第十三話 対決、そして……②
そこまで想像が及んでいなかったが、考えてみれば、その適性検査をすべてマリ一人で引き受けるには無理がある。
いったいどれだけの女性の心を利用してきたのだと言葉を失う迅の衝撃がシンヤに伝わるはずもなく、シンヤは不快そうに己の主張を展開する。
「そもそもあの女はユーザーだ。私は入るセラピストを指定しているだけで、私の存在があろうがなかろうが女風利用は変わらない。元々私が指示する前からマリはお前と会っていたんだろう」
自分の意思が弱いマリの性格を利用して、どうせ女風を使うのならば、シンヤが指定したセラピストを指名させる。そこになんの問題があるのだと言わんばかりのシンヤの思考は、迅には到底理解できそうにない闇が潜んでいる。
「ちなみになにか勘違いしているようだから言っておくが、罰金を取るために適性検査を行っているわけじゃない。ウチが厳しい誓約を設けているのは、あくまでも厳格にルールを守ってやってほしいからであり、適性検査はそれができているどうかを判断するためのものだ。あくまでも表向きはな」
シンヤの口の端が皮肉気に引き上がり、その冷たい空気に呑まれそうになる。どんな経験をしてきたら、そのような思考が形成されるようになるのだろう。
「女性の誘惑に簡単に惑わされるようなセラピストは必要ない。お前たちセラピストはすぐに調子に乗って勝手なことをやり出すからな。それを防ぐための仕掛けを作っているだけだ」
冷たい視線を正面から受け止めて、迅は拳を握り込む。
シンヤが言っていることをすべて否定するつもりはない。独特な夜の世界だからこそ、秩序は守らなければならないと思っている。だが、シンヤの信条は明らかに度を超えている。
「統率は必要です。でも、あなたがしていることは――〝支配〟だ」
迅が放った反論の刃は真っ直ぐシンヤに向かっていき、切っ先くらいは届くかと思ったものの、シンヤの口元はおかしそうにふっと緩んだ。
「なにを……」
「いや」
その時、タイミングが悪いことに、バーテンダーが酒を運んできて、話は中断してしまった。
音もなく二杯の酒が置かれる光景を見守って、バーテンダーが無言で頭を下げて去っていくのを待ち、シンヤは新しく運ばれてきたマティーニのグラスを揺らす。
「そもそも、女性の甘い言葉に乗ってしまう自分たちが悪いとは考えないのか?」
「本番が許されない行為であることはみんなわかっています。ですが」
「だったらなぜ規則を破る」
「……っ」
シンヤが持つグラスの中で、透明な液体に入ったオリーブが揺れた。
「……それは、心があるからです」
「心?」
「きっと、あなたにはわからないんでしょうね」
「わからないな。必要もない」
冷たく響く言葉を耳にして、この男は心をどこに置いてきたのだろうとふと思った。
その瞳に移る景色は、もしかしたら色のない白黒の世界なのではないだろうか。
「あなたのように、誓約書を逆手にとってセラピストを縛り付けるようなやり方は間違っています。そんなふうに締め付けるから、提供するサービスが均一化していく。ここ最近、多くの女性たちから『本店のセラピストは個性を感じられない』という声が上がっていることはご存じないんですか? オレは、forestでは、サービスの品質をどのように高めていくかを追及し、努力して、みんなで店の評判を上げていくこと考えていきたいと思っています」
「お前は、私たちのやっていることを否定するんだな」
シンヤの唇が冷たい笑みを刻み、目は値踏みするように細くなる。
「女性たちが本当の意味でオレたちセラピストになにを求めているのか、本気で考えたことがありますか? 幸福感、癒し、ときめき、性の解放。女性によって求めているものは違います。それなのに、あなたのやり方は頭数ばかり揃えて全員が同じようなプレイをして。あなたはそれでいいと? それが最近の本店のリピート率の低さに繋がっているんじゃないですか?」
「お前の立場で偉そうに語っていい話ではない」
自らの信念を貫いて自分を糾弾してくる迅にさすがにプライドを逆撫でされたのか、シンヤはわずかな苛立ちを覗かせて瞳を鋭く光らせる。
「オレたちは一緒に働いてくれる仲間を大事にしています。そして女性がより癒しを感じてもらうためにはなにが必要かを考え、実践していきます。シクレ本店のように、縛り付けることはしたくない。」
「綺麗事だな。セラピストは経営者にとって駒であり、おもちゃだ。駒はなにも考えずただ従っていればいい」
「人を真の意味で動かすのは心です。駒では心は動きません!」
心があるからこそ人は傷つき、そして優しくできる。
セラピストとして数多くの女性たちと接してきた迅だからこそわかることがある。
身体が歓びに溢れても、心が満たされなければ本当の救いにはならないのだ。
心のない触れ合いは、むしろ空虚さを大きくする。だからこそ、迅は女性たちに寄り添いたいと思うのだ。
「詭弁だな。まぁ、せいぜい頑張るといい。結局この業界は次々と新しい店ができては私たちのところまで届かず消えていく。これが資本主義で真理だ」
「頑張りますよ。オレはオレたちのやり方が正しかったと証明していく……!」
「おっと……?」
その時、シンヤがテーブルの上に置いていたスマホが震え、素早く通知を確認したシンヤが妖しげな微笑みを浮かべた。
「……なんですか」
嫌な予感が胸を過ぎり、迅は急速に喉が渇いていく感覚を覚えながらシンヤを見つめた。
「いや? 改めて自分の正しさを確信しただけだ」
「……なにを……」
もったいぶるようにグラスの脚を指先で撫で、シンヤはオリーブを口に運んで薄く笑う。
「週刊誌なんて下世話なものは普段あまり読まないんだが……。面白いものがネットニュースのトップになっているぞ?」
「え……?」
「お前の店だ」
「は……っ?」
くつくつと愉しそうに喉を鳴らして笑うシンヤに、迅は慌てて自分のスマホを取り出すとネットニュースを開く。
――「元VELVET ROUGE・月城 蒼。女、酒、暴行。転落した元アイドル。女性向け風俗セラピストの末路」
そう見出しのついた記事には、女性向け風俗店「forest」でアオが働いていること、そして客として〝アオ〟を指名して会いに来たファンの女性へ、不同意性交の末に妊娠させ、堕胎を迫って暴力を振るった旨の一連の出来事が書かれていた。
「な、ん……?」
これは本当のことなのか。
情報元は、以前、〝月城 蒼〟がVELVET ROUGEを脱退するきっかけになった一件をスクープした週刊誌だ。
目を見開いて絶句した迅は、乾いた唇でシンヤへ問いかける。
「……まさか、これもあなたの仕業なんですか」
「なにを言っている。お前たちセラピストは本当にどこまで他責思考なんだ」
forestを潰すための罠なのかと疑った迅へ、シンヤの冷ややかな声が突き刺さる。
「さっきの威勢のいい言葉が空しく聞こえるな。それよりも、こんなところで油を売っていないで早く店に戻ったほうがいいんじゃないか?」
「――――!」
「結局お前一人でなにができた? なにもできなかっただろう。その元アイドルの男のせいで、お前たちが綺麗事を並び立てて作った理想郷はこうも簡単に崩れて壊れていく。まるで砂の城だな」
だから自分に口を出せる権利などないのだとおかしそうに喉を震わせて、シンヤはチェックメイトを告げるように唇を歪ませてゆっくりとマティーニを傾けた。
「俺たち本店の心配をしてくれたことには礼を言おう。forestの未来を願って」
皮肉気にグラスを掲げるシンヤの前に一万円札を叩きつけ、迅は部屋から駆け出したのだった。
*****
エレベーターに乗った瞬間、一人だけの小さな空間にスマホの通知音が響いた。
forestの誰かからかと、慌ててスマホを操作した迅の瞳は見開いた。
――『母に会ってもいいんでしょうか』
栞――ミサトの娘からだった。




