第十三話 対決、そして……④
直後、全員の視線がミサトのスマホへ集中し、ミサトの指が通話ボタンを押してすぐにスピーカーモードにする動作が見えた。
「アオ!? 今どこにいるの!? ネットニュースで書かれていることは本当なの!?」
ミサトはテーブルの中心にスマホを置くと、開口一番で電話の向こうのアオへ詰め寄った。
――「あー……、すみません。今ちょっと遠出してるんですよね。で、終電もなくなっちゃうんで」
一応はラインのほうへ送った緊急呼び出しを見てから電話をかけてきたらしい。今夜中には応じられないと言うアオだったが、どこか舌足らずな口調からアルコールが回っていることが窺えた。
「……まさか、お客様と一緒じゃないでしょうね?」
日を跨ぐような遠出――つまりはプチ旅行と聞いてまずミサトが疑ったのは、相手が無料会いの女性ではないかということだった。
――「お金ももらわずにそんなことするわけないじゃないですか。業界時代の友人たちと遊びに来てるんですよ」
だが、アオはそれをあっさり否定して、「やだな~」とヘラヘラ笑っている。
たしかにアオの性格上、無料で女性と会うようなことはしなそうだが、ここまで問題行動が続くと裏引き行為すら怪しく思えてくる。
「それで、なにがあったの!?」
――「……俺、その週刊誌、ちゃんと読んでないんですよ。ただ、ダチがおもしろがって見せてくれたネット上の噂を見る限り、まぁまぁ捏造されてます」
報道内容の真相を迫るミサトへ、アオは嫌そうな声色で嘆息する。
まぁまぁ捏造、ということは、それなりに本当のことも書いてある、というように受け取れるのだが、勘ぐりすぎだろうか。
――「強引にヤったりなんてしてないッス。俺の顔がマジで好きらしくて! あと、俺の顔をした男の子がほしいとか言うから」
だから多少強引に迫った部分はあったとしても、同意の上の行為だったとアオは主張する。
とはいえ女風で行う性的サービスは、同意だからと本番行為をしてはいけないことは今さら言うまでもない。
しかも、アオの言い分を聞くに、女性が施術前の睦言で告げた「アオの子供がほしい」という言葉が、そのまま本番行為を求めていることには繋がらない。
――「可愛い子だったんで。本当に子供が産まれればかなりの美少年になりますね!」
自分が置かれた状況をどこまで理解しているのか、危機感などまるで感じていない明るい声で、アオはそんな感想まで口にする。
「それじゃあ産んでもらうの」
――「まさか」
「はぁ?」
アオのその反応からするに、どうやら相手の女性が妊娠してしまったことは事実らしい。
だが、無責任にもヘラヘラと笑いながら冗談も混ぜるアオの返答に、ミサトの眉間には深い皺が寄った。
――「勝手に産まれても困りますけど。結婚も養育費もいらないから認知だけはしてほしいって言われて。さすがに勘弁してくれよ、って」
「それで暴力に発展したの」
酔っているためか、アオの態度も口調もいつもより荒くなっているように感じた。
声質が低くなったミサトの詰問に、姿の見えないアオが不満そうにふくれっ面になる気配が窺えた。
――「それも印象操作すごいッスね。別に殴ったり叩いたりしたわけじゃないですよ。ただ、それなりに口論にはなったので、肩を掴んだりとか軽く押し倒したのを暴力行為だって表現にされたんだと。あいつらマスゴミがよくやる手です」
「……それを信じろ、って?」
――「そんなことを言われても。俺は本当のことしか言ってないですし」
アオとミサトの話が続く中、そこで室内の様子を窺うように静かに扉が開かれ、予約上がりのフウガが顔を覗かせた。
スピーカーモードでアオと話していることをすぐに察したらしいフウガは、気配を殺しながら迅の隣に座り、小声でこそっと状況を窺ってくる。
「悪い。遅くなった。どうなってる?」
「……それが……」
アオとミサトの話に耳を傾けつつ、こちらの会話が聞こえないように潜めた声で手短に状況を説明すれば、フウガは大きく肩を落として嘆息した。
「……なるほどな」
「なんか……、ごめん」
フウガからアオに関する警告を受けていたというのに、事前に対処しきれずこんなことになってしまった。
もっと危機感を持って対応していれば、と後悔してももはや遅い。
「とりあえず状況はわかったわ」
アオには未だに〝月城蒼のその後〟を追ってくる粘着質な記者が一人いるらしいという話まで聞いたところで、頭を抱えたミサトが話を切り替える。
「それで、今後のことだけど」
――「はい」
「今入っている予約はお客様に事情を話してすべてキャンセルしていただきます。もちろん、新規予約も停止します」
普段の気さくな姐さん上司から経営者の顔になったミサトは、厳しい声色と口調で当面の処遇をアオへ命令する。
当然の処置だと迅は思うのだが、電話の向こうのアオからはびっくりした空気が伝わってくる。
――「え。それって仕事したらダメってことですか?」
「今の状況なら当然でしょう! 自分がなにをしたか、ことの重大さがわかっていないの?」
――「女性側からキャンセルをしてこない限り、俺と引き続き会いたいってことだから、予約は受けてもいいんじゃないですか? お店にもお金が入ったほうがいいですよね?」
その瞬間、迅の脳内には不貞腐れたように唇を尖らせるアオの姿が浮かび、がっくりと脱力しそうになった。
一般人でも恋人や妻以外の女性を妊娠させたら大変なことになると思うのに、どれだけ当事者意識が薄いのだろう。
「絶対にダメです。オーナーとして断固許しません。」
――「待ってくださいよ~。こっちにも生活ってものがありますし」
「なにを勝手なことを……」
――「えー……、それならほかのところでやっていこうかな」
「は?」
さらりと不満を洩らしたアオの発言に、ミサトだけでなく、その場にいる全員が己の耳を疑って固まった。
「は?」
「え?」
「なんて?」
全員が全員、「聞き間違い?」「いや、まさかそんなはずは」と自問自答し、移籍を匂わせるアオの言葉を困惑と動揺の中で噛み砕く。
だが、こちらの時間が混乱で止まる中、アオは呑気に一人で結論を出す。
――「そうですね。そうします。今日で辞めさせてください。今までお世話になりました」
「……なにを言っているの?」
――「だって、これじゃ廃業も同然じゃないですか」
「自分がそれだけのことをしたっていう自覚はあるの」
――「ただの痴情のもつれじゃないッスか。それをマスゴミはおおげさに」
呆れてものが言えない。開いた口が塞がらない。という言葉を、人生でここまで体感する日が来るとは思っていなかった。
――「とにかく、稼げないんならもういる意味ないんで」
「どこまで自己中心的なの。ふざけるな、この大バカ者! もう勝手にしなさい……!」
ミサトのこめかみの血管が切れるような音が聞こえたような気がするのは、さすがに幻聴に違いない。
ただ、それほどまでに呆れを露わにしたミサトの怒号も、アオには虚しく響いただけだった。
――「あ。じゃあそうさせてもらいます」
直後、通話はあっさり切れ、スマホはホーム画面になる。
「あ……っ」
「あ!?」
まずはラブホが目を大きく丸くして、次にミサトが我に返ったように声を上げる。
「ミサトさん……!」
「やだ! つい勢いで……!」
慌てて声をかけた迅に、ミサトは「しまった」と口元を手で塞ぎ、もう片方の手でテーブルの上のスマホを引き寄せる。
「気持ちはわかりますけど……」
ここまでのことをしでかしておきながら反省の色が見えない人間を見放したくなる気持ちは迅にもよくわかる。
だが、それは今ではない。
正気に戻ったミサトもそれはきちんとわかっているのだろう。再度アオへ電話をかけるが、繋がる様子は見えなかった。
さらには。
「……着信拒否されたわ」
「え!」
信じられないとばかりに呟かれたその言葉に、迅は大きく目を見張る。
アオにしてみれば「鬱陶しい」くらい気持ちなのだろうが、さすがに無責任が過ぎるのではないだろうか。
「……やっぱりか」
改めてアオの行動に失望していると、隣からフウガの溜め息が聞こえ、それと同時にマナーモードにしていた迅のスマホが着信を告げてくる。
迅は緩慢な動きで通知画面を確認し――、その目はさらに大きく見開いた。
「アオ!?」
「はぁ!?」
全員の顔が一斉に迅へ向き、次に、迅が持ったスマホへと視線が落ちる。
「……もしもし……?」
ミサトの時と同じくスピーカーモードにし、手にしたスマホへ慎重に対応する。
――「あ。ジンさん。さっきのミサトさんとの話、聞いてましたよね?」
「え。あ、うん」
「そういうことなので、先月のクレカ分の売上はちゃんと俺に支払ってください、って言っておいてください」
「アオ……。そうじゃないだろ……」
なんの話があってかけてきたのかと思えばそれなのかと、迅は深々と頭垂れる。
――「あとでジンさんの家に取りに行きますね」
「もう、すぐにでも荷物を纏めて出て行ってくれ。鍵はポストに入れておいてくれればいいから」
そう、大きなキャリーケース一つ分のアオの荷物はまだ迅の家に置いてあるのだ。
さすがにもう面倒見切れないと別れを告げれば、アオはあっさり了承した。
――「はーい。了解でーす」
「だから、そうじゃなくて。アオ」
間延びした返事に、今一番の問題はそこではないとハッとなる。
だが、アオのマイペースさは変わらない。
――「あぁ、そうだ。それから、アイツに堕ろせ、って改めて伝言しておいてください」
「……は?」
――「じゃ、お願いします」
「は? はぁぁぁ!?」
まずは、アイツ、とは誰のことか。
すぐに週刊誌の「A子さん」であることはわかったが、状況への理解が追いつかない。
――「お世話になりました~~」
「ちょ……っ、アオ! 切るな! 待て……!」
一方的に切られる予感に慌てて制止の声を上げるものの、迅の願いが届くことはなかった。
「……切れた」
ホーム画面を愕然と見つめ、迅は疲れた顔でミサトを窺う。
「……どうしましょう。またかけましょうか」
「……いえ。それであなたまで着信拒否されても困るから」
最後の頼みの綱だと告げてくる瞳に、渋々スマホを元に戻す。
「……たぶん、嘘はついていないと思うので事情は理解しましたけど……」
アオがとんでもない問題児であることはたしかだが、嘘をつくようなタイプではない。
「これからどうしましょうか」
それぞれの顔を窺う迅に、三種三様の大きな溜め息が吐き出された。




