第五話 講習③
裸の身体に大きなバスタオルをかけた状態で行われる最初の指圧マッサージは、一般的なエステ店で行われる施術内容とほとんど変わらない。足首から肩までの全身を、円を描くようにして揉み込んでいき、肩が凝っている様子であれば入念に揉みほぐす。
「今日はマッサージの一連の流れとポイントを頭に叩き込んで帰るように。マッサージの技術習得は反復練習しかない。要領は教えるから、これからデビューまで時間が許す限り、互いを練習台にして試行錯誤を重ねてくれ」
とにかく見て学び、盗める技術は盗めと言って、フウガは流れるような動きでマッサージを開始する。
迅自身もそうであったが、エステ店と同程度の指圧技術を習得するのはかなり難しく、一度見たくらいですぐに真似できるものではない。実際に、隣にいるカナタへちらりと視線を投げれば、その顔には多くの不安な気持ちが滲んでいた。
「ここまでが指圧マッサージ。次は、アロマオイルを使ったマッサージに移る」
通常のマッサージを終えたフウガが、アロマオイルを手につけながら二つ目の行程へ移ることを宣言する。
部屋の中には、柑橘の爽やかさと花の甘さを併せ持つ、上品で心安らぐベルガモットの香りがほのかに漂った。
「あ。オイルは人肌の温度だからな? 冷たいなんて言語道断だ」
掌にオイルをつけたフウガが、ふと思い出したように忠告してくる。
ミサトの足元にいるフウガは黒い下着一枚の格好になっていて、一般的なエステ店を考えた時には、その姿だけが異質だった。
「そこでぼーっと突っ立ってないで、傍でしっかり目に焼き付けるなりメモ取るなり、一回でしっかり習得できるようにしろよ」
「は、はい!」
フウガの厳しい声に返事をする二人と迅も下着一枚の姿になっていて、そんな三人がベッドを囲んでいる光景は明らかに異様だろう。
だが、これが女性向け風俗店の講習というものだ。
新人二人がいろいろな意味で衝撃を受けている様を横目で眺めながら、迅は自分がデビューする前もこんなふうに面食らったものだと懐かしさを感じていた。
「強すぎるとか、弱すぎるとかあったら言ってくださいね」
「えぇ、ありがとう」
フウガとミサトのやりとりも、施すオイルマッサージの内容も、一般的なエステ店で行われるものと変わりない。
掌につけたアロマオイルを、肌に浸透させるように足首から丁寧にマッサージしていく。
だが、フウガの手の動きを目で追いながら、迅は衝撃を受けていた。
足首から太腿までのラインを撫でていく緩急のつけ方や滑らかさが自分のものとはまったく違う。
素人目で見たとしても、その差は歴然としているだろう。
つい食い入るように見つめてしまい、迅の身体には無意識に力が入り、ごくりと息を呑む。
通常マッサージでここまでの違いを見せつけられてしまったら、メインである性感マッサージはどうなってしまうのだろう。
「さすがね。すごく気持ちがいいわ」
オイルマッサージも終盤に入り、フウガが肩甲骨のあたりへぐっと力を込めた時、ミサトが感嘆の吐息を零し、肩の力を抜いた。
「でも」
「え?」
まだ施術の途中でうつ伏せ状態だった身体を少しだけ起こしたミサトに、フウガは驚いたように目を見張る。
「迅、そこに置いてあるバスローブを取ってくれるかしら」
「あ、はい」
突然の注文に戸惑いながらも言われるがままにバスローブを手渡せば、ミサトは手早くバスローブを身に着ける。
「私はさらに上を目指したいと思っているの。だから……、ちょっと、迅。悪いんだけど、そこに横になってもらえる?」
「え? へ?」
完全に起き上がったミサトから突然指名され、いったいなにが起こっているのかと目を白黒させる。
「早く!」
「は、はい!」
ミサトから上がった声は指示というよりももはや命令形で、迅はびくりと姿勢を正すと、先ほどミサトが寝ていたベッドの中央へ身体を横たえた。
「あ、あの、ミサトさん? なにを……」
「フウガが今見せてくれたマッサージも、指圧・アロマともに両方、本当に気持ちがいいのよ? ただ、あなたたちにはそれ以上の技術を身につけてもらいたいと思っているの」
「は? へ……っ?」
「性感マッサージは別だけど、女性の身体を癒すためには……、よく見ていて」
腰に跨ってくるミサトを見上げた迅が困惑の声を上げようとも、ミサトはそれを無視して迅の身体へ腕を伸ばしてくる。
「え? ちょ……っ」
直後、肩を揉みほぐされ、思わず抵抗を忘れてミサトへ身を委ねてしまった。
現在、多くのエステ店を経営するミサトだが、初めて店を構えた時から、自身のマッサージ技術一本で店を大きくしてきたという話を以前していたことを思い出す。
迅はリラクゼーションサロンに行ったことはないのだが、ミサトのマッサージを受けていると、自分でも気づいていなかった肩の凝りに気づかされ、身体がほぐされていく心地よさに自然と瞼が閉じていってしまっていた。
「どうかしら?」
「あー……、すごく気持ちいいです。痛気持ちいいところもありますけど、このままうとうとと寝ちゃいそうです……」
ミサトが本格的に施してくるマッサージの心地よさに、本気で眠気に誘われて、夢心地で感想を洩らす。
今は右脚のマッサージを受けているのだが、いわゆるツボだろうか、に入ってくる力加減が絶妙で、痛みさえ気持ちよく感じてしまうのが不思議だった。
「いい? とくに女性の場合、ここを、こんな感じに……」
施術を受けている迅は、ミサトの具体的な動きを見ることはかなわない。
ただ、とにかく心地よく、思考することを放置して身を委ねていると、少しだけ焦った様子のフウガの声が耳に届いた。
「ミサトさん。時間が」
「あら大変!」
慌てて顔を上げたミサトの声に現実へ引き戻された迅だが、まだ半分ぼんやりとしながら時間を確認しようとして、目の届く範囲内に時刻がわかるようなものがないことに気づかされる。
一つ一つがとても丁寧に進められた研修だったと感じているが、ここまでにどれくらいの時間を使ってしまったのだろう。部屋の使用時間は限られている。
「仕方ないわ。今日はここまでで、メインの性感マッサージはまた後日にしましょう」
「え!?」
「時間が押している中で慌ててポイントだけ教えられても身にならないもの」
ベッドから床へ足を下ろしたミサトの視線が、ちらりとフウガへ向く。
「次回、性感マッサージをじっくり丁寧に指導してあげてくれるかしら」
「……わかりました」
一番文句を言いそうだと思ったフウガは、意外にも大きな溜め息をつきながらミサトの話を承諾する。
フウガのことだから、今回分と次回分と、きちんと二回分の講習料をもらえるならばかまわないと判断したのかもしれない。
「次もミサトさんが講習モデルをするんですか?」
「それが今日、ちょうどここに来る前にラブホちゃんから連絡があって、講習モデルさんの応募があったらしいの。その女性にお願いしようと思ってるわ。なに、私が相手のほうがよかった?」
「いえ!」
くす、とからかうような笑みを浮かべるミサトに対し、迅は首を横に振ると内心ほっと胸を撫で下ろす。やはり、ミサトに講習モデルをしてもらうのは抵抗感が拭えない。
「悪いけど、また三日後に集まってもらえるかしら? 時間と場所は追って連絡するわ」
「わかりました。よろしくお願いします」
結果、女風セラピストとして一番重要となる性感マッサージの講習は、三日後に延期となったのだった。




