第一話 本番行為②
本業で営業先の美容クリニックに向かう途中、プライベートの携帯電話が鳴った。ディスプレイには、事務所の名前が表示されていた。
副業の連絡は基本的にラインで送られてくるため、滅多にない出来事に迅の瞳は驚きで見開いた。
それだけ緊急性の高い用事、ということだろうか。
運良くコンビニに車を停めたタイミングだったため、迅は通話ボタンをタッチした。
――「ハヤト、か?」
「はい」
こちらから名乗る前に確認され、いったいなにごとかと少しだけ緊張しながら迅は静かに頷いた。
その声は内務の女性事務員のものではなく、迅の上司にあたる店長のものであるということも、迅の緊張感を強くした。
セラピスト業を続けて約六カ月。こんなことは初めてだ。
――「ハヤト。今すぐ事務所に来い」
「え? さすがに無理ですよ。本業中ですし」
――「緊急だ。何時頃なら来れそうだ?」
単刀直入の命令に困惑する。
迅が平日の昼間には一般企業に勤めていることくらい、店長も把握しているはずだった。
にもかかわらず、ここまで緊急の呼び出しをしてくるなど普通ではない。
「どうかしたんですか?」
――「自分がなにをしたのかくらいわかっているだろう」
「なに、って……」
さすがに動揺しながら質問すれば厳しい声が返ってきて、迅の眉間には皺が寄った。
そんなふうに詰問されても、すぐにはなにも思い当たらない。
けれど。
――「先日担当したお客様からクレームが入った。とにかく直接話をしたいことがあるから一秒でも早く事務所に来い」
「え……」
迅を指名するお客様はそう多くはない。
先日のお客様、と聞けば思い当たるのは「マリ」しかおらず、困惑する。
クレーム、とはなんだろうか。
なんだか嫌な予感がした。
「そしたら、明日の夕方でもいいですか」
――「なるべく早く来るように」
いったいなにが起こったのだろうと思考をぐるぐる巡らせる迅の耳に、店長の冷たい声が響いた。
「はい。わかりました……」
ホテルを出て、駅まで見送り、改札の向こうで一度振り返って手を振ってきたマリの笑顔を思い出す。
彼女がクレームを入れるなど、とても信じられなかった。
けれど、現実は無情なもので。
*****
そして迎えた翌日。迅は緊張した面持ちで事務所の扉をくぐっていた。
「遅かったな」
店長に続いて事務所の奥の部屋に入ると、そこには滅多に顔を出すことのないオーナーがソファに腰かけて迅を待ち構えていた。
「ハヤト。お前は本番が違反行為だとわかっているな?」
「え……」
迅が前の席に座ることを許す間もなく、オーナーが発したその冷たい声に、迅の足はぴたりと止まり、固まった。
本番行為が違反であることは、もちろんわかっている。
わかってはいるが、密室で行われる秘めやかな行為は、誰かに洩れるものではない。
それでも、もし、その秘密が外に洩れるようなことがあったとしたならば……。
「お前に本番を迫られたとお客様から申告があった」
「は……?」
「お客様は信頼していたお前が迫ってきたことに、大きなショックを受けている」
「え……」
つまり、マリがお店に報告したということで、迅はすぐに事態を呑み込むことができずに困惑した。
どうしてそんなことになっているのだろう。
しかも、マリからの求めに応じたという事実に反し、迅のほうから迫ったという虚偽の申告がされているのはなぜなのか。
彼女は、そんな嘘をつくようなタイプではない。これまでの付き合いからそう信じている。
けれど、そうは思っても、今、迅の身に起こっている現実がすべてだった。
「本番行為は罰金百万円、が契約だ。わかっているな?」
愕然とする迅の耳に、オーナーの声が冷たく響く。
たしかに、最初に交わした契約書には、そのようなことが書かれていた。
「釈明は認めない。どんな理由があろうとも、本番をしたことは事実だ」
釈明よりも、なにが起こったのかを教えてほしい。
どうして。なぜ。
信じて、いたのに。
「百万円を払うか、払ってクビか」
もう、なにがなんだかわからなかった。




