第十一話 不穏①
電車に揺られている時間は、迅にとって、メールやライン、DMの確認作業をする時間になっている。
予約上がりに運良く座席に座ることができた迅は、さっそくスマホを開き、新着情報を一つ一つ確認していく。
そしてそのライン通知の中で、今日新しく追加された可愛い犬の写真のアイコンについたコメント画面を、すぐに開いていた。
――『今日はありがとうございました! 母のことをいろいろ聞けて嬉しかったです。ケーキも奢ってもらってしまって。とってもおいしかったです!』
それは、ミサトの娘・栞からのお礼ラインだった。
あのあと、学校近くの喫茶店に入り、小一時間ほどいろいろな話をしたのだ。
――『あんまり時間が取れなくてごめんね。ほかにもなにか話したいことがあったら、気軽に連絡してくれていいから』
高校生をあまり遅く帰すわけにはいかない上、迅は迅であとの予定が入っていたため、充分話せたとは言い難い。
とくに最初は、迅に声をかけたはいいものの、どう話を切り出したらいいのかと栞は悩んでいる様子を見せていて、無難にメニューを眺めて時間を使ってしまったため、やっと緊張が解けてきた頃には三十分ほど経過してしまっていた。
おずおずとミサトのことを話題に出し、少しずつ口数が増えていった栞の姿を思い出しながら返信ラインを送れば、ものの数秒もしないうちに既読がついてびっくりする。
――『ありがとうございます。迅さん、めちゃくちゃいい人ですね!』
――『栞ちゃんのお母さんには、すごくお世話になってるから』
――『母は、ものすごく仕事ができる人だってことは知ってます』
――『うん。お世辞じゃなく本当にすごい人だよ』
――『またなにかあったら連絡させてください。母のこと、よろしくお願いします』
育てたのはミサトではないとしても、元々の気質は似ているのだろう。話している時にも真っ直ぐ目を向けてくる姿から、ずいぶんとしっかりしている子だと思ったが、さすがミサトの娘だという印象だ。
ラリーが続き、迅はしばし手を止めると悩ましげに眉を寄せて考え込む。
――『あの時聞こうかずっと悩んでいて、結局聞けなかったんだけど、どうしても気になっていることがあって。一つだけ質問させてほしい』
作った文章を確認し、覚悟を決めると送信ボタンに指を伸ばす。
すぐに既読がつき、けれど返事を待つことなく次の文字を打った。
――『お母さんに会いたいと思っていたりする? もし、会って話す機会を作れるとしたら、栞ちゃんはどうする?』
その質問に、既読はついたものの、栞からの答えはなかった。
*****
今は、九時前だろうか。寝起きに少しだけ肌寒さを感じる朝は秋の訪れを感じさせる。
珍しく部屋のチャイムが鳴り、その音で目を覚ました迅がモニターを見ると、どこかで見覚えのある女性の姿が映り出されていた。
迅の自宅を知っているということは、少なくともプライベードで知り合った女性のはずだが、寝惚けているせいで頭が回らず、すぐに思い出せない。
いつ、どこで会ったのだろうと考え込み、数秒後に「あ」と思いつく。
知り合いではあるものの、迅の関係者ではない。彼女は、アオの――、アオが迅の部屋に連れ込んだ女性だった。
「え、と……。未空さん、でしたよね? アオは今いないんですけど、どうかしたんですか?」
家に招き入れることには抵抗があり、エントランスまで出ていくと、女性――未空へ訪問理由を問いかける。
そもそも、アオの在宅を確認せずに直接来るなど、連絡を取っていないのだろうか。
すると未空はわざとらしくにっこり笑い、既読無視をされているのだと説明した。
さらには。
「この前のキャバクラの代金、まだ売掛のままで払ってもらってないんです。なので回収に来ました」
「……は?」
「なんか、他にも借金があるようなことを言っていたので、急がないとヤバいかなって」
「え……、えぇぇ……?」
回収できないままでは死活問題になると告げられて、迅はいつになく素っ頓狂な声を洩らして絶句する。
開いた口は塞がらず、見開いた目もそのままの表情になってしまう。
今、自分は、なにを聞かされただろうか。
「……えと……、ちなみにいくらくらい、なんでしょう」
思考が正常に働かず、まず聞くべきはそこではないだろうという質問をしてしまう。
すぐに聞かなければよかったと後悔するが、すでに時は遅しで、未空からは語尾にハートマークでもついていそうな明るい答えが返ってくる。
「あ。ジンさんが代わりに払ってくれるんですか」
「いや、そういうわけじゃ……」
「蒼くんの未払い、二十七万六千四百八十円ですっ」
しどろもどろと対応する迅に、未空はにこにことした笑顔を向けてくる。
「……えと……、細かいですね?」
「一円もまける気はないのでっ」
そこ大事なのでっ、と続く弾んだ声にも、音符とハートマークが飛び散っている。
正直、鬼気迫る感じがしてとても怖い。
「とりあえず、今、アオはいないから……。帰ってきたらすぐに連絡するようにさせます」
当の本人不在では、解決もできなければ話を進めることもできない。
ここは一度出直してもらおうと妥協案を提示すれば、未空はさらににこりと笑った。
「それじゃダメなんです」
「え」
「逃げられたらどうするんですか」
「逃げる、って……」
いくらなんでもそんなことが可能なのだろうか。
物理的な問題はもちろんのこと、人としてそんなことをしていいはずがない。
「でも、そしたらどうするつもりなんですか? ずっとここでアオを待つんですか?」
連絡をしても返事がなく、迅が未空に返事をするように説得したところで流されてしまったら、確実に掴まえられる場所で直撃するしか方法は残されていない。
だからといって、いつ戻るかわからない人間をずっと待っているのもかなり辛いものがある。
「……また来ます」
「うん。そうしたほうがいいと思います」
さすがに現実的ではない行動に未空は渋々折れ、迅はとりあえずこの状況から解放されることにほっと胸を撫で下ろす。
だが。
「なので、ジンさんの連絡先教えてください」
「……え?」
逃がさない、という据わった目に射すくめられ、背中に冷たい風を感じた。
「蒼くんが帰ってきそうな気配があったら、すぐに連絡いただけますか」
「……そうだよね。わかりました」
これに頷かなければ、とても解放してくれそうにない。
今すぐこの場から立ち去りたいと望んでも実行できるはずはなく、迅は未空と嫌々連絡先を交換したのだった。




