第十二話 百万円の闇①
「どういうことですか……?」
眉を顰めて迅を窺ってくるラブホは、迅が前店をクビ同然で辞めたことも、その理由も知らない。
「シクレ本店時代に、マリという本指さんがいたんですけど……」
シクレ、というのは、「シークレット・ラバーズ」の一般的な略称だ。
その時のことを思い出せば無意識に眉間に皺が寄ってしまい、苦々しい口調で簡単に経緯を説明すれば、ラブホは複雑そうな表情を浮かべながらも、一定の同情を示してくれた。
「実は、ミサトさんに確認したいと思っていたことがあったんです」
迅はミサトへ向き直り、真剣な面持ちになって口を開く。
「ミサトさん、言ってましたよね。あの頃、オレ以外にも美人局的な出来事がいくつかあったらしい、って」
あの時胸の中に過ぎったざわめきは、見逃してはならなかったものだと今さら気づいてももう遅い。
「えぇ。あくまで噂レベルの話だったから、そこまで深刻に捉えてはいなかったけど……」
「それが、どうやら仕組まれたものだったんじゃないかという説が浮上してきて……」
「……どういうこと」
神妙な顔つきになって説明を求めてくるミサトへ、迅はサクラから聞いた話を口にする。
あの頃、〝ハヤト〟だけではなく、他のセラピストも罰金を払っている形跡があること。そしてそれは、今なおひっそり続いているらしき様子が窺えること。
真実を確認しようにも、その多くのセラピストたちはすでに退店しており、真実は闇の中という状況だとサクラは言っていた。
「え。でも、その女性の目的ってなんなんですか? 本番行為を訴えたとして、なんのメリットもないですよね? 嫌がらせでセラピストを辞めさせたいだけです?」
「それはない、よね……」
「本番を報告されたセラピストはどうなるんですか? 説明を求められて、叱責されて、罰金を払うことになって? 罰金は全部運営に入るんですよね? ……あ……っ」
「うん……。つまり、そういうことなのかな、って」
次々と湧いた疑問を言葉に乗せたラブホは、途中でなにかに辿り着いたかのように声を上げ、迅はそれを苦笑とともに肯定した。
セラピスト業にはこの業界のみで適用される様々な罰則が存在しているが、違反行為を行った際にセラピストが払わされる罰金は、すべて運営に入ることになっている。トラブルが起きた際には返金対応を行うことはあるものの、セラピストに課された罰金が女性への謝罪金として使われることはない。
本番行為についてもそうだ。〝示談金〟ではないけれど、女性からの訴えを治めるために使われることはなく、全額が運営のものになる。さらに言えば、それが〝売上〟として計上されているのかも定かではない。お金の流れは闇の中だ。
つまりは、女性が美人局的行為をしたとしても、裁判沙汰にでもならない限り、女性が多大なお金を得ることは難しい。よって、お金が目的ということはない。
ストレス発散のための嫌がらせ、という理由も考えられなくはないものの、可能性としては低すぎる。
結果、一番可能性が高い推測は。
「誰かがその女性を使って罰金を名目に一儲けしている……? 本店の上層部の人間……?」
何者かが罰金を懐に入れて私腹を肥やしているのではないかというラブホの呟きに、ミサトはその一部については見解を同じくしながらも、結論に至るまでには慎重な姿を見せる。
「だとしても、グループ内でのことならわかるけど、forestにちょっかいかけてもなんの得にもならないでしょう?」
その点についてはそうなのだ。forest所属のセラピストが罰金を払ったとしても、それはforestの売上として計上されるだけで、その〝誰か〟に一円でも入ることはない。
「forestにその女性を送り込んでくるメリットは……?」
ミサトは眉間に皺を刻み、顎に手を添えると真剣に考え込む。
だがその時。
「えー……と。なんだか込み入った話になってきたみたいですし、俺は帰ってもいいですか?」
「アオ……」
今まで部外者のような顔をして黙ってその場にいたアオが声を上げ、迅は苦虫を嚙み潰したような表情になって脱力する。
この状況で帰宅を願い出るなど、大物過ぎてなにも突っ込めない。
「なんだか話が逸れてしまってうやむやになりそうになっているけど、アナタがしたことは立派な違反行為よ。契約書の内容を忘れたなんて言わせないわ。アナタはしっかりサインをし、誓約した」
迅とラブホが唖然とする中で、ミサトだけは厳しい態度を崩すことなく、どう責任を取るつもりなのかとアオを難詰する。
表立って問題にはなっていないだけで、本番行為に及んだ女性が一人や二人ではなさそうな点も、ミサトがアオを糾弾する理由の一つだろう。
「お客様への借金は犯罪行為ではないんですよね?」
本番行為に対するクレーム案件については一旦置いておくとして、現在最優先で解決しなければならない問題は、お客様との金銭トラブルだ。
隣に座るミサトへ心配そうな顔を向けるラブホに、ミサトは肩で小さな溜め息をつく。
「基本的には民事ね」
「基本的には……?」
それはつまり、今回は〝犯罪〟にまではならないのか、それとも〝例外〟のほうに入ってしまうのかとラブホが緊張感を漂わせれば、ミサトは他人事のように話を聞いているアオへチラリと視線を投げる。
「最初から返すつもりがなかった場合は詐欺行為とされて刑事事件になることはあるわね」
「こわ!」
目を見開き、自分の身体を抱き締めるようにしておおげさな態度で震えて見せるアオへ、さすがのミサトも怒りを滲ませて睨むような目を向ける。
「ふざけないで」
多少アルコールが抜けてきたとしても、酔いが回っている人間への説教がどこまで響くかわからない。
それでも我慢の限界だと、ミサトは冷静ながらもアオの退路を塞いでいく。
「アナタはそれだけのことをしたのよ。借金トラブルは個人の問題とはいえ、それが予約中の出来事だというなら、店の信頼問題にも繋がってくる」
たとえそれが個人間の貸し借りであったとしても、この問題が表沙汰になるようなことがあれば、そんなセラピストを採用した店にも責任の矛先が向いてくる。
セラピストの問題行為は、店への信頼失墜にも繋がるのだ。
「今後はなにがあってもお客様からお金を借りるなんてことはしないように」
「はーい」
「アオ」
反省の色が見えない間延びした返事に、ミサトの目つきも声色もさらに厳しくなった。
「……わかりました。気をつけます」
「キャバクラ通いも止めて、その分必死になって稼ぎなさい。そうすれば売掛金もすぐに払えるでしょう。未空さん? にもちゃんと連絡をするように」
ここまできてやっとミサトの本気を察したのか、アオは殊勝な態度になり、ミサトは淡々とアオを諭す。
「二度はないわ。次になにか問題を起こした時には辞めてもらいます」
「……はい。反省してます」
いいわね? と最後通告を突きつけられ、アオはしょんぼりと項垂れる。
そうしてすぐにその女性へ返済金を送金することを約束させ、ペナルティについてはまた後日ということで、今夜はアオを解放することになった。
「……さて、と……」
アオの背中を見送ったところでミサトが疲れた吐息を零し、ここからがまた問題だとラブホと迅へ真剣な眼差しを向けてくる。
「その……、アカリさん? マリさん? の件だけれど……。どう対応すべきか判断に迷うわね」
〝ハヤト〟の時には〝マリ〟で予約していたが、フウガとアオにはまたそれぞれ別名――フウガには〝カオリ〟、アオには〝アカリ〟――を名乗っていたらしい。
悩ましげに意見を求められ、迅はすぐに口を開く。
「オレは、そのアカリさんって女性が本当にマリなのか、まずは確認したいと思うんですけど」
女性の特徴から「マリ」であろうと確信しているが、人違いだという可能性もゼロではない。
本番行為が違反であることは大前提としても、それでも本番行為への訴えが仕組まれたものなのか、それとも本当なのか、慎重に見極める必要があるだろう。
「そうねぇ……」
「そうしたら、直接お詫びをしたいということで喫茶店かどこかに来てもらって、迅さんがこっそりその女性を確認する、とかはどうでしょう?」
確認をするにしてもどうやって、と考え込むミサトへ、ラブホから一つの提案が上がる。
責任者としてミサトが直接謝罪したいと申し出れば、よほどのことがない限り応じてくれるのではないだろうか。
そう是非を訊ねてくるラブホを前にして熟慮の沈黙が流れ、ややあってからミサトが顔を上げた。
「そうね。それが今できる最善の選択肢かもしれないわね」
相手がマリであれば、真実の追究を。もし別人であれば、真摯な謝罪を。
どちらにしても直接会うべきだろうと、ミサトは決断をくだす。
「迅もいいかしら?」
「はい」
その女性の正体を確認できるのであれば、迅に異論はない。
「その女性に連絡するわ」
果たして、どんな真実が現れるのか――……。
スマホを手に取るミサトを見つめながら、迅はぐっと拳を握り締めたのだった。




