第九話 信頼関係③
駅に向かう帰り道。迅はラブホの隣を歩いていた。ゆっくりと歩を進めるラブホの足取りはしっかりしているものの、ほんのりと赤く染まった横顔はアルコールの影響であることが窺える。女性一人で繁華街を歩かせるのは、と、迅は改札までとはいえ送ることを名乗り出たのだ。
警戒されている、ということはさすがにないはずだが、拳一つ分ほど空いたラブホとの間には沈黙が漂った。
厳しい意見をぶつけられることもあるものの、事務所では普通に話しているのだ。迅が妙にかまえてしまっているだけで、ラブホはなにも感じていないかもしれない。
「あっ」
「え?」
前から歩いてきた酔っ払いを避けるため、咄嗟にラブホの肩に腕を回して身体を引き寄せてしまった迅に、ラブホの丸い目が向けられる。
こういった場面に遭遇すれば、一般男性も同じ行動を取ると思うのだが、もしかしたらこんな些細なことも職業病だったりするのだろうか。
「ありがとうございます」
寸でのところで酔っ払いの男性を避けることができた状況に気づいたらしく、いつもよりもはるかに柔らかな雰囲気でラブホが感謝を伝えてくる。
「いえ」
すぐにラブホから身体を離した迅は、やはり自分のほうにフィルターがかかっていたのだと、自分を見上げてくるラブホのほんのり赤く染まった顔を見つめた。
「迅さん?」
きょとん、と首を傾げたラブホの瞳が不思議そうに瞬いた。
ラブホが黙って迅の隣を歩いていたのは、気まずさを感じていたわけではなく、むしろ言葉のない空気感を自然と受け入れていたからだ。
それがアルコールの力によるものだとしても、信頼の証を感じ、今であれば、と、迅は覚悟を決めて口を開く。
「実はオレ、ラブホさんにずっと聞きたいと思っていたことがあって」
「なんですか?」
この半年で、人間関係としてのラブホとの距離は、確実に縮まったと思っている。
少しは気を許してくれているのではないかとも思っている。
ただ、迅の人間性への評価に変化はあったのだろうか。
「最初に抱いたオレに対する嫌悪感というか、不信感というか……、そういうものは少しは払拭されたんでしょうか」
「? なんの話ですか?」
わずかな緊張を覚えながら問いかければ、ラブホからはきょとん、とした不思議そうな反応が返ってくる。
「……昔、SNSのオレの投稿を引用して、思いっきりダメ出ししたじゃないですか」
さすがに「辛辣に叩かれた」とまでは言えずに、オブラートに包んでラブホとのネット上の出会いについて説明する。
だが。
「……迅さんの投稿? すみません。いろいろなセラピストさんの投稿を引用しすぎて覚えていないんですけど、どれのことでしょうか……」
「え……」
申し訳なさそうに尋ねられ、たしかにそれはそうかもしれないと動揺する。
カリスマユーザーであるラブホの日々の投稿数はかなりのものだ。
自分がした発言とはいえ、すべてを覚えているはずがない。しかも迅の投稿を引用したのは、初顔合わせの時点で半年以上前の出来事だった。
「え? あのセラピストって、迅さんだったんですか?」
「はい……」
SNSの発言をラブホに引用された過去を説明すれば、ラブホは驚いたように目を丸くした。
その反応に、自分だけが気にしていたのかと、ほんの少しだけ恨めしさを感じながら脱力してしまう。
今となっては過去のことだと流しているが、当時はそれなりに傷ついたのだ。迅のほうはちょっとした袋叩きにあったというのに、ラブホのほうはまったく覚えていない――というよりも気づいていなかったとは悲しすぎる。
今さらながらラブホと話を擦り合わせたところ、新規店立ち上げの初顔合わせの際、ミサトは迅が元セラピストであることは話しても、それが〝ハヤト〟であったことはラブホに伝えていなかったらしい。
豪快で大雑把な性格をしているミサトだが、経営者という責任ある立場にいる姿を見た時には、個人情報の管理などは徹底している。
これから新規店を一緒に盛り上げていく仲間とはいえ、それぞれが自分の抱えた事情をどこまで話すかは繊細な問題であり、人の過去を勝手に話したりしないところはとてもミサトらしかった。
「あの時は迅さんの人となりを知らなかったとはいえ、ごめんなさい。投稿された内容を見て、思い込みだけで非難してしまって」
「い、いえ! そんなことはいいんですけど……!」
酔いが回っているから、と考えるのは失礼かもしれないが、いつも頑なな態度を崩さないラブホに素直に頭を下げられて動揺してしまう。
ただ、アルコールが入って思考が緩くなっているからこそ、素直な本音が洩れてしまっているのではないかと捉えてしまうのは、強引な考え方だろうか。
「……なにごとも最初が大事とは言いますけど、わたしが最初に指名したセラピストが迅さんだったら、わたしの女風ライフはかなり違ったものになっていたんでしょうね……」
「え……」
迅の隣をゆっくりと歩きながら洩らされた呟きに、迅はラブホへ驚きの目を向ける。
なんだか、すごい告白を聞いたような気がする。
「なにか、あったんですか? その、最初のセラピストと」
言いたくないのであれば無理に話す必要はないと窺えば、ラブホはどこか遠くを見つめて口を開く。
「相手にされていなかったんですよね。DMは一週間は返ってこない。会っている時にも話すのはわたしばかりで、その人はいつも聞いているのかいないのか、どこか上の空。マッサージはしてくれないし、性感も十分やってくれたらいいほうでした。……わたし、この見た目じゃないですか。かなり太っているし。今思えばそのセラピストさんがおかしいことはわかるんですけど、当時はその人しか知らなかったので、やっぱり自分はお金を払ってさえ男性に認めてもらえない醜い人間だとどんどん追い詰められてしまって」
傷ついた心をできる限り他人事のように語ろうとしている静かな告白に、迅は思わず息を呑む。
悲しい現実だが、この仕事のなにを勘違いしているのか、平気で女性を傷つけるセラピストが一定数存在することはたしかだ。
女風デビューでそういったセラピストに当たってしまうと、勇気を振り絞って利用した分、傷は深くなり、トラウマになってしまうことは多い。
ラブホが言うように、そういった態度を取るセラピストのほうに圧倒的な非があるのだが、他のセラピストを知らないためにそれがおかしいことに気づかず、自分が悪いと考え、好かれるよう努力し、結果、さらに傷ついて精神的に疲弊していく。
壁を感じるラブホの態度や、SNS上での尖った発言は、そういった過去から来ているものなのだと思えば納得がいってしまった。
「〝カリスマユーザー・ラブホ〟なんて、偶像なんですよ。〝ラブホ〟の名前で予約したことなんて一度もないので」
くすり、と、ラブホは自嘲気味の笑みを零す。
聞けば、女風利用時は〝ラブホ〟ではなく、予約専用のアカウントから別人を装ってセラピストを指名しているという。
ミサトと出会った年末のイベント時も、〝ラブホ〟ではなく別人として参加していたらしい。
すべては、〝ラブホ〟のカリスマ性を損なわないため。本来の姿を晒してしまったら、カリスマ性を失い、誹謗中傷を受けることは目に見えているからだと告げるラブホの話に、ルッキズムの怖さを思い知らされた気がした。




