第八話 加速②
「あら? もしかして、迅が来ているのかしら?」
「!」
「!?」
カチャリと扉が開く音がして、ミサトが顔を覗かせた。
「ミサトさん」
「お疲れ様です」
途端、ラブホの顔からは感情の波が引いていき、静かにミサトを迎え入れる。
「あ。ごめんなさい。取り込み中だったかしら?」
「いえ、大丈夫です」
部屋の空気がなんとなく気まずげなことに気づいたのだろう。
ラブホと迅の顔を申し訳なさそうに窺ってくるミサトへ、ラブホは無表情で首を横に振るとキッチンのほうへ歩き出す。
「よければコーヒーでも淹れますね」
「ありがとう」
すれ違いざまにコーヒーブレイクを勧められ、ミサトはにこりとその提案を受け入れる。
一方で、腕時計の針が示す時間を確認した迅は、申し訳ないながら慌ててラブホの背中へ声をかけた。
「オレはいいです。そろそろ出ないといけない時間なので」
このあと迅にはリピートのお客様からの指名が入っている。
待ち合わせ場所へ向かうまでの時間を逆算すると、ゆっくりとコーヒーを楽しんでいる余裕はなかった。
「そういえば、アオといろいろ話してくれてありがとう。あの子、やっぱり元アイドルって感じね」
迅の前のソファに腰を下ろしながら、ミサトがしみじみとした感心のこもった声をかけてきて、迅は素直に頷くと正直な感想を口にする。
「はい。その姿勢を崩さないところにはちょっとびっくりしてます。でも、彼のおかげで今店は注目を浴びてきているので」
美男美女ばかりの芸能界に身を置いていた過去を思えば、この世界でキラキラとした輝きを保っていられるのかと心配していたのだが、どんな女性に対しても「アイドル」を続けているらしいアオの評価を耳にして、申し訳ないながらも驚きが一番勝ってしまっていた。
元々の性格なのか、それとも常に「アイドル」の仮面を被っているのか、まだアオの本当の姿というものが掴めていない。
現時点で間違いなく言えることは、「元アイドル」というアオの肩書のおかげで、forestが一気に注目を集めるようになったということだった。
「それでね、迅。ちょっと相談があって。少しだけ話を聞いてもらえるかしら?」
「すみません、ミサトさん。今、あんまり時間がなくて」
「大丈夫よ。すぐに済む話だから」
そこで真面目な目を向けてきたミサトへ困り顔を返せば、ミサトは手短に用件だけと話を続ける。
「ちょっと考えたんだけど、もう一度キャスをしてみない? 今度はうちのマッサージを特化した内容で」
つい先日、無事にデビューが決まったアオのお披露目も兼ねて二度目のキャスを開催してはどうかと提案され、迅は少しだけ考え込む。
このタイミングでのキャス配信ともなれば、アオ効果もあって閲覧数が跳ねる可能性はある。
「それはつまり……、マッサージ風景を配信する、ってことですか?」
「えぇ。うちの強みはそこだもの」
キャスト同士で実際のマッサージを実演してみせるような配信は、実際に他店でも時々行われている。
たしかにforestの一番の売りはフウガに加えてエステティシャンの資格を持つミサト直伝のマッサージ技術なのだが、まだまだそのあたりのメッセージ性が強くないことは悔しく思っていた。
美意識の高い女性たちにエステティックサロン並みのリラクゼーション効果が得られる店であることが浸透すれば、顧客数は増えるに違いない。
「どうかしら?」
「そうですね。いいと思います!」
前回の、ただ話を回しているだけの会話よりは、女性の関心を惹けるかもしれない。きっとセラピスト達の個々の魅力も伝わるだろう。
前向きに頷けば、ミサトは満足そうな笑みを浮かべ、さっそく準備に取りかかる。
「そしたら早急にみんなのスケジュールを確認して日程を確保するわね」
「わかりました。お願いします」
まだ少しだけ時間には余裕があるものの、身なりを整えて待ち合わせ場所へ向かわなければ。
キャスについてはミサトに任せ、迅は頭を下げると休憩室をあとにしたのだった。
*****
肌トラブルの悩みを抱える女性は多い。
forestのコンセプトとしてミサトが掲げているマッサージ技術――リンパマッサージには、デトックス効果があり、肌のターンオーバーが整い、肌の改善にも効果的だという。
ミサトと迅が事務所で話をしてから十日後に行われたキャスは、そんな女性たちの悩みに寄り添うことを全面に押し出した実演配信で、見事マッサージへの信頼を上げることに成功し、他店では行っていない本格的なマッサージは注目を浴びることに繋がった。
また、アイドルからセラピストへ転身したアオの存在も話題に上っており、キャスのリアルタイムの閲覧数は、業界では前代未聞の千人超えという数字を叩き出し、配信直後から多くの問い合わせを受けることになったのだった。
その、注目となったアオだが、指名客の中には今まで「女風」などという言葉すら知らなかった、アイドル時代から「月城 蒼」を追い駆けてきた女性たちも数多く存在していると耳にした。
それはそうだろう。ずっと憧れてきた「推し」が――、手が届くはずのなかった存在が、お金さえ払えば性的なサービスをしてくれるのだ。「月城 蒼」のファンにしてみれば、追っかけをするより安い金額で濃厚な時間を過ごせるのだから、女風を利用しないという選択肢はない。
結果、一般の人々の中に「女風」の存在が浸透しはじめたようにも感じられた。
forest自体もアオの知名度に引っ張られるように注目を浴び、他のセラピストたちもそれぞれ得意な能力を最大限発揮して、そのあとは次々と新規顧客を獲得していったのだった。
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重厚感のあるデスクに、上質な革張りのデスクチェア。高級そうなローテーブルの前には座り心地のよさそうなソファが置かれ、部屋の奥には小さなバーカウンターやコーヒーマシーンが見えた。
高級ホテルのスイートルームを思わせる広い部屋は、どこかのオフィスの一室だろうか。
「……まさか、セラピストを続けているとは意外だな」
窓際に立ち、夜の街並みを見下ろした男は、女性からの報告を受け、口元へ嘲笑の笑みを刻んだ。
「はい。わたしも気づいた時には驚きました」
報告者である女性は、男から離れた位置で所在なさげに瞳を揺らめかせる。
「どうされますか?」
「どう……? なぜ、私が動く必要が?」
「え?」
「今さら、ここまで手が届くはずがない」
男は感情の見えない冷たい目を女性へ投げ、女性自身には興味なさげにすぐに視線を足の下にある街並みへ戻す。
「とはいっても」
たとえ獅子の周りを飛び回る小蠅のように取るに足りない存在だとしても、目障りであることはたしかだ。
いつでも尾で潰すことはできても、羽音は読んで字の如く「五月蠅」くてたまらない。
「……気に入らないな」
わずかな苛立ちを見せて呟かれたその言葉に、女性がなにかを決心するかのように視線を落とし、唇を引き結んだが、男がそれに気づくことはなかった。




