第十四話 混沌①
アオとの衝撃的な電話が切れ、それぞれが今起きている現実をなんとか受け止め、整理しようとするかのように口を閉ざし、長い沈黙が流れた。
アオに関する対処は最優先事項だが、だからといってこの件を後回しにするのも違う気がして、迅は一度アオの件を頭に中から追い出すと、重苦しい空気へ切り込んだ。
「こんな時に申し訳ないのですが、これもまったくの無関係というわけでもないので、ご報告したいことがあります」
今度はなんだとばかりの視線が迅へ集まり、ミサトがいつもより覇気のない声色で口を開く。
「なにかしら」
「マリの件で」
「あぁ、そういえばそうだったわね。ごめんなさい。忘れていたわけではないけど、つい」
「いえ」
「聞かせてちょうだい」
先日の話の続きであることを告げれば、今日が例の木曜日だったことを思い出したらしいミサトは姿勢を正し、その目には力が入った。
アオの騒ぎで記憶が飛んでしまったとしても、誰も責められない。
「ここに来る前に、シンヤさんと会ってたんですけど」
「シンヤさん、って……、シクレ本店オーナーか?」
事情を知るミサトとラブホが緊張を漂わせる中、フウガからは「なぜそんな人と」というような驚きの声が上がる。
「知ってるんですか?」
「有名だからな。たしかシクレグループ創立メンバーの一人で、長きに渡ってグループの全国ナンバーワンとして君臨し続けた人だとか」
よくも悪くも他人のことに興味がない上、元々出身が関西ということもあり、フウガがシークレット・ラバーズ本店のオーナーを知っているなど意外だと目を丸くするラブホに、フウガは肩を竦めて「噂で聞いた」と口にする。
「あ。そうなんだ」
「……お前、元本店キャストなのに知らなかったのかよ」
思わず知らなかったという反応を返せばフウガから呆れたような目を向けられて、迅は気まずげに苦笑いを浮かべる。
「いや。伝説級の噂話はあちこちで聞いてたし、そうなんだろうな、くらいの認識はあったけど、改めて聞かされると本当にすごい人だったんだな、って」
他人の過去の功績を耳にした場合、普段であれば素直に尊敬の念を抱くのだが、この世界でどんな栄光を得た人間だったとしても、心を動かされないのはなぜなのだろう。
「なんかそういうところ、ジンさんらしいです」
「そうですか?」
ラブホが感心したように失笑するが、自分らしいと言われる評価はあまりぴんとこなかった。
「そもそも、オレに今回のアオの件を最初に教えてきたのはシンヤさんなんです」
「え……」
とりあえず話を元に戻して自分がアオのスキャンダルを知った経緯を告げれば、ラブホは目を見開いて固まった。
「まさかとは思うけど、A子さんの件も裏でシンヤさんが関わっていたりするのかしら」
「そこまではなんとも……」
眉を顰めたミサトの呟きに、迅は困ったように苦笑を零す。
可能性はないとも言えないが、今の状況で真実がわかるはずもない。いくら迅のことが気に入らないとしても、さすがにそこまでするのかとも思ってしまう。
「それで、なぜそこまで私たちのことを目の敵のように思っているのかはわかったの?」
そこなのだ。
先日もまず抱いた疑問の答えを求められ、迅は眉を下げると助けを求めるようにミサトの顔を見つめた。
「それが……、一応はわかったんですけど、根本的なところは理解できなくて」
「どういうこと?」
詳細を求めてくるミサトに、迅は困ったように苦笑する。
シンヤの主張自体はわかったような気がしているが、自分にはないあの思考を自分の言葉で言語化するのは難しい。自分なりの解釈をして話すことは正確性に欠ける危険性がある気がして、とりあえずシンヤと交わした会話をできる限り詳細まで思い出し、原文のまま話す努力をする。
するとやはり、元から表情に乏しいフウガは置いておくとして、ミサトもラブホも気難しげな表情になっていき、話を聞き終えるとまずミサトが悩ましげに口を開いた。
「なにかしら。選民意識でもあるのかしら?」
「そういうのともちょっと違う気はしますけど……」
なんだか企業というより軍隊のようなピラミッド構造を感じるが、シンヤに陶酔する宗教の教祖のようなものは感じない。
「でもなんか、人のことを盤面の駒のようにしか見ていない薄ら寒さはありますよね」
「そんな人が元ナンバーワンとか、オレには信じられないんですけど……」
己が抱いた感想にラブホは思わず腕を擦る仕草をし、迅は本気で理解できないと困惑する。
女性の身体と心に寄り添う、という謳い文句とはまったく真逆に位置する人間が、どうしたらナンバーワンの称号を得ることができるのだろう。
「まぁ、ただポイントを稼ぐことだけを考えた時には邪道な手段なんて山ほどあるしな」
通常料金ではなく、はじめから延長料金を前提に予約する。〝応援入金〟という、その名の通り、予約をすることなくただ応援するためだけのお金を払う。
意味のわからないシステムが数多く存在することに皮肉げに冷笑するフウガへ耳を傾けながら、迅は胸を痛ませる。
「マリも、なんであんな人のこと……」
少しは目が覚めたらしいが、完全にシンヤの呪縛から逃れるために、なにか迅にできることはあるのだろうか。
「とりあえず、今日はもう遅いからここまでにしましょう。明日、トウマとカナタも呼んで、今後の緊急ミーティングを開くわ」
詳細は追って連絡すると言って、ミサトは解散を告げてくる。
「それまでに今後の対策についてはまとめておくから、今夜はしっかり休んでちょうだい」
「はい」
「わかりました」
ラブホとフウガが静かに返事をする中、そういうミサト本人はかなりの無理をするのではないかと心配になりながら、迅も頷いたのだった。
*****
運良く空いた席に座ることができた迅は、しばらくぼんやりと電車に揺られていたものの、もらっていたラインへの返信ができていなかったことに気づいてスマホを取り出した。深夜であることを気にしながらもラインの返事を打っていく。
――『ごめんね。いろいろバタバタしてて、返事をするの遅れちゃった。なにか気持ちの変化でもあった?』
時間帯が時間帯だけに返信をためらったのは、相手が高校生――ミサトの娘である栞だからだ。
もう寝ているだろうと思ったが、しばらくすると新着通知が入り、迅は驚きながら栞の返信を確認する。
――『もうすぐ、母の誕生日なんですけど、ご存知でした? 十二月二十二日』
――『そうなの? 知らなかった』
過去にミサトの誕生日を聞いた記憶はないが、娘の次は母親かと、なんとなく笑いが洩れてしまう。
ずっと離れて暮らしているというのに、お互いの誕生日を気にしているなど、似た者親子で微笑ましい。
さらには。
――『だから……、というわけではないんですけど。一歩踏み出すにはいい日かな、って』
誕生日を理由に動こうとする思考も同じで、栞が迅へなにを求めているのかと、返信に悩んで手を止めた。
だが、迅からの返信を待つことなく、栞のほうから話を続けてくる。
――『正直な話、母がしたことは未だに許していませんし、許せる日が来るとも思えません』
喫茶店で話した時にも栞は言っていた。
家の中で見かけるミサトはいつもバタバタと忙しそうで、母親らしいことをしてもらった記憶はなく、寂しい思いをしていたと。
ただ、高校生になり、女性の社会進出について考えさせられる機会があり、一番に思い出したのがミサトのことだったという。
男女同権が叫ばれる世の中で、働きたい女性が子供を産むことの難しさ。育児と仕事の両立。
父親が母親代わりになるかといえば、どうしても埋められない寂しさはあり、そして、ミサトと別れた父親も栞を引き取ったはいいものの男手一つで育てるのは難しく、結局祖父母と同居することになった。
幼い頃はわからなくとも、成長するにつれて見えてくる世界はあり、バリバリ働きたいミサトの気持ちは理解できるようになったものの、離婚の決定打になった不貞行為だけは許せないと、栞は苦しそうな表情で語っていた。
まだ高校生の身でそこまでのことを考えられる栞は、かなり賢いのだろう。さすがはミサトの娘だと、その時迅は感心してしまった。
――『会って話したからって、母を軽蔑する気持ちが変わるわけじゃない。だけど、あの日から止まったままの時間を動かすことはできるのかな、って』
――『あの日、って?』
――『わたしの七歳の夏休み。母が出ていった日です』
再び、迅の指先は止まった。
――『仕事人の母はいい母親ではなかったですけど、でも、どんなに忙しくても辛そうにしている顔なんて見たことなかったのに、あの時だけは見たことないくらい辛そうで、今にも泣きそうな顔をしてました』
――『最低な母親でごめんね、って。自分みたいになっちゃダメよ、って。元気でね、って出ていった後ろ姿が今でも目に焼き付いてます』
――『母親らしいことをしてもらった記憶なんてないのに、その時以外のことで思い出す母の姿は、忙しそうにしていてもいつも笑顔で、幼心に愛情を疑ったことなんてなかった』
――『だからこそ、どうして裏切ったのか許せなくて。でも』
――『わたしも少しだけ成長して、母の愛そのものに偽りはなかったんだって思えるようになって』
――『離婚した次の年から、毎年わたしの誕生日に母がこっそりわたしの様子を覗きに来ていることには気づいてました。最初は怒りが強かったですけど、月日がたつにつれて少し嬉しく思うようになっていて』
――『気づけばほかのどんな誕生日プレゼントよりも、こっそり自分を見ている母の姿を見るのを楽しみにする自分がいました』
――『わたし、今もちゃんと母に愛されていますよね』
――『母のことは許せないまま、会ってもいいでしょうか』
栞から連投して送られてくるラインを見つめ、どう返信するかをしばし悩む。
ミサトが、ずっと栞のことを思っていたことは間違いない。
「もちろん愛されてるよ」と打った返信を、送信することなく消去した。
――『栞ちゃんは本当に偉いね。オレはその一歩踏み出す勇気を後押ししてあげたいと思ってる』
ミサトと栞の二人に自分ができることはなんだろうか。
一歩、前へ。
それは今の自分にも言えることで、迅は顔を上げると気を入れ直していた。




