第八話 加速③
新規で指名をしてくれた女性とホテル解散をした迅は、駅に向かう途中でふらりと立ち寄った店を出たところで、どこかで見覚えのある風景だと己の記憶を探っていた。
(この場所って……)
セラピストとして来ているのなら、周辺のホテルの記憶が強いはずだ。
だが、そうではないということは、前職で訪れたという推測が成り立った。
とはいえ、前職で〝場所〟の記憶が残るようなことをした覚えはない。
(そうだ……)
手探りの記憶の中で、ふいに思い出の欠片が捕まった。
この先の十字路を曲がった道の先には、かつて〝ハヤト〟を指名してくれていた女性――サクラが働くビルが建っているのだ。
サクラは、辞める前にどうしても会っておきたかった女性の一人だった。辞める理由を告げることのできなかった迅の背中を、昼の世界に帰ったほうがいいと押してくれた。
最後に会ったあの時の、サクラの悲しげな微笑みを思い出す。
「ジン」として再スタートを切ったあと、ミサトの許可を得てかつて〝ハヤト〟を指名してくれていた女性たちに連絡を取ってみたのだが、大半が返事がなかったりアカウントそのものを消してしまっているケースが多かった。
サクラも後者の中の一人で、もう女風利用を止めてしまったのかと寂しく思っていたのだった。
(ちょっと覗くだけ……)
元気にしているだろうか。
こちらが癒されるようなあの笑顔を遠目で見ることができればそれで満足だと、迅はサクラが働くビルへ寄り道していくことを決める。
サクラは受付係をしているため、ロビーを歩いて横目で姿を確認する程度であれば、不審者扱いされることもない。
(あれ……?)
だが、来客者のふりをして受付の前を横切りかけた迅は、そこに立つ二人の女性の姿を視界に入れたあと、つい振り返ってしまっていた。
再度確認するが、どちらの女性も「サクラ」ではない。
「いらっしゃいませ。ご用件をうけたまわります」
「あっ、いえ……!」
思わず「サクラ」の姿を探してしまうと迅の視線に気づいた女性の一人と目が合って、にこりと向けられた営業スマイルにたじろいだ。
用事など、あろうはずもない。
だが、このままでは不審者扱いされかねないと、迅は受付に向かうとしどろもどろと口を開く。
「……えと……、以前、こちらの受付をされていた女性にお世話になった者なのですが……」
今日はお休みでしょうか。と尋ねながら、これはこれでストーカーに間違えられる恐れがあるかもしれないとハッとなる。
だが、迅の心配は驚きの理由で杞憂に終わった。
「水原でしょうか? 大変申し訳ございません。水原でしたら少し前に退職しまして」
「え……?」
丁寧に頭を下げられて愕然となる。
まさか、女風だけでなく、仕事まで辞めていたなど想像できるはずがない。
「そうですか……。ありがとうございます……」
迅はそのまま呆然とロビーをあとにして、気持ちをすっきりさせるためにジムで一汗流すことにした。
そうして久しぶりに思いっきり運動をして電車に乗ると、疲れもあってか少しぼんやりしてしまい、気づいた時には事務所の最寄り駅のホームに降りていた。
「……なにしてるんだろう」
どうやら無意識に事務所に向かう電車に乗ってしまっていたらしく、自己嫌悪に襲われる。
いくらショックが大きかったからと、無意識に事務所への道を選んでしまうなどありえない。
ふと目に入ってきた発車案内表示板の横の時計は、二十二時半を示していて、思わず頭を抱えつつ、自宅へ向かう電車へ乗り換えようとホームの階段を下りた時だった。
「ジンさん……! ジンさんじゃないですか!」
「え?」
明るい声に名前を呼ばれて振り返れば、雑踏の中でひときわオーラの目立つ人物が駆け寄ってきて、迅は無意識に半歩身を引いてしまっていた。
「アオ」
一瞬、「どうしてこんなところに」と思ったが、考えてみれば事務所の最寄り駅なのだから、偶然会ってしまうこともあるだろう。
事務所に寄った帰りなのか、それともこれから向かうところなのか。
だが、目の前までやってきたアオから流れてきた独特の匂いに驚きの声を上げる。
「って、アオ。酒臭くないか!?」
「ちょっと、飲み過ぎちゃいまして。事務所に入金しに行こうと思ったんですけど、やっぱり後日にしようかな、って」
へら、と笑う姿さえ煌びやかだが、予約中に飲んでいたのかプライベートで飲んでいたのか気になるところだ。
どちらにしても自己管理ができているなら問題ないが、「月城 蒼」のスキャンダルが頭に過ぎって心配になる。
詳しく聞くにも、完全に酔っぱらっているアオから正確な情報を聞き出すことは厳しそうだと、今は断念する。
「ところでジンさん。ちょっとお願いがあるんですけど」
「なに?」
アルコールの匂いを漂わせ、へらへらと笑うアオへ眉を顰めながらも耳を傾ける。
「今日、泊めてください!」
「は?」
そして、この関係性で越えるには少しばかりハードルの高い頼みごとを前にして、迅は固まった。
「実は、同棲してた彼女と別れて家を追い出されちゃって。しばらく前から家がないんです」
「はぁ!?」
プライベートを開示する必要はまったくないのだが、それでも思わず「どういうことだよ」と突っ込みを入れたくなってしまうのは、この場にほかの誰かがいたとしても同じだろう。
素っ頓狂な声を上げた迅の衝撃に気づく様子もなく、呂律の回り切らない口調でアオは状況を説明する。
「彼女、猫を飼ってたんですよね。ペット可物件だったんで、俺のほうが彼女の家に転がり込んだんですけど。そういうわけで、俺が出ていかざるをえなくて」
そんな細かな事情は聞いていないのだが、酔っ払いに話が通じるとは思えない。
聞きたいとは思っていないが、とりあえず状況は理解した。
どうやら大きなキャリーケースに生活用品を詰め込んで移動しながら、しばらくネットカフェをはしごしていたらしい。
そのため、女性からのお泊り予約は大歓迎だと笑うアオは、すでにセラピスト業が馴染んでいるように感じた。
アオの状況を聞き、かつてスケジュールが分刻みで埋まっていた伝説のセラピストが、ほとんど家に帰ることができずにキャリーケース一つで移動する生活をしていたという話を思い出し、遠い目になった。
「今、物件を探しているところなんですけど、もし可能であれば二週間くらい泊めてもらえると嬉しいです~」
「二週間!?」
人懐こいのか、ただの酔っ払いなのか。
いつの間に一夜の宿ではなく部屋が見つかるまでになったのかと驚愕しつつ、迅は深々と溜め息を吐き出した。
「……わかった。それくらいなら」
我ながら、人がいい。
「ありがとうございます!」
大型犬に懐かれてしまった感覚を覚えながら、迅は奇妙な同居人と共に家に向かったのだった。




