第七話 成長③
それからあっという間に一カ月の時間が流れ、季節は梅雨を迎えていた。
少しずつではあるものの、forestを利用してくれる女性は増えていき、四人のセラピストそれぞれにリピートがつくようにもなった。とくにカナタは自分の欠点を改善しようと努力している姿が見え、応援したいという女性の心をくすぐっているようだった。
また、フウガに関して言えば、都内に出張に来たかつての指名客が長時間予約をしてくれるなど、良い風向きを感じられた。
忙しさのあまりどうしても細かな場所まで手がまわらずにいた事務所の清掃も、トウマのおかげで綺麗になり、数日前にはウォーターサーバーが導入されるという出来事があった。その横にはミサトがもらってきたお菓子も並べられていて、質素だった事務所内が全体的に明るくなった気がした。
ただ、黒字に転化したとはいえまだまだ経営状態は厳しく、焦りは禁物だと思いつつ、なにか一つ起爆剤になるものがないかと相変わらず手探りを続ける日々でもあった。
そんな中。
「月城 蒼、ですか?」
話があると言われて仕事の合間に事務所へ立ち寄った迅は、ミサトの口から出た聞き覚えのない名前に疑問符を浮かべていた。
「えぇ。あまり売れてはいなかったみたいだけど、何曲か発表してる五人組アイドルの一人よ」
どうやらデビュー曲はある程度売れたものの、そのあとはそこまで大きな話題になることなく燻り続けていたアイドルらしい。
「月城 蒼」について、そう簡単に説明したミサトは、そこで苦笑いを洩らした。
「正確には元ね」
「元……?」
きょとん、と目を瞬かせる迅へ、ミサトは苦笑いのまま静かに頷いてみせる。
「そう。未成年への飲酒強要と女性関係のスキャンダルを週刊誌に暴かれて……。一時期少しだけ騒がれていたんだけど、知らないかしら? 私はちょっと覚えているんだけど」
個人の名前はもちろん、そんなニュースがあったことも迅は知らない。
だが、小さな話題でもメディアに取り上げられたなら調べれば出てくるだろうとスマホで検索すれば、すぐに数十件がヒットした。
――芸名:月城 蒼。現在二十五歳。
三年ほど前に五人組アイドル「VELVET ROUGE」のメンバーの一人として芸能界デビュー。
グループ名から受ける印象そのままに、少し危なげな色気を醸し出す男性アイドル、をコンセプトに活動していたが、世界観が先行して中身が追い付かず、メンバーの不仲説もあり、ファンの獲得に苦労した。
そして今から一年前。未成年だった事務所の後輩たちと居酒屋に行き、飲酒をさせたことに加え、その場にいたセクシー女優との一夜まで週刊誌に報じられ、世間から激しい批難を浴びた。
一連の不祥事を受けて活動を自粛したのち、グループから脱退。ソロ活動に切り替えるも芽が出ることはなく、事実上の引退となった。
迅が目にした写真は、音楽雑誌かなにかに掲載されたものだろうか。壁にもたれかかっている姿は愛想などなく、整った顔の中にある気怠げな眼差しが危うい色気を醸し出し、妙に人目を奪う魅力がある青年だった。
「その人がどうかしたんですか?」
「うちで働いてもらうのはどうかなと思っていて」
「え……」
可愛い系アイドルのカナタとは真逆の、女慣れしていそうな危険な香りのする容姿。
今までにないキャラは、forestに新しい風を吹き込んでくれそうで魅力的ではあるのだが。
「そんな問題児を採用するんですか!?」
表舞台から姿を消した経緯には不安が残り、大丈夫なのかと確認すれば、ミサトは少しだけ困り顔になって肩を竦めてみせる。
「ノリで声をかけたらやる気になっちゃって……。ちょっと反省してるわ。でも、やんちゃなところがあるだけで悪い子ではなさそうだから」
ミサトが経営するサロンの利用客はほとんどが女性だが、若い男性たちの間で美容意識が高まってきた昨今、稀に男性からの予約が入ることもあるという。
サロンに顔を出した際にちょうど蒼が現れ、スタッフとの雑談の中でホストへの転職を考えているという話が耳に飛び込んできて、つい話に割って入ってセラピスト業について語ってしまったのだとミサトは苦笑する。
「ミサトさんが決めたことなら今さら口を出すつもりはないですけど」
意外にも食いつかれ、そのまま第一審査を通してしまったと告げるミサトへ、迅は少しばかり不安の目を向ける。
たとえ「悪い子」ではなかったとしても、逆に「良い子」であれば未成年に飲酒は勧めない。酒の席からのセクシー女優をお持ち帰り、のスキャンダルについては同じ男として気持ちはわからなくもないが……。評価としては「女にだらしないタイプ」ではある。
そんな経歴を持つ人間にセラピスト業が務まるのだろうか。
「もう採用は決定してるんですか?」
「正式にはまだよ。きちんとした返事はもらっていないし」
不安を覗かせる迅へ、ミサトは真面目な顔と声色で話を続ける。
「もちろん、セラピストとしてデビューするにしても、しっかりとマッサージ講習を受けてもらって、ちゃんと合格点を取ってから、になるわ。元アイドルの知名度だけで特別扱いをするつもりはないから安心してちょうだい」
「……そういうことなら……」
経歴に不安はあるものの、自分の目で直接人となりを見たわけではない以上、第一段階の合否を迅がくだせる立場にはない。
少なくとも容姿は最高レベルであり、一緒に店を盛り上げてくれるのであれば本当にありがたい存在だ。ミサトが「大丈夫」だと判断したなら決定には従うまでだ。
このあときちんと正規の手順を踏んで講習を受け、モニターテストをパスするようであれば、セラピストとしての適性はあるということだろう。
「まぁ、若い頃のやんちゃの一つや二つはね……。私もいろいろやらかしたし」
若気の至り、という経験は、誰もが一度や二度は通った道だろう。迅にも、覚えがある。
だが、過去を懐かしむというよりも、どちらかと言えば哀愁の漂うミサトの呟きに、迅は眉を顰めると遠慮がちにミサトの顔を窺った。
「……なにかあったんですか? その……」
「前にも話したことがあったかしら?」
「いえ、もしかしてお子さんのことを考えているのかな、って」
普段とは様子の異なるミサトの姿に、子供のことを思い出しているのではないかと思ったのはただの勘だった。
けれどミサトはその問いかけに驚いたように目を丸くして、くすりと自嘲気味の笑みを零す。
「あなたは本当に人の機微に聡いわね」
「そんなことは……」
「実は、もうすぐ娘の誕生日なのよ」
つまりは、数年前、ミサトが子供を産んだ日だ。
繊細な話に触れてしまったかと息を呑んだ迅へ、ミサトは気を遣わなくていいといった様子で続きを語る。
「元夫から、接近禁止命令が出てるから、プレゼントの一つも贈れないんだけどね」
「え……」
「自業自得なの。私は、いい母親にはなれなかった」
強がっていることがわかるほのかな微笑みを湛え、ミサトはどこか遠くへ視線を流す。
「仕事仕事で家庭を顧みず、その上、取引先の男性と不倫関係になって……」
子供に愛情がないわけではなかったが、自分の店が軌道に乗ってきた面白さで仕事に没頭してしまい、帰宅も真夜中近くで家事育児を放置状態にしてしまったという。結果、夫との口論が増え、溝ができ、仕事の理解を示してくれた男性とダブル不倫に至ってしまったと聞き、迅はどんな言葉をかけたらいいのかわからなくなって、ただミサトの吐露を受け止めた。
「あの子の母親を名乗る資格なんてないの」
さぞかし自分のことを軽蔑しているだろうと洩らすミサトを、どう慰めたらいいのだろう。
母親の不倫など、幼い子供の心をどれほど傷つけるのか、迅には想像することもできない。
不倫が露見し、離婚を突き付けられ、慰謝料を支払った。元夫からは、養育費などを一切受け取らない代わりに、自分たち家族と――とくに娘と――関わることを禁じられたのだという。
「でも、毎年、娘の誕生日になると、こっそり顔だけ見に行っちゃうんだけどね」
元気にしているかどうかだけはどうしてもたしかめたくて、一年に一度、校門から出てくる娘の姿を物陰から一目だけ見に学校に足を運んでしまうのだとミサトは苦笑した。
約束通り、決して声をかけることなく、遠くから一瞬姿を確認するだけ。
一年ごとに成長を見せる娘の姿を思い出しているのだろうか。ミサトの切なげな表情に、胸が締め付けられるような感覚を味わった。
「厳密に言えば物陰から見るのもダメだから。内緒ね?」
ミサトは立てた人差し指を口元に当て、くす、とおどけて笑ってみせる。
「あ。ごめんなさい。話が逸れちゃったわね」
そうしていつものミサトに戻ると、元の話を再開する。
「そういうわけで、一度アオに会ってみてちょうだい」
自分がミサトにできることは、今の仕事をサポートすることだけだろうか。
そんなことを思いながら、迅はミサトの依頼に頷いたのだった。




