第九話 信頼関係②
すでに店はサプライズで抑えてあると告げられて、所属セラピスト全員とスタッフでこのまま祝賀会を開く流れになる。
ほぼ二十四時間体制の事務所を空にするわけにはいかず、一人だけ残ることになってしまった女性スタッフ――細井には申し訳ないと思いつつ、徒歩十分ほどの距離にあるバーまでみんなでぞろぞろと歩いていく。
そうして用意された個室は、白い丸テーブルが並べられた両脇に三人掛けのソファーが二つずつ並んだ、黒い壁紙のシックな部屋で、各々好きなアルコールを注文するとミサトを中心に乾杯した。
「フウガは断るかと思った」
グラスを片手に、迅は一番端のソファに座っているフウガの元へ寄っていく。
迅の勝手な思い込みかもしれないが、フウガはみんなで和気あいあいとお酒を楽しむタイプに思えなかったため、この場にいることが少しだけ驚きだった。
「……まぁ、今回はな。タダで美味しい酒が飲めるなら」
「そっか。それならよかった。フウガも参加してくれて嬉しいよ」
さすがにそこまで付き合いは悪くないと苦笑するフウガへ、迅はほっとした笑顔を見せる。
しばらく前に辞めてしまうのではないかという空気を醸し出していたフウガの姿を思い出せば、こうして開店半年祝い兼目標売上達成祝いのハレの場に一緒にいられることが純粋に嬉しかった。
「次回もぜひ」
「気が向いたらな」
次の祝賀会はどんなもので、いつになるだろうか。
明るい未来を想像し、次回の参加を促すと、フウガからは肩を竦めたつれない反応が返ってきて、フウガらしいと笑みを誘われてしまう。
「ところで、後半の伸びがすごかったけど、なにかあった?」
あとから運ばれてきたつまみに手を伸ばしてアルコールを楽しみながら、ふと目標金額達成に多大なる貢献をもたらしたフウガの売上を思い出し、迅はフウガの横顔を見つめた。
フウガの性感テクニックは誰もが認めるところで、アオの知名度やキャスの話題性から店全体が注目を浴びているとはいえ、さすがに後半の跳ね方は普通ではなかった。
「あぁ。別に急激に顧客が増えたわけじゃない。ほぼ一人からの指名だ」
「それはすごいね。でも、大丈夫?」
大口のお客様がついたのならば、急な売上上昇も不思議ではない。
滅多にはないことだが、業界用語で「一本釣り」と呼ばれるもので、そのセラピストの月の売上がほぼ一人の女性によるものという話は稀にある。
だが、売上のほとんどを一人の女性が占めるという状況には不安要素があり、余計なお世話かもしれないと思いつつ、そっとフウガの顔を窺った。
「どうだろうな。親の遺産が入った、って話だが」
「……そのパターンか」
あっさりと資金源を話してくれたフウガに、迅は顔を顰めると吐息を零す。
急に大金を手にしたパターンとして、たまに聞く話だ。
ただし、そのパターンにはあまり良いイメージがない。
たいていが勢いよく予約を入れ続けるが、当然資金が補充されることはないため、すぐに底がついて止まってしまう
「ほどほどにね」
だからといって迅に女性を止める力があるはずもなく、せめてお金をどぶに捨てたというような後悔だけはないようにと、フウガへ祈るような目を向ける。
フウガは、自分の働きにたいしてしっかり対価を要求するタイプではあるものの、決して色恋をしかけて女性を搾取するような性格ではない。
「て言われてもこればっかりはな」
肩を落として溜め息をついたフウガは、目で空を仰いだ。
迅と同じく、それなりに業界歴の長いフウガも状況は理解しているらしい。
大金を得た理由を聞けば、そのうちその女性からの予約がなくなる未来は見えている。
「俺は性感技術には自信があるけど、メンタルケアは得意じゃない」
自己申告通り、フウガはそもそも「風俗である以上、性感特化」タイプの人間で、最初からメンタルケアなど考えていない。
「なにがよかったんだが」
親を亡くした寂しさを埋めるにしても、自分はあまり相応しくない、という空気を滲み出して吐息を零すフウガに、迅は苦笑いを返す。
「まぁ、意外とね。フウガみたいなタイプにハマる人はハマるんじゃないかと思うよ」
誰にでも等しく優しくするタイプではないからこそ、自分のテリトリーに踏み込んでこない距離感が安心できる、という女性は一定数いるような気がしている。
そして、だからこそ振り向かせたい、という欲が出てきてしまうことがあることも。
「あ! フウガさん!」
そこでカナタが寄ってきて、フウガへふにゃりとした笑顔を向ける。
目元が潤んで赤くなっているところを見ると、それなりに酔いが回っているらしかった。
「なんだ?」
「実はこの前、お客様からダブルに興味がある、って言われたんですけど、もし要望があったら一緒に入ってくれますか?」
ダブルというのは、同時に二人のセラピストを指名することだ。
女性一人にたいして男性二人という非日常体験が味わえるため、興味を持つ女性は多い。
たいていは女性のほうから組み合わせを希望されるのだが、今回の場合、カナタにおすすめセラピストを相談されたとのことだった。
「ダブルの醍醐味って、やっぱり同時に二人から責められることだと思いますし。その背徳的な快楽を引き出すのが上手いのは、性感特化型のフウガさんかな、って」
セラピストを二人指名するということは、当然料金も二倍になる。
だからこそ、絶対に後悔はさせたくないと、むしろ夢のような時間だったと満足してほしいと、カナタは力強く訴える。
「やるからには全力で、お客様を練習台にするつもりはまったくないですけど、自分の技術を見てご指導いただきたいですし、フウガさんのテクニックを学ばせてもらいたいですし」
「ダブルか……。俺も二、三回しか経験ないけど、その時は事前に言ってくれ。さすがにぶっつけ本番は無理がある」
「もちろんです!」
ダブルプレイにおいては、二人の息の合った立ち回りが必要とされるため、事前にしっかりと段取りを確認しておきたいというフウガの要望に、カナタは嬉しそうな返事をする。
普段は単独行動を好むフウガだが、こんなふうにストイックに仕事に向き合う姿勢を見ると、「本物」だと感動する。
だが、フウガのプロ意識を前にして身が引き締まる思いがしつつも、自分がフウガを褒める行為は厚かましい気がして、代わりに笑顔でカナタに向き直る。
「カナタは本当に頑張ってるよね。定期的に一人キャス配信もしてるんだよね? 見ていて応援したくなる」
「はい! ありがとうございます」
講習会への参加のみならず、カナタは週に四回、三十分間の動画配信をしていて、確実に指名を増やし、リピートに繋げるための努力の様子が伝わってきていた。最初のキャスで「幼稚」だと揶揄された言動は、ここ最近完璧に改善されたようだった。
現在売上五位のカナタは、まだまだ発展途上の段階だと、きっと努力が実を結ぶ日が来ると信じて声をかければ、カナタは力強く頷いた。
「トウマもね」
少し離れた場所からこちらの会話へ耳を傾けているトウマの姿に気づいた迅は、トウマのほうへ顔を向ける。
一カ月の清掃活動を命じられたトウマは、毎日事務所へ足を運ぶことになり、結果、ラブホからユーザー目線の話を聞く機会が増え、それを営業に活かせるようになったとのことだった。
「例の件では本当にいろいろと考えさせられました。これからは心機一転で頑張ります」
しっかりとした口調で語るトウマは、この一カ月で一回りも二回りも頼もしく成長したような気がした。
「アオさんはデビューしてからまだ二カ月ちょっとなのに、すごい数のお客さんを抱えて、走り出しから絶好調でびっくりさせられました」
「そうだね」
飲んでいるのかいないのか、グラスを絶妙な傾き具合で口元に当てているトウマの視線の先には、ミサトと楽しそうに話しているアオの姿があって、迅は多少複雑な思いを抱きながら頷いた。
たしかにアオは、デビューするや否や「月城 蒼」のファンだったと思われる女性たちからの問い合わせが増え、瞬く間に予約枠を埋めていった。
だが、スケジュール調整に無理があるのか、出退勤の定期連絡が大幅に遅れるようなことや、入金の遅延。急に連絡が取れなくなったりすることがあるなど、最近少し気になるところが出てきている。
元々「しっかり」したタイプではなさそうなため、うっかりミス程度で済んでいるうちはいいのだが、大きな問題に発展しなければいいと胸がざわめいてしまうのは、迅の考えすぎだろうか。
「フウガ?」
その時、アオを見つめているフウガの視線に気づき、迅はどうかしたのかと疑問の声をかける。
「……いや、なんでもない」
すぐにその視線はアオから外れたが、フウガのその意味深な態度もどこか引っかかる。
だが、目の見えない不安感を晴らすより前に、なにかを思い出したようにフウガの視線が迅へ向いた。
「そういえば、この間、〝ハヤト〟を知ってる、って女がいたな」
「え……」
マッサージ後の雑談の中で、女性の口から一年ほど前に辞めた〝ハヤト〟の話が出たのだと告げられ、迅の目は見開いた。
そこまで指名客が多かったわけではない〝ハヤト〟のことを知る女性は少なく、その中でさらに今も〝ハヤト〟のことを覚えてくれている女性などほとんどいないに違いない。
そこまでの関係性を築いていたと思われる女性は数人しかおらず、その数人の女性の姿を頭の中に浮かべながら、迅はフウガへ疑問の目を向ける。
「なんて名前の人?」
「あー……。たしか、カオリ、だったか?」
名前を聞いても思い当たる人物はいなかったが、特徴を聞き、一瞬「誰か」の姿が浮上した。とはいえ、似たような容姿の女性はたくさんいる。
まさか……、という気持ちに囚われつつ、迅は胸に湧いた不穏な空気を振り払う。
――誰もが未来への希望に満ちた顔をした、この明るい時間がこれからもずっと続いてほしい……。
そんな願いを胸に抱きながら、目標達成を喜び合い、ほんの少しだけ浮かれるメンバーたちと、楽しいひとときを過ごしたのだった。




