第十一話 不穏③
不運なことに、ミサトは本業のエステ店のオーナーとして重要な取引があり、関西のほうへ出張中だった。
戻るのは明後日になってしまうとのことで、お客様には真摯に謝罪をし、事実確認のために三日間の猶予をもらいたいとお願いすると、渋々受け入れてくれた。
すぐにでもアオを問い詰めたかったが、下手に動くと隠蔽行為をしたり、最悪の場合には逃亡のおそれもあるため、ミサトが帰るまでは放置せざるをえないという判断となった。
この業界には「飛ぶ」という、ある日突然消えていなくなり、連絡がつかなくなってしまうことを示す言葉があるくらいだ。実際に迅もシークレット・ラバーズ本店で飛んだセラピストの話を耳にしたことがあり、他人事にはできなかった。
そしてその二日後。事務所で今か今かとミサトの帰りを待っていると、スマホを手にしたラブホが呆然とした様子で話しかけてきた。
「ミサトさん……。新幹線に車両トラブルがあって、到着が予定より遅れるそうです」
「……こんな時に限って」
「はい……。どれくらい遅れるんでしょう……」
ラブホと顔を合わせ、お葬式状態で無言になってしまう。
現時点では、いつトラブルが解消されるのかわからない。
この状況で、ただ連絡を待つしかできない時間は、心身ともにかなりの負荷がかかってくる。
「なにか飲み物でも用意しましょうか……。コーヒーでいいですか?」
「ラブホさん……。ありがとうございます」
かなりの疲弊が見えるラブホがふらふらと動き出し、迅は少し迷ったのちにお願いすることにする。
たったこれだけのことが、わずかにでも気分転換になればいい。
だが、ラブホがキッチンに向かいかけた時。
「電話……」
店専用のスマホが鳴り、ラブホの足はぎくりと止まった。
例の件のせいで、電話に怯えるようになってしまったとしてもおかしくはない。
それでもラブホは一呼吸つくとスマホに手を伸ばし、応答ボタンを押す。
「お電話ありがとうございます。forestです」
顔色は悪くとも、声だけはいつも通りの営業用で応対する。
しかしその数秒後、ラブホの目は見開き、身体は硬直した。
「……え。あ、はい。申し訳ございません。ただ今責任者は不在でして、どのようなお話でしょうか? もし責任者とのお話を望まれるようでしたら、折り返しでもよろしいでしょうか」
緊張の滲むラブホの声色と姿に、よくない電話であることを悟って、迅の背中にも冷たい汗が滲んだ。
「かしこまりました。折り返しのご連絡先はこちらの番号で……」
こちらの姿は相手に見えないとはいえ、ラブホは真摯に謝罪し、今できる最善の対応をする。
いったいなにが起こっているのだろう。
「え……」
ラブホの瞳はさらに見開き、言葉を失ったのがわかった。
顔から血の気が引いていき、今にもスマホを落としそうなほど愕然となる。
どうしたのだと声をかけたくなるものの、お客様からの電話中に割って入るわけにはいかない。
「あ、あの……っ、もしもしっ? もしもし……!?」
どうやら一方的に電話を切られた気配があり、懸命に話を繋ごうとするラブホの声だけが虚しく響く。
「ラブホさん……?」
声をかけても大丈夫だろうか。
茫然自失状態のラブホをおずおずと窺えば、真っ青になったラブホの焦点の合っていない瞳が迅へ向いた。
「ほんばん……、って……」
「え?」
独り言が零れ落ちてしまったかのような呟きに、迅はその単語の意味がよくわからず、しっかり聞き取ろうと耳を傾ける。
「ジン、さん……」
ラブホの瞳が酷くゆっくり迅を捕らえ、力なく口が開かれる。
「今、電話で、クレーム、が」
意味が通っているようで通らないラブホのセリフは、ラブホが受けたショックの大きさを物語っている。
不吉な予感しかしないが、ここで迅まで取り乱すわけにはいかない。
なにがあっても受け止める覚悟を決め、迅は真っ直ぐラブホを見つめた。
「誰に対するどんなクレームなんですか?」
「………………アオさん、が……」
かなりの間があって出た名前に、頭のどこかで「やっぱり」という諦めのような感情が浮かんだ。
キャバクラの売掛と、指名客への借金。次はいったいどんな問題を起こしてくれたのだろう。
「…………お客さま、に、本番行為を強要、した、って……」
「え……」
場合によっては警察沙汰にもなりえる事態に、さすがの迅もごくりと冷たい息を呑んだのだった。




