第十一話 不穏④
ミサトが事務所に到着したのは、それから二時間後のことだった。
やはりオーナーであるミサトがいると違うのか、謝りながら現れたミサトの姿を見てラブホは少し安心したような表情を浮かべ、迅もいったんはほっと胸を撫で下ろしていた。
「……出ない……、わね……、アオ」
スマホを耳に押し当てて、ミサトは顔を顰めるとさすがに苛立ちの隠せない声色で呟きを洩らす。
「戻ったら話があるから予定を空けておくように言っておいたんだけど……」
話があることは伝えてあり、それに対して応じる返事はあったという。
だが、帰路の途中で打ったラインは、既読はついても応えはなく、この一時間はとうとう既読すらつかなくなってしまったらしい。
「ジンさんて今、アオさんを居候させてるんですよね?」
そういえば、とラブホに伺われ、迅は困ったように眉を下げる。
居候を許したからとはいえ、アオの行動を把握しているわけではない。むしろアオのやることなすこと、すべてが迅の持つ常識の範囲を超えている。
「でも、実際はほとんど家にはいなくて……」
「今の時間は、というより、今日は夕方からのシフトを下げたみたいなので、いったいどこにいるんでしょう……」
元々は丸一日対応可能にしていたはずのシフトを、夕方以降の指名が入らなかったためか、いつの間にか下げていたのだ。
ミサトを待つ間にそのあたりの動きは確認したのだが、アオの居場所まではわからない。
ミサトから「話がある」という連絡がいった時点でなにか不穏な気配を感じて警戒しているのか、さりげなさを装って送った迅からのラインにも返事はないままだった。
泊まりの予約が入っているわけでもなく、迅の家に戻ってくる様子もない。今夜をどこで越えようというのだろう。
「……あ……」
その時、第三の選択肢が思い浮かび、迅の目は見開いた。
「心当たりがあるの?」
「わかりませんけど」
ミサトから期待の目を向けられて、スマホを手に取りながらそこまで買いかぶらないでほしいと苦笑する。
「とりあえずあたってみますね」
とにかくアオと直接話をしてみないことにはなにも始まらない。
あの時の諦めがこんなふうに繋がるのかと、迅は複雑な思いを胸にとある電話番号を呼び出し、通話ボタンを押した。
呼び出し音がしばらく続き、やはり忙しくて出られないのかと諦めかけた時。
――「はい! 迅さん、蒼くん、帰ってきました?」
朗報を待つ未空の声が聞こえ、一気に申し訳ない気持ちに襲われた。
そんな期待を向けられても、できることとできないことがある。
「がっかりさせてしまう電話ですみません……。ただ、未空さんにも決して無関係ではない話なので」
アオを掴まえることができなければ、未空の売掛金を回収するどころか話をすることもできない。
「オレのほうもアオに話があるので探してるんですけど、その反応だと未空さんのお店にも行ってないんですね」
もしかしたら、今夜の宿のために未空のお店へ遊びにいき、そのまま未空の家に転がり込むつもりかもしれないと思ったのだが、どうやら迅の予想は外れてしまったらしい。
――「今日は来てないです。というか、最近全然です」
「そうですか。忙しいところをすみませんでした」
売掛金を払える見込みがないため、未空を避け続けているということだろうか。
苛立ちの滲む声が聞こえ、おそらく仕事中だろう未空の時間をこれ以上使わせてはならないと、迅は早々と電話を切ろうとする。
だが。
――「あ、でも、もしかしたら……」
「え?」
――「なんか前に言ってたんですよね。嫉妬させようとしたのかわかりませんけど。別のお店に可愛い子がいた、って」
今度から別のお店の女性を指名しようかと匂わされ、イラッとしたのだと未空は言う。
「じゃあ、今はそっちのお店に?」
――「わからないですけどね。でも、この前、黒服からの情報で、そっちの店に行く蒼くんを見たようなことを言っていたので」
店同士、他店で働く女の子同士の情報交換というものはないため、確認することはできないが、状況から考えてその可能性もあるのではないかと告げてくる未空に、迅はアオ捕縛のための協力を願い出る。
「それ、どこのお店か教えてもらえたりしますか?」
――「まさか突撃するつもりですか?」
「まぁ……、そこまではわからないですけど。でも、緊急事態なので」
直接足を運んで確認し、アオがいた時には強制回収してくるつもりかと驚かれて苦笑する。
お店的にはマナー違反かもしれないが、背に腹は代えられない。このまま逃げ続けられるわけにはいかないのだ。
――「わかりました。だったらそっちのお店にいるかどうか確認してみますね」
「え……。いいんですか?」
店名を教えてもらうつもりだけのはずが、思わぬ協力の申し出に目が丸くなる。
――「その代わり、早急にわたしの売掛分を回収してください」
「それは……。してあげたいのは山々だけど……」
なんだか電話越しに未空の据わった双眸が見え、迅は困ったように眉を下げる。
未空には申し訳ないが、今のアオは煌びやかな雰囲気を醸し出しながらも、実際には返済に回すお金があるほど金銭的余裕はないように思われた。迅が返せと説教したところで、馬の耳に念仏状態になりそうだ。
――「お願いしますね。それじゃ一度切ります」
「あ、はい……。ありがとうございます」
お願いしますと言われても、どうにかなる気配はない。
借りを作ってしまった気しかせず、迅は重い声色で礼を告げて電話を切ると、深々とした溜め息を吐き出した。
「やっぱり捕まらないですか?」
「まだなんとも……」
「? どういうことです?」
落胆の見えるラブホへ微妙な返事をすれば、ラブホはきょとん、と瞳を瞬かせる。
「あ、うん。それが実は」
こちらをじっと見つめてくるミサトとラブホの視線を受け、迅は未空とのやり取りを説明する。
すでに未空の話はしてあったため、他のキャバクラで遊んでいる可能性があると聞き、ミサトとラブホの表情には深い呆れと失望が刻まれていった。
「……アオさんて、インモラルな雰囲気がウリだったところがあると思うんですけど、本当にただのクズだったんですね……」
あくまでイメージ戦略の偶像かと思っていたが、本当にキャラクターそのままだったのかと、ラブホは深々とした溜め息を洩らす。
「女性なら誰でもよさそうなチャラさはありましたけど、塩対応というようなやり取りは見えなかったので、少しだけ見直してたんですけど」
「うん……。アオのあれは……。なんだろう……」
若い子から年長者まで。綺麗で可愛い子から正反対の容姿の子まで。ガリガリに痩せていようが自分の倍以上の体重の女性だろうが、あの掴めないアイドルスマイルを崩す様子は見られなかった。というラブホの話に、迅は困惑とともに同意する。
アオの指名客は「月城 蒼」のファンが大半のようで、若い女の子が多いことはたしかだろうが、それを差し引いたとしても、アオは自分のことが好きな女性なら誰でも大歓迎、のスタンスだ。
生粋の女好きであることは間違いない。そこに恐ろしいほどのテリトリーの広さが加わるのかもしれないが、いったいどんな思想を持っているのだろう。
迅にも似たようなところはあり、かなり幅広い女性に敬意を払って尊重することができるが、アオのそれとは根本的なところが違う気がしている。
――『ぶっちゃけ、お金さえもらえれば誰にでも優しくできます!』
アオと最初に交わした会話を思い出す。
お金好きであることも間違いないが、本気で女性をお金として見ていたのだろうか。
「あ……」
そこでスマホに通知があり、未空から送られてきたラインを確認すると、ミサトから期待の目が向けられる。
「見つかったの?」
「はい。場所がわかったって」
「! じゃあ……!」
未空の勘通り、以前ほのめかしていた他店にいたようで、その店の公式サイトのアドレスまで添えられているメッセージには感謝しかない。
ぱっと顔を上げたラブホに苦笑を返し、迅はミサトを窺った。
「直接行って掴まえてきますね」
「ありがとう。迷惑かけるわね。首根っこ掴んで連れてきてちょうだい」
「はい。いってきます」
果たしてアオは、連れ戻しに来た迅に大人しく応じてくれるのだろうか。
一抹の不安と憂鬱を覚えながら、迅はスマホに示された店へ向かったのだった。




