第十一話 不穏②
心身を襲った疲労が取れないまま事務所に行くと、迅の気配に気づいたラブホが一直線に駆け寄ってきた。
「ジンさん! ジンさん……! ジンさん……! ちょうどいいところに……!」
「え、と……、ラブホさん。そんなに慌ててどうしたんですか」
あまりにも名前を連呼されて身を引いてしまうが、なんだか泣きそうにも見える瞳は、ラブホがそれだけ動揺していることを物語っていた。
だが、すでに疲れ切っているジンは、背中に一筋の汗を伝わせる程度で、今度はなんだと落ち着いた態度でラブホに対峙する。
「今! ちょうどミサトさんに連絡しようと思っていたところで!」
「うん。とりあえず一度深呼吸して落ち着きましょうか」
一呼吸つくことを促せば、ラブホは素直に胸元に手を添え、ゆっくりとした深い吐息をつく。
迅はその姿を見守って、改めてラブホへ問いかける。
「それで、なにがあったんですか?」
「さっき、お客様から電話があって!」
「はい」
どうしても先を急くような口調になってしまうラブホに頷いて、迅はどんなクレームが入ったのかと腹を括る。
正直な話、お金で関係を築くこの世界はトラブルが多い。
forestオープンから半年以上がたち、これまで大きなクレームやトラブルがなかったことのほうが奇跡に近いとも言えた。
「アオさんにお金を貸したらしいんですけど、約束の日を過ぎても返ってこないって!」
「え……」
予想外の問題行為発覚に、さすがの迅も固まった。
セラピストとお客様の間で金銭トラブルが起こることも少なくはない。それこそお金の貸し借りのごたごた話も聞いたことがある。
未空からアオの売掛金の話が出た時点で、その可能性に思い至らなければならなかったのかもしれない。
報告を受けたラブホは、とりあえず事実確認をさせてほしいと、今日中に折り返すことを約束して一度電話を切ったのだと告げてくる。
「ほかにも、アオさんのDMにちょっと不審な点があって、そっちはまだ確認できていないんですけど」
顧客数が爆発的に増えた今、さすがのラブホも一人一人のやりとりを細かいところまでチェックしきれなくなっており、違和感を覚えても突き詰めるところまでできなかったらしい。
見られては都合の悪いやりとりをDM上からすぐに消去しているのではないかと顔を顰め、ラブホは強い疑念をぶつけてくる。
「たぶんなんですけど、アオさん、お店を通さずに前入金してもらってるんじゃないかと!」
前入金とは、未来の予約を約束し、先にお金だけもらうシステムだ。
基本的には会ったその場でセラピストがお金を受け取るのだが、遠方にセラピストが出張する場合などはキャンセル防止の意味でもお店指定の口座に先に振り込んでもらうようなことがある。ただ、セラピストが個人でお客様とやり取りをして前入金をしてもらうことは認められていない。
「……借金に、前入金……」
「はい」
ラブホから縋るような目を向けられて、迅は一度目を閉じるとぐっと拳を握り締める。
こういう時は、とにかく冷静にならなければ。
数秒間思考を巡らせた迅は、目を開けると真っ直ぐラブホの顔を見つめた。
「さすがにオレたちが勝手に判断して動くわけにはいかないから、とにかくまずはミサトさんに連絡をして指示を仰がないと」
この店の最終決定権者はオーナーであるミサトだ。
今回の件に関しては、事後報告が許されるレベルのものではない。
「は、はい。今、電話します」
「その間に、オレは今日のアオのスケジュールを確認します」
すぐにスマホへ手を伸ばすラブホを横目で見ながら、迅はパソコンの前へ移動すると今日のアオの予約状況に目を通す。
アオを呼び出して事実確認をするにしても、タイミングを計らなければならない。
そしてなにより、まずはミサトに状況を説明しなければ。
「……フウガの勘が当たっちゃったな……。でも、なんかほかにも嫌な予感がする……」
今は、ミサトを待つしかない。
ぽつりと洩れた迅の呟きは、空気に虚しく溶けていった。




