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風を抱く ~女性用風俗のセラピストに求められること~  作者: 姫 沙羅 / 志陽


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第十三話 対決、そして……①

 マリと喫茶店で話をしてから十日ほどが過ぎ、迎えた第二木曜日。白シャツに黒のスラックスを穿いた迅はグレーのジャケットを羽織り、マリから教えてもらったバーに足を運んでいた。


「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」

「あ……、いえ。はい」


 正直にシンヤに会いに来たとは言えず、かといって待ち合わせだとも嘘をつけず、曖昧に誤魔化した迅はそっと店内の様子を窺った。

 会員制ではないはずだが、こんなことでもなければ迅には一生縁がないだろう高級バーだった。

 一人用のカウンター席もゆったりとした高級感溢れる黒革張りのバースツールとなっていて、薄暗い室内で間接照明に照らし出されたグラスが静かな光を湛えていた。

 そのカウンターの奥。ゆったりと脚を組んでグラスを傾けている人物を見つけ、迅は静かに距離を縮めていった。


「……シンヤさん。お久しぶりです」


 場違いが過ぎる迅とは違い、まるで最初からそこに溶け込んでいるかのようなシンヤが琥珀色のグラスを片手に迅のほうへと顔を向けた。

 艶のある黒髪に、切れ長の瞳。派手さはないのに妙に人目を惹く、夜の世界に長く身を置く者が纏う独特な色気が滲む三十代半ばの男性――が、以前迅が所属していたシークレット・ラバーズ本店のオーナー・シンヤだった。


「どちら様……」

「オレのこと、覚えてらっしゃいますか?」

「君はたしか……、ハヤトか。いや、今はジン、だったか。久しぶりだな。どうしてこんなところへ? まさか偶然ではないだろう」


 迅が自分に会うためにここに来たとすぐに察したのだろう。

 驚いてはいるのだろうが、動揺を表に出すことはなく、シンヤはゆったりとした動きで迅へ問いかけてくる。


「お隣、いいですか?」


 その質問に答えるよりも前に隣の空席を目で確認すれば、わずかに迷惑そうな気配が伝わってきたものの、譲りそうにない迅の空気を読んだのか、シンヤは一瞬部屋の奥へと視線を投げた。


「ならば向こうの個室に場所を移そう。……マスター」


 それだけですべてを察したのか、マスターと呼ばれたバーテンダーの男性は無言で頷き、席を立ったシンヤのテーブルから一度グラスを引き下げる。


「ついてこい」


 迷うことなく部屋の奥へ歩いていくシンヤについていくと、フロアよりもさらに照明が落とされた重厚感のある個室へ通された。

 壁際の小さなボトル棚にはデキャンタやグラスが並べられており、シンヤが自室にいるかのような自然さでソファへ腰かける一方で、迅は慣れない空気に居心地の悪さを覚えながらテーブルを挟んだシンヤの前へ席へ腰を下ろす。


「失礼します」


 そこで、店内のオブジェの一つであるかのように気配なく現れたバーテンダーがシンヤの前へ先ほど下げたグラスを置き、迅にはチャームのオリーブを差し出してくる。

 それから無難にジントニックを注文した迅へ無言のまま一礼すると、静かにドアを閉めて去っていく。

 遮光性も遮音性も高いのだろう重厚感のあるドアに空間を閉ざされると、途端に日常から切り離された感覚になった。


「オレがforestで働いてること、ご存知だったんですね」


 とりあえず落ち着いて話せる状況になったところで、迅は話を元に戻す。

 セラピストを捨て駒のように考えているのであれば迅のことなどすぐに忘れてしまいそうなのに、しっかりと今の源氏名まで知っているシンヤには内心驚かされた。


「あのあと、お前がウチを辞めると聞いて残念だったよ。今の店を見限るようなことがあれば、いつでもシクレ(うち)に戻って来てくれてかまわない」


 わざとらしく落胆した素振りを見せるシンヤは、迅の質問に答えるつもりはないらしい。

 微笑んでいるのに冷たさを感じるシンヤの瞳は、あいかわらず人を値踏みするような底知れなさがあった。


「戻る? それでまたオレに百万円を請求するんですか」

「人聞きが悪いな。元はといえばお前がルールを犯したことに問題があるんだろう。自分がどんな悪質な行為をしたか理解していないのか? お前は店の看板に傷をつけるような真似をしたんだ。そのあたりをしっかりと自覚しろ」


 ぴくり、と眉を反応させた迅が反抗的な目を向ければ、シンヤは心外だとばかりの胡散臭い空気を滲ませて、平然と己の正統性を口にする。


「ご自分で女性を使って本番行為を誘導しておきながら、よくそんなことが言えますね」

「ほう?」


 言い逃れは許さないとばかりにシンヤを睨み付ける迅へ、シンヤはおかしそうな含み笑いを洩らす。


「マリが教えてくれました」

「あいつが? それは意外だった。なるほどな」


 マリの行動はシンヤにとってある種の反抗であり裏切り行為となるだろうに、意外だと言いながら驚いた様子もなければマリに対する怒りや落胆も見えず、ただ皮肉気に口の端を引き上げただけだった。


「私は適正検査をしただけだ。ちゃんとルールを守ることができるセラピストかどうかを確認しただけにすぎない。その結果、お前はそのテストに落ちた。誓約を破った。それだけのことだ」


 優雅に足を組んだシンヤが浮かべた冷たい微笑みに、迅は膝の上に作った拳を握り締め、正面からシンヤを睨み付ける。


「その適正検査とやらになんの意味があるのかオレには理解できません。本当に被害を受けた女性がいるならそれは誠意をもって対応しなければいけないと思います。でも、被害者がいないのにセラピストは金を払わされている」

「被害者が出てからでは遅いことくらい、お前も常識的にわかるだろう。私たちには、お前たちを管理する役目がある。被害を未然に防ぐこともその一つだ。実際にお前も罰金を払った後にまた違反行為をしようとは思わなくなっただろう。お前たちはそうやって痛い目を見なければ学ばないし、育っていかない。私がやっているのはそういうことだ」


 ガラス玉のような無感情の瞳が迅を見つめ、その瞬間、グラスの中で氷が崩れる音が鳴った。


「お前たちは〝管理される側〟の人間だ」


 そして、シンヤたちは〝商品を管理する側〟の人間。

 淡々と自分の理論を語るシンヤへ、迅は負けじと奥歯を噛み締める。


「オレは適性検査自体を否定したいわけじゃない。ただ、騙し討ちのようなことをして高額な罰金を請求し、しかも大金を払わせた上でセラピストを続けるかやめるかの選択肢を迫ってくる。そのやり方がおかしいと言っているんです。こんなことでセラピストが育つと本気で思っているんですか?」


「育つやつは育つ。月に何百万も稼ぐセラピストもいる。ただ、セラピストになろうと思うやつらの大半は馬鹿ばかりだ。これくらいがちょうどいいんだよ」


 支配される側の愚能さを冷ややかに笑うシンヤに息を呑む。

 最初からわかっていたことはであるものの、平行線で交わることのないシンヤの考えに怒りが湧いてくる。


「本当は人を育てるなんてこと、考えてませんよね? 適性試験という名目でセラピストから金を巻き上げようとしているだけだ」


 ここまで言われてはさすがのシンヤも流せなくなったのか、こめかみがぴくりと動き、わずかな不快を露わにする。


「そこまで言うか。だったらはっきり言ってやろう。お前たちセラピストは金を稼いできてくれる駒でありながら、俺たち経営者にとっては同時に客でもある」

「客……、ですか」

「指名が取れない、金を稼げない人間をただ置いておいても無駄なだけだからな。商品として役に立たないのであれば今度は客として働いてもらうのは、経営者として当然の判断だろう?」


 あくまで経営上の利益しか求めていない考え方に、迅の瞳は愕然と見開き、背中には冷たい汗が滲んだ。


「研修も同様だ。初期研修費十五万。スキルアップ研修を受けるための一万、二万。それを相応と感じるか大金と捉えるか、それで学ぶも学ばないもお前たちの自由だ。私は結果的に金になればそれでいい」

「研修こそセラピストを育てるためのものではないんですか」

「シクレ本店(ウチ)は誰もが認める日本でNo1の店だ。ウチで働きたいやつは腐るほどいる。実際に毎日のように応募が届いている。その中で手っ取り早く容姿がいいやつは採用する。顔がよくても売れるわけではないことはお前もよくわかっているだろう。採用した中から這い上がってきた一部のセラピストがウチで活躍している。研修などで育つものではない」


 その時、まるでその言葉を肯定するかのように、シンヤのグラスの中の氷が崩れて冷たい音を響かせ、冷淡な瞳が迅へ向く。


「そもそも本店のセラピストを名乗る権利を与えられていることを感謝してもらいたいくらいだ。この世界は完全なる実力社会だ。売れる努力もできず、指名も取れず、適性検査に落ちて辞めていくことは自己責任だ」


 この仕事への向き合い方や売り込み方はその人が持つ個性によって人ぞれぞれではあるものの、実力社会であることだけは間違いない。

 だが、その枠組みに囚われることなく自分の価値観で働いているセラピストも数多くいる。迅もその一人だ。

 とくにシンヤの元にいた時の迅は兼業だったこともあり、売上を気にすることも研修に参加することも少なく、指名を増やすために必死の努力をするようなこともなかったため、その姿勢が気に障ったのかもしれない。


「話を元に戻しますが、売れていないセラピストにターゲットを絞って適性検査(テスト)を繰り返しているんですか」


 シンヤの言葉を借りるなら、セラピストを商品としてではなく客として扱う選別基準は売上ということか。


「マリの気持ちまで利用して」


 そしてなによりも迅が許せないと思うことを口にして軽蔑の眼差しを向ければ、シンヤは心外だとばかりに眉間に皺を寄せる。


「さっきから私を悪者扱いか? お前があの女のなにを知っている。あいつが自ら駒になることを望んだんだ。私はなにも強要していない」

「それを利用している、って言うんです」

「なにを言っているのかわからないな。駒なんて掃いて捨てるほどいるんだ。あいつはわかっていると思うがな」

「まさか、ほかにもマリみたいな女性が……?」

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