第十話 疑惑①
ふわふわとした茶色の長い髪に、大きな瞳。一目見て「人形みたいに可愛い子だな」と思ったが、今はそんなことを考えている場合ではない。
「えと……、おかえりなさい?」
「あ、はい。ただいま……じゃなくて!」
小さく首を横に傾けながら迎えられ、つい帰宅の挨拶をしかけてしまうが我に返る。
「あの……、どちらさま、でしょうか……?」
相手がベッドの上にいる、という時点であまりそちらを見てはならない気がして、心なし視線を宙に逸らしながら問いかける。
裸や下着姿ではなかったことは幸いだが、おそらく女性が着ている大きめなTシャツはアオのものだ。
「未空、と申します」
「みく、さん」
「はい」
名乗られたところで沈黙する。
名前が判明したからと、状況がわかるわけでも、動くわけでもない。
「……え、と……。ここはオレの家なんですけど、未空さん? はどうしてここに?」
「あ。それは蒼くんから聞いてます。ジンさん、ですよね? 蒼くんが今同居してるっていう。もしかしたらジンさんが帰ってくるかもしれないから、そしたら鍵は渡しておいて、って言われて預かってます」
おずおずと声をかければ、枕の横に置いてあった、アオに貸したスペアキーを「はい」と手渡され、迅は反射的にそれを受け取った。
どうやら、未空が帰るまでに迅が戻らなければポストに入れておくか、戻ったならば迅に渡すように言われていたらしい。
同居などではなく居候の身の上なのだが、アオのこの厚かましさは天然だろうか。
「ジンさんにはあとで連絡する、って言ってました。それと、今夜はお泊まり予約だから帰らないそうです」
「そう……」
相変わらずアオは多忙を極めている。
そんな中で、よく女性を連れ込んだものだと変な感心をしてしまう。
「蒼くん、昨夜遅くにウチのお店に遊びに来てくれて。わたし、アイドル時代の蒼くんを知ってるんですよね。今は女性向け風俗のセラピストやってるって聞いて、もっと話したくなっちゃって、ついそのまま店外を」
店外、という言葉を聞いて、アオの行動を想像できるものがあった。
「お店、って……。もしかしてキャバクラですか?」
「はい」
あっさりと頷かれ、脱力する。
どうやらアオは昨夜の祝賀会のあと、一人でキャバクラに遊びに行ったようだった。
そしてアイドル時代の自分のファン……なのだろうか、一応は。未空を、お店終わりにラブホテルに行くのではなく連れて帰ってきたらしい。居候をしている、他人の家に。
「よければ名刺をお渡しするので、ジンさんも今度うちの店に遊びに来てください」
「あ。いや、そういうのはけっこうです」
ブランド物のバッグの中からごそごそと名刺を出してきそうな未空を、迅は慌てて制止する。
女性は好きだが、キャバクラには興味がない。たとえアオに誘われようが足を運ぶことはないだろう。
「そうですか。残念」
溜め息混じりに呟かれたその言葉に、「なにが残念!?」と心の中で突っ込みながら、迅は改めて未空に問いかける。
「つまり未空さんは、アオの彼女、とかではないってことですか?」
「はい」
勝手な偏見で申し訳ないが、特定の彼女を作るようなタイプには思えなかったため、はじめからアオの彼女だとは思っていなかったものの、あっさりと肯定されるとどう反応したらいいのか困ってしまう。
いい大人をした男女が一夜だけの関係を楽しむことを、迅がどうこう言える立場にはない。
「あー……」
それでも頭を抱えてしまうのは、ここは迅の家であってアオは居候の身の上で、しかも高確率で迅が帰ってくることをわかっていて未空を一人で置いて出ていくという行動を取る思考が理解できないからだ。
しかも、いくら時間がなかったとはいえ、先ほど駅ですれ違った時になんの説明もされなかった。
「追い出すつもりはないのでゆっくりでいいんですけど……。準備ができしだい、お帰りください……」
「……なんか、すみません。蒼くん、昨日の夜は同居人が帰らないから大丈夫って。今日の朝は、もしジンさんが帰ってきても問題ないから気にせずゆっくりでいいよ、って言うから……」
帰宅早々疲れが増し、力なく帰宅を促せば、未空はさすがに申し訳なさそうに謝罪した。
それにしても、いくら元アイドルの蒼を知っているとはいえ、おそらく初めて会ったアオの言うことを信じて他人の家にやってくるのはどうなのか。
「今回は相手が〝蒼〟だったからかもしれませんけど、未空さんは、店外をするにも気をつけたほうがいいですよ……?」
キャバクラにおける〝店外〟は通常業務の延長なのかもしれないが、さすがに心配にはなってしまう。
余計なお世話かもしれないと思いつつ、つい心配になってしまった迅へ、未空は丸くなった目を向けてくる。
「あ。本当にいい人だ。ちょっと襲われることも覚悟したのに。ありがとうございます」
「なにを言うんですか!」
そんなことをするはずがない。
冗談にしても、場合によっては口にした時点で気が変わってしまうおそれもあるというのに、どれだけ危機意識が低いのだろう。
思わず説教じみた声を上げてしまった迅へ、未空は楽しそうな笑みを零す。
「はい。気をつけます」
そうしてゆっくりと化粧をする未空をスマホで時間を潰しながら待ち、未空が駅に向かって歩いていく姿を、迅はベランダから見届けたのだった。




