第五話 講習②
余計な雑談など一切せず、フウガはさくさくと予定を先に進めていく。
ミサトとともに一度部屋を出ていくと、扉を開けてお客様を中へ促すところからフウガのマナー講座は始まった。
「どうぞ」
「ありがとう」
部屋に入ると靴を丁寧に並べ、上着を着ていれば上着を預かり、ハンガーにかける。エアコンのスイッチ……は、今日は入っているので真似事だが、その後、ミサトをソファへ座らせたフウガは、そのまま流れるような動作で片膝をつき、ミサトの手を優しく取るとふわりと微笑んだ。
「forestから来ました、フウガと申します。今日は指名してくださりありがとうございます。楽しいひとときにしましょうね」
フウガが見せたそつのない一連の動きに、迅は正直衝撃を受けて動揺した。
素のフウガは粗雑そうに見えるのに、セラピストに切り替わるとこんなにも変わるのだろうか。
ちなみに、初対面の跪き挨拶は、ラブホの「絶対にこれだけは譲れない」という強い要望により、シークレット・ラバーズを真似たものだった。
「で。お客様は緊張しているだろうから、ここで軽い雑談をしながら気持ちを和らげていきたいところ」
そこでフウガは突然通常モードに戻り、新人二人へチラリと視線を投げると、よく見ておけとばかりに瞳で訴え、ミサトのほうへ向き直る。
「よろしければどうぞ」
そう言ってフウガがミサトへ差し出したのは、キャップを外してストローを挿したペットボトルだった。
こういった飲み物を自ら用意するかどうかは個々の裁量に任されているが、遊び慣れた女性などにはこのあたりも評価対象になったりする。
日常生活ではありえない、最上のおもてなしを。
それがこの世界の基本であり、ミサトが目指すお店の最低基準でもあった。
「では、浴室の準備をしてきますので、リラックスしてお待ちください」
柔らかく微笑んで立ち上がったフウガは、「ここまではこんな感じ」と新人二人へ声をかけてから、迅には不足がないかどうか確認するかのような視線を投げてくる。
正直に言って、不足があるどころか完璧以上だ。
フウガが自ら自信を持って講師役を名乗り出ることも、ミサトが「お手本」として頼りにするのも納得してしまう。
迅も基本的な動きは抑えているつもりだが、自分の未熟さを突き付けられた気分になった。
だが、落ち込んではいられない。初心に返り、他人のいいところは吸収しなければ。
「で、浴室の準備だけど」
くい、と首の動きで浴室へと促され、新人二人を前にして三人でぞろぞろとフウガの後をついていく。
「まずはアメニティの確認と準備」
ホテルによって備え付けられているアメニティは違う。
それを確認し、フウガは歯ブラシを開封すると歯磨き粉を乗せ、ガラスのコップの上に置く。
バスタオルやローブも導線を考えて手に取りやすい場所に準備をし、脱衣籠があればそれも用意する。
「シャワーを出して浴室を温めておくこと」
お客様が足を踏み入れた時に、身体を冷やさないように。
そう説明するフウガに、新人二人はそこまでするのかと目を見張り、「はー!」と感嘆の吐息を零す。
真似事だけで今日は実際そこまでしないが、もちろんお風呂も沸かしておく。
「よくある失敗だけど、浴槽からお湯が溢れないように気をつけて」
その助言を聞き、迅は内心ぎくりとする。
さすがに準備段階でお湯を溢れさせたことはないが、二人で身体を沈めた時に浴槽から大量のお湯が溢れ出た経験ならあった。
「入ろうとしたら水だった、とか、熱すぎて火傷しそうになった、なんて話も聞いたことがある」
それはさすがにないけれど。
くす、と皮肉気に笑ったフウガは少しだけ場を和ませようとしたのかもしれないが、そっと新人二人の様子を窺えば、笑うでもなく「え……」と固まっただけだった。
「そしたら戻るよ」
入浴前の準備を一通りレクチャーすると、フウガはすぐに部屋へ戻って、自分の鞄の中から施術に必要な道具を用意する。
「次は一番重要と言ってもいいカウンセリング」
カウンセリングとは、お客様へ施術内容の希望を聞くものだ。キスはNGだとか、疲れているから通常マッサージを肩を中心に多めにしてほしいとか、通常マッサージは少なめでとにかく性感マッサージをしてほしいだとか、お客様によって要望はそれぞれだ。照明の程度やバックミュージックの有無などもしっかり聞いておく必要がある。
「カウンセリングをスムーズにできるかどうかはすごく重要だ。ただ、そのあたりのお客様とのやりとりはここでなくてもできるから、今日の講習では飛ばすことにする。俺よりも、あとでジンに聞いたほうが参考になるかもしれない」
淡々としたフウガのセリフの中に突然出てきた自分の名前に、迅は一瞬目を見張る。まさかフウガの口から自分のことを認めてくれるようなセリフが出てくるとは思ってもいなかった。
だが、すぐに、これは単純に面倒を押し付けられただけなのではないかと思い直す。フウガの性格を考えた時には、そちらの可能性のほうが高い。一瞬喜びかけてしまった自分の感動を返してほしい。
「お客様が一人でシャワーを浴びるなら、その間にマッサージの準備。一緒に浴びたいって言われたら、雰囲気を壊さないように気をつけつつ、タイミングをはかって準備を進める」
マッサージで使うオイルも基本の三種類以外はセラピストに一任されているのだが、ちらりと見えた限り、フウガは十種類ほどを常備しているようだった。
「まずお店から持っていく大きなタオルを下にひいて、カウンセリングの際にお客様に選んだもらったオイルを準備して」
講習用にこの部屋を抑えた時間には限りがあるため、無駄な動きを一切することなくフウガはテキパキと施術の準備を完了する。
その間、トウマもカナタも目の前で起きていることを一つたりとも見逃すまいと、必死にメモを取っていた。
「ミサトさん。ここまでなにかありますか?」
今日のメインであるマッサージ講習に入る前にフウガがミサトへ窺えば、ミサトはここまでの流れを思い出すように考え込んでから、新人二人へにこりとした笑顔を向けた。
「そうねぇ。今、フウガがしてみせたことは、本当に基本中の基本だから。お客様は十人十色でいろいろな方がいるから、そのあたりは基本を忘れず臨機応変にね」
ミサトの言うとおり、フウガがお手本として見せた一連の流れは、本当に基本でしかない。
まずは基本を抑えなければ話にならないことはたしかだが、その上で基本通りにいかないことが多々あることを迅も経験から知っている。むしろ、基本通りにいくことのほうが少ないかもしれない。
それは、同じ要望をするお客様が誰一人としていないのだから当然だ。
「それじゃあ、さくさくマッサージ講習に移らせてもらいますね」
フウガはなんでもないことのように淡々とミサトをベッドへエスコートしているが、迅の身体には緊張が走った。
ミサトが「学びになる」と断言するフウガのマッサージテクニックがどんなものなのか、やはり〝女性向け風俗のセラピスト〟としてはとても気になるところだ。
一年近くセラピストをしている迅でさえこうなのだから、新人二人はどうだろうと様子を盗み見れば、完全に顔も身体も極度の緊張で強張っていた。
「あ。ここまでの流れもちゃんと女性がリラックスできる雰囲気を作るのよ?」
ベッドに横になりかけたミサトが慌てた様子で身体を起こして声をかけてくるものの、重度の不安と緊張に襲われている新人二人にその言葉がどこまで届いているのかはわからない。
ティーシャツにパンツルックというラフな格好をしていたフウガが、自分の服へ手をかけ、下着一枚の姿になる。そして、三人のほうにちらりと視線を投げた。
「君たちもさっさと服を脱いで。あと、もっと近くにこないと見えないから」




