第七話 成長②
まだ手探り状態で運営をしている中で、こういった時の具体的な罰則までは決めていなかった。
「もしこれが裏引きだったら、本番以上の違反行為だったわ」
ミサトのその言葉に、迅の心臓はドキリと脈打った。
違反であることはわかっていて、それでも規則を破ってしまうほどの感情が動いてしまう現実があることを迅は知っている。
今回のトウマの件は、本当に純粋にこのまま終わらせたくなかったという気持ちからきていたことは疑いようがない。無料会いはたしかに規則違反だが、トウマから店を裏切るような悪質さは感じられなかった。
「参考までに、他店だと本番行為への罰則は百万円の罰金、裏引きはそれ以上で即クビだと聞いたことがありますけど」
情報通なラブホの発言に、迅の胸には苦々しい感情が甦る。
自分から無料会いを打診してしまったトウマとは違い、迅は相手の女性の望みに寄り添ったつもりだったというのに、どうして裏切られたのだろう。
「そうねぇ……」
どうしたものかと困り顔で考え込むミサトを前にして、トウマの顔からは血の気が引いていき、真っ青になる。
当初は転職までの繋ぎとしてセラピストに応募したのかもしれないが、今のトウマは専業としてのやる気を見せていた。
愕然としたその顔には、これから、という時に道を絶たれてしまうかもしれない恐れと、このまま職を失ってしまった時の生活への怖れが浮かんでいた。
「すみません……! もう一度チャンスをください……」
トウマは開いた脚の間に顔が埋まってしまうほど勢いよく頭を下げ、膝に置いた手を震わせる。
「オレはまだこの仕事をはじめたばかりで……! 最初は全然指名も取れなくて……! でも、ここ最近、ちょっとずつお客様が増えていって、リピートもしてくれるようになって……! やっとコツが掴めてきたというか、やりがいを感じるようになったというか……!」
「……でも、ねぇ……? それじゃあ周りへの示しが……」
「お願いします……!」
ミサトとて、対応を考えあぐねているのだろう。深々と頭を下げて再起を請うトウマの懇願に、ミサトは眉間へ悩ましげな皺を刻み、ちらり、と迅へ視線を投げてくる。
その瞳が意見を求めていることに気づき、迅は慎重に呼吸を整える。
かつて、迅も規則を破ってしまった。そしてその経緯をミサトは知っている。
ミサトはあの時のオーナーとは違い、己の思いを伝えてなお、無情に切るような冷たい性格ではない。
思い出す。
あの時の――、罰金を支払った時の、なんともやるせない空虚な気持ちを。
「……まぁ、無料会いをしてしまった経緯も悪質なものではないですし……」
どうしてもトウマの肩を持ってしまいたくなる迅は、〝経営〟の立場からすると失格だろうか。
けれど、これからこの「forest」をみなで盛り上げようとしている中で、トウマを安易に切ってしまうことは得策ではないように思えた。
そもそも、迅とフウガも元々はミサトと「セラピストと客」の関係だ。迅に関して言えば、辞めることが決まっている状態での誘いだったとはいえ、「引き抜き行為」に該当するとしたら、かなり質が悪い違反行為ということになる。
誰もが一度や二度の過ちというものはある。
とくに今回は、純粋に相手の女性が気に入って会ってしまっただけで、裏引きのような店を裏切る行為ではない。ラブホの目が光っていたこともあり、会った回数も一度だけだ。
「今回は、見逃す……のは無理として、罰金とかではなく奉仕活動……、たとえば向こう一カ月の事務所の清掃、とかでどうでしょう」
しばし悩み、迅は無難な着地点を提案する。
トウマにやる気があるのなら、今回だけは罰則を科すのではなく、厳重注意の上で一定期間の奉仕活動に従事することで禊にはならないだろうか。
「……甘いですね」
「……だめ……、ですか?」
呆れたように顔を顰めるラブホの率直な感想を受け、迅は静かにミサトを窺い見る。
この店のオーナーはミサトだ。最終判断はミサトに委ねられている。
「……わかったわ」
ミサトは、はぁぁ~~、という深く大きい疲れた溜め息を吐き出して、渋々といった様子で結論を下す。
「今回は迅の提案でいきましょう」
「! ありがとうございます……!」
途端、トウマの瞳には光が射すが、それを鋭いミサトの視線が制止した。
「ただし!」
ミサトの厳しい声と瞳を受け止め、気持ちが緩みかけたトウマは再び緊張の息を呑む。
「当然ながら条件はあるわ」
「……はい」
「当たり前だけど、今後この女性との接触は一切禁止にさせてもらうわ。運営から事情を伝えてトウマの連絡先をブロックした上で消してもらう。それはあなたの方も同じよ」
お互いにSNSをフォローしているようであれば解除の上でブロックを。連絡先もブロックした上で消去を。
「いいわね?」
二度と違反行為を起こさないための当然の要求に、トウマは重々しい頷きを返す。
「……もちろん、です」
自業自得と言ってしまえばそれまでだが、直接話をすることなく第三者の手によって関係を断たれることは、通常の仕事の中での別離とはまた違った胸の痛みと苦悩がある。
いつかの出来事を思い出し、心臓が軋むような感覚に囚われながら、迅は無理矢理作った笑顔をトウマへ向ける。
「……まぁ、とりあえずはクビの皮一枚とはいえ繋がってよかったな」
「次はないわよ」
間髪を入れないミサトの警告にトウマは身を引き締めるように背筋を正し、ラブホは「甘いですね」という感情が覗く溜め息をついて肩を落とす。
「わかっています! もう二度としません……!」
しっかりと宣誓し、トウマはもう一度深々と頭を下げて意欲を表明する。
「ありがとうございます! 頑張ります……!」
この一件が、あとで振り返った時にトウマを成長させる試練となっていればいい。
そんなことを願って、迅は静かにトウマを見つめたのだった。
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「……やっぱり、いない、よなぁ……」
カチカチとパソコンの画面を動かしながら、迅はもう何度目かの溜め息を吐き出した。
ミサトとの相談の結果、退店してから半年以上経過したこともあり、以前〝ハヤト〟を指名してくれていた女性たちと連絡を取ってもいいことになった。そこで挨拶DMを送ろうと手元の記録を頼りにアカウントを探していたのだが、ほとんど見つけることができなかったのだ。
この業界は、セラピストもお客様も入れ替えが激しい。
「……今度、会社のほうを覗いてみようかな……」
一人、ずっと心の中に残っている女性がいる。
いつも迅に向けてくれたあの笑顔で、今日も元気に過ごしてくれていればいい。
そう願いながら、再び会えることを信じて、迅はパソコンの画面を閉じたのだった。




