第十二話 百万円の闇④
黒幕の名前を告げられても、もはや驚いたりはしなかった。
ここまでくると、むしろ想像が的中しすぎて苦笑いが零れてしまいそうになるくらいだった。
――『百万円払うか、払ってクビか、今すぐ選べ』
いつかの冷たい眼差しが脳裏に浮かび、無慈悲な声が響いた。
自分で刺客を放っておきながら、どんな気持ちであのセリフを口にしたのだろう。
「ねぇ、マリ。オーナー……、シンヤさんと話すことってできるかな?」
「誰が? ハヤトくんが?」
「うん」
そっとマリに伺えば、マリはぱちぱちと瞳を瞬かせ、迅は柔らかな笑顔で頷いた。
「自分で仕掛けておいて罰金取ってクビとか、文句の一つや二つくらい言いたいし……。なにより、forestに手を出さないようにしてもらわないと」
今回はマリの独断行動だったとはいえ、ここまでの話を聞く限り、シンヤの息のかかった本気の刺客がいつ卑怯な罠をしかけてくるかわからない。
妙な手出しはしないという言質を取らなければ、とても安心できなかった。
常に疑心暗鬼の気持ちで人を見ていたら、心身ともに疲弊してしまう。
「騙しうちでもなんでもいいからセッティングしてもらえないかな? 怒られるならオレが全部怒られるから」
「……でも……」
「マリ」
いつになく真剣な表情になり、迅は真っ直ぐマリを見つめた。
「オレに……、オレたちにしたことを少しでも悪いと思ってくれているなら、協力してほしい」
そんな迅の視線を受け止めて、マリの瞳は迷うように揺らいだ。
「……わかった」
数秒間の沈黙が流れ、マリもまた真っ直ぐ迅の顔を見つめ返してくる。
「絶対ではないけど、シンヤさんは第二木曜日の夜に一人でとあるバーに行くのがルーティーンになっているの」
どうしても外せない用事があったりバーが臨時休業にでもなっていない限り、もう何年も変わっていない習慣なのだとマリは言う。
「たぶん、そこでなら会えると思う」
第二木曜日は来週だ。
「なんか、ごめん。ありがとう」
「……ううん。いいの。そろそろ気持ちにケリをつけなくちゃ、って思っていたところだったから。強引にでも聞いてくれたことにはむしろ感謝したいくらい」
「……そっか。ちょっと複雑だけど、マリの背中を押せたなら嬉しい、かな」
緩く首を振って泣き顔のような微笑みを浮かべるマリへ、迅もまたほのかな笑みを返す。
マリにとっては〝裏切り行為〟とも言える行動を取らせてしまったことには申し訳ない気持ちが湧くが、これが決定打となって否応なくシンヤから離れざるをえなくなるのだとすれば、それはきっと、「一歩前進」を意味するのだろう。
「……ほんと、ハヤトくんは変わらないね」
「え? なにが?」
そこでくすっとおかしそうに笑われて、迅は瞳を瞬かせる。
半年や一年で人間はそう変わらないとは思うのだが、マリが言いたいことはそういうことではないだろう。
「わたしが指名していた時も、そうやってずっと寄り添ってくれてた」
どこか懐かしい眼差しになって、マリは迅を見つめてくる。
「あの頃、ハヤトくんには本当に救われていたの。それは嘘じゃない」
シンヤへの苦しい恋心で思い詰めていたマリにとって、迅と接する時間はほっと心休まるひとときだったと言われ、迅は目を丸くする。
あの頃、マリからシンヤの話を聞いたことはなかったが、心の中ではずっと苦しんでいたに違いない。
「わたしがハヤトくんに入ったのは、二度目までは本当に偶然なの。でも、ハヤトくんのことをちょっとシンヤさんに洩らしたら、『なるほど。ちょうどいい』って」
シンヤにとっては逆効果にしかならないことは頭の中で理解しつつ、ほんの少しでも嫉妬をしてくれたら……、と願って、今自分が入っているセラピスト――迅のことを偶然を装って話してみせたところ、思わぬ反応が返ってきて驚いたのだとマリは言う。
本番行為をねだったら迅がどう出るのかテストをして来いという命令は、ただただ冷たく、迅に対してまったく嫉妬がないことをすぐに理解してしまった。それと同時に、シンヤにとってはマリも駒の一つでしかないことを改めて思いしらされ、絶望した。
それでも、シンヤから離れられなかった。なぜかシンヤが迅のことを嫌っている気配を察し、シンヤの望みを叶えることができれば、もしかしたら少しは自分のことを見てくれるのではないかという望みが捨てられなかった。
そんな醜い心のまま、なにも知らない迅と日々のDMを重ね、さすがに罪の意識を抱かずにはいられなかったとマリは苦しげに吐き出した。
「自分のことを陥れようとしている女にも、ハヤトくんは優しくて。ハヤトくんの優しさがずっと辛かった……っ」
今までであれば心を軽くしてくれていた迅の言葉一つ一つが、これからこの優しい人を陥れるのだと思うと、凶器となって胸に突き刺さってくるようになったという。
「ずっと、このままでいいのかな、って……! この人にそんな真似をしていいのかな、って……!」
シンヤへの恋心と迅への罪悪感の狭間に揺れながら迅と会った三回目。その時は躊躇ってしまい、本番行為を言い出せなかったらしい。
「それでも、シンヤさんのことが好きだから……っ。シンヤさんに必要とされていることが嬉しくて……っ。ずっと、見えないふりをしてた……!」
そして迎えた運命の四回目。シンヤから「よくやった」という誉め言葉を一つもらうためだけに、マリは迅へ本番行為をねだったのだった。
「でも、もう限界……。あの人は、一生わたしなんて見てくれない」
ぽつり、とマリが洩らすと同時に、その瞳からは一雫の涙が零れ落ちた。
「ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ」
叶わぬ恋心と罪の意識に耐えかねて謝罪の言葉を繰り返すマリを、責めることはできなかった。
ミサトとラブホが静かに息を呑んで見守る中、迅はマリの頭へ手を伸ばすと優しく髪を撫で下ろす。
「マリ……。もういいから……」
「許してほしいなんて虫のいいことは言えないけど……っ」
マリを落ち着かせようと声をかければ、涙に溢れた瞳が迅を見上げた。
「ただ、あの人の圧力に負けないでほしい……。forestの未来を願ってる……」
その言葉だけで、充分だった。




