第十話 疑惑②
泊まり予約のアオがその日に帰ってくることはもちろんなく、次の日は帰ってきた気配が室内に残っていたものの、擦れ違いでアオと顔を合わせることはなく、迅は迅で深夜に入った予約で帰宅することができずに朝までネットカフェで過ごすことになってしまった。
シフトを見ると予約が入っていたり、入っていなくとも夜遊びをしているのかアオが寝に帰ってくることはなく、それからさらに三日が経過した。
事務所での夜勤を終えた迅が帰宅すると、玄関にはアオの靴があり、部屋からも気配を感じた。
「あ。迅さん! おかえりなさい!」
「アオ……」
なにをしていたのか、クローゼットの前に立っていたアオが振り返り、明るく迎えてくれる。
そのアオの行動も気にはなったが、それよりも室内の様子にどこか違和感を覚え、迅は訝しげに眉を寄せながら辺りを見回した。
「って、なんか部屋の雰囲気が……?」
「居候させてもらっているお礼に、片付けておきました!」
「勝手に!?」
疑問符を浮かべていると堂々と種明かしをされ、迅は驚愕に目を見張る。
たしかに、違和感の正体はそれだった。模様替えなどというおおげさなものではないが、室内にある小物があちこち場所を移動させられていたり、見た限りなくなっているものがあった。
ほかには、部屋の匂いもいつもと違う気がする。
「だって、こっちのほうが絶対にいいですよ。あ。そこのディフューザーはお客さんからのもらいものです。悪くないですし、せっかくなので。まぁぶっちゃけチップのほうが嬉しいですけどね」
「アオ……」
悪気なく告げてくるアオに、頭が痛くなってくる。
テレビの横には見知らぬディフューザーが置かれていて、そこから甘さを抑えたウッド系の香りが漂ってきていた。
アオの雰囲気には合うと思ったものの、迅のイメージではない。
「あ。好みじゃなかったですか?」
「そういうことじゃなくて」
アオのことをよくわかっている女性からの贈り物なのだろうなと思ったが、そこに感心している場合ではない。
「プレゼントもチップも禁止はされてないですよね?」
「まぁ、それは……、いいんだけど……」
場合によってはそこは少しグレーゾーンの部分もあると思っているため、迅は困り顔で口ごもる。
とりあえず、今はそこではない。
「片付けようとしてくれる気持ちは嬉しいんだけど、物を勝手に動かされたり、捨てられたりするのは困るから」
迅にしては珍しく、少しだけ強めに主張する。
相談もなく配置を動かされたらどこになにがあるのかわからなくなってしまうし、使ってないからと勝手な判断で物を捨てられてはたまったものではない。
「はぁ……、すみません」
「アオ」
まったく響いていないアオへ、さすがの迅も厳しい目を向ける。
「さすがに目に余るようだったら出ていってもらうから」
「それは困ります!」
困ると言われても、現実問題として、早く家を見つけて出ていってもらわなければ。
さすがにいつまでも居候を許すわけにはいかなかった。
「だったら大人しくして余計なことはしないでいること」
「はい……」
帰る場所がなくなって困るのは当然で、アオは渋々迅の警告を受け入れる。
だが、その直後。
「あ! 時間だ!」
ふと思い出したように時計へ顔を向けたアオから、焦ったような声が出た。
「時間?」
「予約の時間です! すみません、準備しますね……!」
「え。時間、大丈夫?」
バタバタと動き始めるアオにつられて時計を確認してみるものの、そもそも迅はアオのスケジュールを把握していない。
今は九時手前だが、いったい何時からの予約なのだろうか。
「なんとか!」
軽く化粧をするアオを、さすがだと感心しながら横目で眺め、忙しくなく出ていく後ろ姿を見送った。
「あー……」
額に手をやった迅は、悩ましい声を洩らして項垂れる。
予約では仕方がないとはいえ、まともに話せなかった。
先日部屋に連れ込んでいた女性のこと。パッと見で片づけられてしまっている日用品の在り処。ラインで連絡を取ろうにも予約中では返事ができるはずもないし、そもそもアオは既読スルーどころか既読が付かないことも多い。
「ゴミを捨ててくれたのはありがたいけど……」
ゴミ出しのタイミングが合わずに溜めてしまいがちのため、それだけは感謝したいとは思うものの、他の行動は余計すぎる。
ほのかに身体に絡む甘い木の香りを感じながら、迅はとりあえず身体をベッドに投げ出した。
が、その時。
「ん?」
スマホに着信があり、仰向けになったまま画面を確認すると、事務所からだった。
「はい」
――「お疲れさまです。ラブホです。お休みのところを申し訳ありません」
ラブホの出勤と入れ替えに事務所を退勤したため、今日の電話番がラブホであることは把握している。
ラブホの口調はあいかわらず淡々としているが、対応は丁寧だ。
「どうかしたんですか?」
――「今日のシフトは夜からになっていますけど、昼間はなにか用事が入っていたりするんでしょうか」
「いえ、とくには」
横着をしてゴロゴロしながらスケジュール確認に返事をする。
夜勤が入っていたため、午前中は少し寝て、そのままの流れでたまにはゆっくりしようと夕方まで休みを入れていただけのことだった。
――「でしたら、このあとお昼から出勤できますか?」
「大丈夫ですけど、お客様ですか?」
この流れからすると、今日、迅を指名したいと思ったものの、シフトが出ていなかったために直接お店に問い合わせをした、というところだろうか。
――「はい。今、お店のほうに直接電話があって。シフトは出ていないけど可能か、って」
案の定、想像通りの答えが返ってきて、迅は今後の動きを頭の中で組み立てる。
何時からの希望かはわからないが、少しだけ仮眠を取ったら準備をしなければ。
「大丈夫です。そしたらあとでラインのほうに詳細の連絡をください」
――「わかりました。予約を受付させてもらいますね」
「お願いします」
電話を切り、連絡が来るまでにできる準備はしておこうと、ベッドから起き上がる。
ホテルでシャワーは浴びるものの、出かける前にも仮眠からの目覚ましも兼ねてシャワーを浴びておきたかった。
とりあえず着替えを用意しようと、服装に悩みながらクローゼットを開け、チェストを引くと視線を落とす。
「……あ、れ……?」
そこで違和感を覚え、迅は引き出しの中身を隅々まで確認した。
「たしかここにあったと思うんだけど……」
迅はあまり要望されることはないのだが、施術コースの中には大人の玩具を使うものもあるため、迅も一般的な道具は何種類か常備している。
その中で、しばらく前にラブホからもらった新作玩具を未開封のまましまっておいたはずなのだが、見当たらなかったのだ。
「あんなもの、動かす必要あるか?」
まさかアオがこんなところまで確認して片付けたのだろうかと眉が寄る。
〝カリスマ女風ユーザー〟ともなると、その手の会社から宣伝も兼ねて玩具をもらうことがあるらしく、自分は使わないからとラブホから押し付けられたものだった。
ちょっと変わった仕様をしていて、迅も使うことはないだろうと思っていたため、なくなったからと困ることはないのだが。
「あとでアオに確認しないと……」
アオへの確認事項が増えたと思いながら準備を進めていると、お店からスマホへ詳細内容が送られてきた。
「さて、と……。ご新規さんで、名前はサク……、サクラ、さん……?」
予約内容を確認し、そこに書かれている名前を目にした迅は動揺する。
頭の中に、シークレット・ラバーズ本店の〝ハヤト〟時代によく会いに来てくれた女性の可愛らしい笑顔が浮かんだ。
だが、サクラ、など、よくある名前だ。
サクラのことを思い浮かべてはこれから会う女性に失礼だと、迅はその残像を振り切るように首を横に振る。
新規のお客様に会う時は、いつもどんな女性なのかと、楽しみな気持ちと少しの緊張感で気分が高揚する。
そうして仮眠を取り、準備をし、十二時にホテルで合流希望だという部屋へ向かったのだった。
*****
「こんにちは。forestから参りました、ジンです」
チャイムを鳴らし、わずかな緊張を覚えながら声をかける。
「どうぞ」
扉はすぐに開かれて、けれどすぐに踵を返してしまった女性の顔を確認することはできなかった。
室内を先導する小さく華奢な女性の後ろ姿には、どこか見覚えがあるような気もしたが、迅の気のせいだろうか。
「あの……」
おずおずと声をかければ、ベッドの横にあるソファセットの前で足を止めた女性が振り返った。
「こちらにお座りください」
座ることを促してくる女性の顔を目にした瞬間、迅の目は驚愕で見開いた。
その女性は、忘れもしない……。
「えっ? ――サクラ!?」




