気を纏っている女性へ、迅は笑顔で挨拶をする。
「どうぞ。入って」
「お邪魔します」
とにかくマナーは大事だ。部屋に足を踏み入れる前にきちんと頭を下げ、迅は室内へ案内してくれる女性についていく。
迅が受けた第一印象としては、お節介なおば様風、というところだろうか。
DMでのやりとりから得た情報としては、女性のための美容サロンを十数店舗手がけている女性経営者ということで、昼夜問わず常に忙しくしているイメージがあった。
だからこそ、本業のある迅との予定がなかなか合わず、今日まで延び延びになってしまっていたのだ。
お金には困っておらず、とにかく楽しいこととイケメンが好きだというミサトは、定期的に複数のセラピストを呼んでいるとのことだった。
「本日は、ご指名くださりありがとうございます」
迅が所属する店舗グループには、お客様に行う独自の挨拶というものがあった。
寝室に入る一歩手前で足を止めた迅は、ミサトがこちらに振り向いたのを確認してから丁寧に頭を下げてみせる。
「あらためてご挨拶させてください」
ミサトの前に進み出ると床へ膝をつき、目の前にある右手を取った。
サービス創設時から行われていたという伝統の挨拶は、女性の前に跪いて手を取り、相手の顔を見上げながら自分の名前を名乗るという、〝跪き挨拶〟というものだ。
「シークレット・ラバーズ本店から来ました、ハヤトと申します。お会いできて光栄です。短いひとときですが、どうぞよろしくお願いいたします」
騎士が王女に忠誠を誓うように恭しく頭を下げ、そっと手の甲に口づける。
手の甲へのキスは、古来より忠誠と信頼を表すもので、「あなたを大切にします」という意味があるという。
何百といるセラピストの中から自分を選び、こうして会ってくれた女性にたいしての最高の敬意を。
そして、これから自分に身体を預けてくれることにたいして、「安心して任せてほしい」という気持ちを込めて。
そんな思いを胸に抱いて、迅はいつもこの挨拶をしている。
「なんだか思っていた感じとちょっと違うけど」
「えと……、それは、いい意味で、でしょうか。悪い意味で、でしょうか」
この挨拶を初めて受けた女性はたいてい驚き、恥ずかしがるものだが、利用歴が長いというミサトは慣れた様子で堂々としたものだ。
迅をまじまじと見つめて最初に告げられた言葉がそれなのかと、迅はミサトの真意を考えあぐねて遠慮がちに窺った。
店舗のホームページには所属するセラピスト一人一人の紹介ページがあり、そこには宣材写真と呼ばれるセラピスト個人の写真が何枚か掲載されているのだが、サービス内容が性を扱っていることもあり、その写真には一定の加工が施されていた。
顔を一切隠すことなく載せているセラピストは数多くなく、大体が顔の下半分を手やマスクで隠したりモザイクをかけていたりする。
迅にかんして言えば、本業である職場に兼業届を出すことなく秘密でしている副業のため、細心の注意を払って顔全体にモザイクをかけていた。兼業はともかく、そもそも風俗従事が許されていない職場であるため、知り合いに見つかるようなことがあれば大変なことになってしまう。
つまりは、顔以外の全体的な雰囲気から想像していた人物と実際に会った迅との間にかなりの乖離があったのかと問いかければ、ミサトはくすりと意味深に唇を引き上げた。
「さぁ、ね?」
「ミサトさん……っ」
ミサトは、迅より二十歳ほど離れた大人の女性だ。
たぶんからかわれているのだと思うのだが、迅の第一印象がお気に召さないものであったならどうしようかと心配にはなってしまう。
「まぁとりあえずどうぞ。座って。少し話しましょう?」
にこりと笑って奥のソファへ座ることを促してくるミサトからは、不快の感情は見られなかった。
ゆっくりと立ち上がると迅の顎の辺りにミサトの頭があって、思ったよりも背は高くないのだな、とぼんやりと思った。ミサトの体型は、華奢でも小柄でもなく、極々標準的な中肉中背タイプだ。
「はい。失礼します」
朗らかに笑ってソファへ向かう。
ミサトからもらった予約は三時間。全体の流れを考えるとそれなりにゆとりが出る時間配分だ。
雑談を交えながら今日の施術にたいする希望や好みを聞き出し、カウンセリングシートに書き込んでいく。このあと行うマッサージを満足してもらうために、ここでの聞き取りはもちろんのこと、言外の気持ちを察することには細心の注意が必要だ。
そうしてミサトの希望で一緒にシャワーを浴び、通常マッサージは短めで性感マッサージへ移った。
これが最後の仕事かと――今までの集大成かと思うと気合が入り、自分ではかなりしっかりとした施術ができたと思った。
だが、このあと一緒にお風呂を楽しむ時間を考慮しても、まだ時間があった。
それならば少し休んでからもう一度性感マッサージを……、と考えたのだが、それはミサトのほうから辞退され、残った時間は一緒にお酒を飲むことになった。




