第八話 加速①
少しだけ暑さも和らいできた九月初旬。予約の間に中途半端な時間が空いてしまったため、入金も兼ねて事務所に立ち寄った迅は、バタバタと忙しくなく動いているアオと擦れ違った。
「アオ?」
「これから予約なんです!」
なにかあったのかと目を丸くする迅に、アオからは時間がないとばかりの焦った声が返ってくる。
どうやら様子を見ている限り、マッサージオイルを取りに来たらしかった。
「え……、あ……、頑張って」
「はい! ありがとうございます! いってきます!」
邪魔になってはいけないと遠慮がちに声をかければ、そうとう急いでいるらしいアオは、振り向くことなく挨拶をして去っていく。
その姿に、遅刻したりしないかと心配になるものの、あいかわらず元気だと苦笑が零れしまう。
そうしてアオを見送った迅は、この空き時間にDMの返事をしようと思い、休憩室に向かうとソファに座り、スマホの画面を開いていた。
そこには何通かの新着通知があり、女性たちの名前が並んでいる。
その一つ一つを丁寧に確認しながら順番に返信DMを送っていく。
Moca
――『ほんと、メンヘラでごめんね(泣)。でも、支えてくれたら嬉しい……』
――『支えたいと思ってるからなんでも言って』
――『ありがとう。なんか泣きそう』
――『泣かないで』
おとうふちゃん
――『もう私のことは見捨ててくれていいよ』
――『見捨てないよ。だから安心して』
――『そんなこと言って、ジンくんも私から離れていくんだよ』
――『オレはいなくならないよ』
紗里
――『今度、一週間貸切してほしい、って言われてて……』
――『もう止めなよ。それ、絶対に大切にされてないから!』
――『でも、彼を支えられるのはわたしだけだから……』
――『だからって、貸切中、全然優しくないんだよね? ずっとスマホ弄ってるんでしょ? 残酷なことを言うけど、紗里はいいように利用されてるだけだよ』
――『そんなことない!』
――『紗里は優しいから、つけ込まれてるんだよ。お願いだからそんな人に大金をつぎ込まないで。他にもっといい人いるよ。オレに使ってとは言わないから、目を覚まして』
女風を利用する女性たちは、全体的に精神面が弱いような気がしている。
元々の性格なのか、指名セラピストとの関係悪化でそうなってしまっているのか、その両方なのか。
迅のところには、そんな女性たちから相談DMが送られてくることが多かった。
そして現在、もっとも迅の頭を悩ませているのが、質の悪いセラピストから明らかに〝カモ〟にされている紗里という女性とのやり取りだった。
恋は盲目とは言うけれど、話を聞いていて明らかにおかしいと思うのに、忠告を聞き入れてもらえない。
迅には全財産を搾取される未来の紗里の姿が見えているのに、どうしたら止められるのかわからなかった。
「……本人も、うっすらおかしいとは思っているはずなのに……。この後、なんて返そうかな」
手にしたスマホのDM画面に向かい、迅は深々とした溜め息を吐き出した。
相手を本当に信じているなら、わざわざ迅に相談などしてこないはずだ。
送られてくるDMの内容が不安定なのは、疑心暗鬼になっている己の心を迅に否定してほしいからに違いない。
紗里がほしがっている言葉を与えることは簡単だ。だが、それが本当の優しさだと迅は思わない。相手のことを本当に思っているからこそ、時に厳しい言葉をかけることもある。
「独り言ですか」
「うわぁ!?」
そこで突然影が射し、思考に没頭していた迅は、飛びのくほど驚いてその声の主のほうへ振り返った。
「……たしかに紗里さんへの返信は難しいと思いますが」
スマホ画面へちらりと視線を投げ、半分呆れたような表情で納得の声を洩らしたのは、事務仕事をしていたはずのラブホだ。
「……ラブホさん。今、オレのDM画面をPCで見てましたね。ラブホさんも忙しいと思いますし、お願いですからDMをチェックするの、止めてもらえませんか」
ドキドキと鼓動を打つ心臓を静めるように胸元に手を置いて、迅は苦虫を嚙み潰したような顔でラブホへ要望する。
ラブホに悪気はないのかもしれないが、監視されているかのようであまり気分がいいものではない。
だが。
「なにかやましいことでもあるんですか?」
「そういうことではなくて! 一応はプライバシーの問題が」
「でも、トウマさんのこともありますし」
「それは……、そうですけど……」
覗き見行為への正統な理由を告げられて、反論できずに口ごもる。
先日発覚したトウマの違反行為は、たしかにラブホがDMをチェックしていなければ、無料会いを繰り返し、第二第三の女性が出たかもしれない。
おかげでラブホの行動を強く拒否することができず、この件に関しては少しトウマを恨めしく思っている。
「紗里さんが全財産を失おうが、それで風俗を始めようが、全部本人の責任で自業自得です。迅さんがそこまで気に病む必要はありません」
介護業で夜勤もあるという紗里は、堅実にお金を貯めるタイプだったはずが、最近では預金を切り崩し、少しでも節約をするために食費を削り始めたようだった。
さらには、お小遣い稼ぎで下着を売ったようなことも言っていて、そのうち指名セラピストのために風俗を始めようかと言い出しかねない危うさを感じていたのだが、それは迅の気のせいではなかったらしい。
ラブホの厳しい意見を正面から受け止めて、迅は自分の考えを主張する。
「オレはそんなふうに思えないです。明らかに悪いのはセラピストのほうなのに、黙って話を聞いているだけなんて」
女性の身体と心に寄り添い、癒しを与える――、をコンセプトにしている仕事だというのに、女性をお金としか思っていないセラピストが一定数いる現実を否定することはできない。
恋心につけ込まれ、限界を超えたお金を搾取され、心身ともにボロボロになっていく女性の姿など見たくなかった。
だから迅は、必死になって止めているのだ。
「たった一回会っただけなのに、いつまでDMを続けるつもりなんですか」
「彼女をサポートする手段はDMしかないじゃないですか。それに、もしかしたらまた会ってくれるかもしれないですし」
「コスパ悪すぎます」
ジトリと呆れた目を向けられて、迅は困ったように苦笑する。
少しでも長く本命セラピストを指名しようとお金を作っている中で、迅に会う余裕などあるはずがないことはわかっている。
それでもここで迅が彼女を見離したら、誰が彼女に寄り添ってくれるというのだろう。
「コスパの良し悪しなど考えたことはないです。別に指名がほしくてやっているわけではないので」
「……正気ですか?」
「いやまぁ、さすがにそれは言い過ぎかな。いつか、っていう下心がないわけじゃないですし」
現実を受け止めて、本命セラピストの執着から解放されたあと、笑い話にするための自棄酒に付き合うくらいのことはさせてくれないかとは思っている。
「……迅さんは……っ、本当に……!」
ちょっとした下心を正直に口にしてバツが悪そうに笑った迅へ、表情を歪ませたラブホが感情を吐き出しかけた時。




