第十話 疑惑⑤
「とりあえずミサトさんに連絡してみるか」
事務所を出てフウガと別れた迅は、駅に向かいながら悩ましげに眉を寄せていた。
サクラから聞いた話を報告し、以前ミサトが小耳に挟んだという噂の信憑性を改めて検証したい。
フウガがアオに抱いている不信感と危機感についても早急に相談した方がいいだろう。
「中途半端な時間だな……。夕飯は外で取るとして、その前に少し買い物でもしていこうかな」
ミサトへの連絡は電車に揺られながらするとして、迅は今後の予定を考える。
現在は十六時。次の予約は二十時からだ。
待ち合わせ場所を指定された時に、以前から一度行ってみたいと思っていたダイニングバーがすぐ近くにあることを思い出したのだ。
夕食は予約前にそこに寄るとして、それまでの時間をどうするか。
そういえば、駅の反対口を出て数分歩いたところに自分好みのアロマオイルを作れることで有名なお店があった気がするから、そこで時間を潰すのもいいかもしれない。自分用というよりも、仕事で使うオリジナルのマッサージオイルを作ってみるのはどうだろうか。
そんなことを考えながら電車に乗り、すぐにミサトにラインを送ったものの、珍しく既読がつくことなく目的の駅に到着する。
そうしてアロマオイルのお店に向かっていると、見覚えのある後ろ姿を発見し、迅の目は見開いた。
「え? ミサトさん……?」
顔は見えないが、その颯爽とした歩き方には覚えがあった。
こんな偶然があるのだろうかと驚きながらも、もし少しでも話ができるようであればと追い駆けることにする。
だが。
「ミサトさん、意外と歩くの早いな!?」
かなり歩幅を広くして先を急ぎながら、迅はなかなか縮まらない距離に大きめな呟きを洩らす。
一度信号で待たされたとはいえ、視線の先にいるのに追いつけない。
小走りになるのも周りの目が気になって、不自然ではない範囲で懸命に足を前後させる。
「ミサ……」
日傘を差したミサトが足を止め、さらに深々とした帽子を被った横顔が目に入った。
しっかりとした顔は確認できないが、ミサトで間違いない。
「って、高校……?」
その時、ミサトが足を止めた場所が高校の校門前であることに気づいて、迅は反射的にすぐ傍の街路樹に身を隠してしまった。
――『でも、毎年、娘の誕生日になると、こっそり顔だけ見に行っちゃうんだけどね』
以前、ミサトと交わした会話とその時の寂しげな微笑みが頭の中に甦る。
「もしかして、娘さん……?」
この前ミサトが言っていた娘の誕生日が、今日だったりするのだろうか。
今は夕方。たしかに部活終わりの帰宅だとしたら、この時間に姿を見せるのかもしれない。
日傘に目深の帽子姿は、娘に認識されないようにだろうか。陽射しの強さを考えると不審者には映らないが、周りの景色から浮いてはいる。
「……どうしよう……」
ミサトのプライベートを覗き見するつもりはなく、途端罪悪感に駆られた迅は、次の行動を考える。
「またあとにするか……」
少なくとも、ここにいるべきではない。
早急にミサトと話したかったが、さすがに今日は諦めようと、その場を離れかけた時。校門から友人二人と楽しそうに話しながら出てくる少女の姿が目に飛び込んできた。
遠目からでもわかる。ミサトの身体に緊張が走り、自然と前のめりになった。
「あ……。もしかして、あの子が……?」
真ん中にいるセミロングの少女がミサトの娘なのだと、ミサトの視線が語っている。
ミサトの面影があるようなないような少女は、ミサトの存在を気にすることなく、そのまま迅が隠れている街路樹の前を通って去っていく。
ミサトがじっと娘の後ろ姿を見送っていることに気づけばその場から下手に動くこともできなくなり、結局迅は、娘の姿が見えなくなるまでその場に佇んでいたミサトが、静かな吐息を零して歩き出すまで一部始終を見守ってしまっていた。
「あ」
「……ジン」
ずっと見つめ続けてしまっていたせいか、こちらに向かってやってきたミサトとしっかり目が合ってしまい、迅は気まずげな声を洩らし、ミサトの目は驚いたように見開いた。
「あ、あの……っ」
決して付けてきたわけではなく、偶然が重なっただけだと慌てて弁明しようと思ったがすぐに言葉にならず、焦りが募る。
だが、ミサトには、迅の心の声が届いたらしい。
「変なところを見られちゃったわね」
くすり、と自嘲気味の笑みを零し、ミサトは寂しそうに視線を落とす。
「……ちょっと、今はそっとしておいてくれるかしら」
「……はい」
言われなくとも、自ら首を突っ込むつもりはない。
ミサトが話を聞いてほしいと思うならばいつでも呼び出しには応じるが、こちらからこの話に触れるつもりははじめからなかった。
「ごめんなさい。ラインが来ていることには気づいていたんだけど、ちゃんと見てなくて」
「あ。いえ。大丈夫です! 緊急というわけではないので!」
実際にはできる限り急いで相談したかったのだが、こんな状況でそれなりに深刻な話ができるはずもない。
今すぐ、まで差し迫っているわけではないため、迅は改めて時間を作ることを提案する。
「ありがとう。ちょっと今は気持ちの整理をしたくて。またあとで連絡するわね」
「はい」
そうして力なく微笑ったミサトをその後ろ姿が見えなくなるまで見送って、迅は深々とした吐息を洩らす。
「……どうしよう」
切なげなミサトの姿に、どうにかしてあげたいとは思っても、他人の家庭の事情に立ち入るわけにもいかない。
だからといって見なかったことにもできず、自分になにかできることはあるだろうかと悩みながら、迅はくるりと踵を返す。
「こんにちは」
「うわぁぁ!?」
だが、その時、突然目の前に現れた少女の姿に、迅は驚愕の声を上げて飛び退いた。
衝撃が大きすぎて心臓に悪い。
しかも、迅に声をかけてきた少女は。
「は? え? あ? 君、は……」
先ほど、間違いなく迅の視界から去っていったはずの、ミサトの娘と思われる女子高生が一人でそこに立っていて、迅は目を白黒させて動揺する。
忘れ物でもして戻ってきたのだろうか。
だが、なぜ少女は迅に声をかけてきたのだろう。
「突然すみません。風早 栞といいます。母の……、美郷のお知り合いですか?」
真っ直ぐ顔を見つめられ、事態が呑み込めずに呆然として頷いた。
「……あー……、はい」
「やっぱりそうですよね。さっき母と話しているのをお見かけしたので」
いったいなにが起こっているのだろう。
「ちょっとお時間もらってもいいでしょうか」
「……え」
大人びた女子高生からの誘いに、迅は思わず固まってしまっていた。




