第三話 出発③
「実は、風営法はもう取ってあるの。今からいろいろと準備をはじめて……。早くて三ヵ月、遅くとも
半年以内にはスタートを切れたらと思っているわ」
コーヒーをひとくち口にして肩の力を抜いたミサトが本題に入り、迅は気を引き締めた。
半年以内、と聞くと遅い気もするが、実際に今からゼロスタートで始めるとなると、三ヵ月はかなり無謀な計画であるような気がした。
業種は異なるとはいえ、店舗の経営経験が長いミサトがすでに初期段階の手続きを済ませてあることはさすがの一言に尽きる。
「三人には個別に話したけど、女性が考える女性のための、リラクゼーション力を重視した新しいコンセプトの店を作りたい」
そう語るミサトの瞳と声には熱が入る。
〝女性の癒し〟を最重要視するコンセプトは、女性のための美容サロンを手がけるミサトらしい考えだと共感した。
癒されるために利用したはずが傷ついて帰る。悲しいかな、そんな話をよく耳にした経験を持つ身としては、当たり前のはずのことが当たり前ではない現実に心が痛んだ。
そこまで深くかかわるつもりなくはじめた副業だったが、日々、様々な悩みを抱える女性たちに接してきた結果、迅の中で「女性に寄り添いたい」という気持ちは日に日に大きくなっていったことはたしかだった。
「そのためにはどうしたらいいか、三人からも忌憚ない意見を出してちょうだい」
「わたしは……、〝セラピスト〟の名前に相応しい人材育成を求めます。セラピストを名乗ってほしくない人が多すぎるので」
順番に三人の顔を見つめたミサトへ最初に声を上げたのは、意外にもラブホだった。
しかも、当然と言えば当然な。けれど現実問題として切実な要望に、やはり迅の胸にはなんとももやもやとした気持ちが広がっていった。
ラブホがSNS上で発信する言葉はナイフのように鋭いが、実際に女性の本音を曝け出していると言えばそうとも取れ、セラピストに対する〝口撃〟は、傷ついた心の叫びからくるもののようにも感じた。
「そうね。それは私も一番思うところよ」
相変わらず声は小さいものの、ぴしゃりと言い放ったラブホに深く頷きながら微笑んで、ミサトは迅とフウガを真っ直ぐ見つめてくる。
「だから、初期メンバーにあなたたち二人を選んだ」
「え……」
「これでも人を見る目はあるつもりだから。迅。実際にあなたとは一度しか会っていないけれど、ピンときたのよ。この子なら任せられる、って」
酔った勢いで様々な事情を話してしまったことは、褒められた行為ではない。あれが最後だと思って多少自暴自棄になっていたという自覚もある。
だが、そんな迅をミサトは拾ってくれた。それはミサトのおおらかな性格から来ているものかと思っていたのだが、ここに来て違和感を覚えていた。
ミサトの理想を叶えるためには、ただ迅の境遇に同情した程度で誘っていいものではない。
だから、その説明を受ければ納得できるものはある。ミサトとは、実際に会うまでに長くやりとりをしていたため、そのあたりのことも評価に入れてもらっているのかもしれない。
だからといって、過大評価されすぎている気がして喉の奥が小さく鳴った。正直、ミサトの期待に応えられる自信がない。食後とは関係なく、重圧で胃が重くなりそうだ。
それでも、ミサトの願望が現実のものになればいいと思った。たとえ理想論だと言われても、追い求めてほしいと思った。
そして、もし、少しでもその手伝いができたなら――……。
「俺は最初からはっきり言っておきますけど、面倒なことはするつもりありません。金次第で講習くらいは担当してもいいですけど、運営業務はそっちでやってください。本業もありますし」
そこで、他人事のように冷たい主張を口にしたのはフウガだ。
遅刻をしてきた時の態度からもなんとなく察していたが、フウガは周りに流されない唯我独尊タイプの性格をしているようだった。
「そうね。あなたにはぜひ講習を担当してもらいたいと思っているわ。マッサージや性感に関する技術やスキルをこれから入ってくる新人たちに教えて、徹底的に育ててちょうだい」
フウガの立ち位置は、ミサトがフウガに声をかけた時からすでに決まっているようだった。
迅が調べた事前情報でも、とにかくフウガはマッサージ技術が飛び抜けて高いという話だった。
そしてその点にかんしては一切手を抜くことがなく、性感マッサージにおいてはかなり満足度が高いセラピストだという評価を受けていた。
それはもちろん数多くのセラピストに会ってきたミサトも認めるところで、迅へ視線を向けたミサトがにこりと笑いかけてくる。
「フウガの性感テクニックはトップクラスだとわたしが保証するわ。あなたも、一度フウガの講習を受けてみると学びになると思うわよ」
なんだろう。ミサトに悪気がないことはわかっているし、迅としても技術向上を望んでいることはたしかなため、こんなことでいちいち傷ついたりはしないものの、ほんの少しだけもやりとする部分があった。
ミサトは、迅とフウガの両方の施術を受けている。つまり、テクニックはフウガに敵わないと言われているようなものだった。
合格点に達していればいいと思っていたが、いつの間にかぬるま湯に慣れて向上心というものを忘れかけていたのかもしれない。初心にかえらなければ。
「で? ぶっちゃけ俺の取り分は、売上の何割くらいを考えているんですか? 俺はもっと具体的な話をしたいんですけど」
「ワンランク上の質を目指す以上、そのあたりも満足いくような配分にしたいとは思っているけれど……。ごめんなさい。まだそこまで具体的なことは考えられていないわ。それより先に決めなくちゃならないことがたくさんあるから」
いきなり金銭面のことを突っ込んできたフウガにはぎょっとしてしまう。たしかにそれはモチベーションを継続させるためにも大切なことではある。ミサトが言うように、悪いようには考えていないだろう。
だが、その前に、と、理解してほしいと申し訳なさそうに謝罪するミサトを援護するつもりもなかったが、迅は思いついたことを口にする。
「まずは、事務所をどこにかまえるか。お店のコンセプト作り、ホームページの作成。それから、人材確保、ですかね。お店の名前も、なにかインパクトのあるものを考えないと」
「そうね」
「しばらくはいいとして、ミサトさんもこっちにかかりきりというわけにはいかないですもんね? セラピスト以外にも内勤業務をしてくれる人を探さないと」
昼中心や夜中心など、セラピストによって稼働時間は様々だ。さらには、お泊りコースなどもあるため、セラピストの出勤管理やお客様対応はほぼ二十四時間体制になる。
一人八時間勤務としても、一日に最低三人は必要な計算だ。休みのことも考えると、最低限四人は確保しなければならないだろう。
「セラピストも、少しずつ増やしていくにしても、ホームページの華やかさを考えるとオープン時点で最低四人くらいはいたほうがいいと思いますし」
所属セラピストが二人だけなど、それだけで利用が不安になって、お客様が二の足を踏んでしまうかもしれない。
「ホームページの作成に関しては、わたし、力になれると思います。昔、そういう仕事をしていたことがあるので」
「それは力強いわね」
やはりラブホは、ミサトにたいしてはそれなりに意見を口にできるらしい。相変わらず声は小さいが、しっかりとミサトの顔を見上げたラブホに、ミサトは予想外の幸運だとばかりに驚きの笑顔を零す。
「お店の名前に関しては、一つ、考えているものがあって」
そこでミサトが全員の反応を窺うように視線を巡らせて、迅はミサトの顔を見つめ返す。
「すでに考えていたんですね」
「どんな名前なんですか?」
ラブホからの問いかけに、ミサトは一呼吸の間を置いてから口を開く。
「forest、よ」
ミサトの口から滑り出た横文字に、まず反応したのはラブホだった。
「forestというと、森、ですか?」
「ええ。それと、for+rest、で、休息、の意味もあるかしら」
フォレスト、は、森。
レスト、は、心や身体を休める時間、休憩・休息を意味する。
つまり、その理念と由来は。
「ほっと休むことのできるひとときの癒しの時間。そんな時間を提供できるお店を目指していくの」
「素敵だと思います!」
ミサトの説明に、ラブホが感激したかのように賛同した。
「他に異論がなければ決めてしまおうと思っているのだけれど」
「いいと思います」
「俺はなんでも」
目で順番に伺われ、迅は笑顔で共感し、フウガは経営者であるミサトが好きに決めればいいと同意する。
――for+rest。
その意味も響きも、迅も素直にお洒落で高級感があっていいと思った。
「それじゃあ、forestで決まりね」
「はい」
笑顔で決定を出すミサトに、三者三様頷いた。
「お店の名前が決まったところで次は……」
お店の名前が決まったところで一度盛り上がりを見せてもいい場面だが、とにかく課題は山積みで、すぐに次の議題へ移る。
「やっぱり、早急にセラピストの募集をかけたほうがいいですよね」
「そのあたりの人材確保は私もいろいろ考えているけれど……」
迅もフウガも、ミサトのヘッドハンティングによるものだ。ミサトの顔の広さは今さら言うまでもなく、公募を提案する迅に、ミサトは考え込む仕草を見せる。
だが。
「ところで、迅」
「はい」
「まだ、答えを聞いてなかったわ」
「!」
じっと顔を見つめてくるミサトの言いたいことを察し、迅の心臓はドキリと跳ねた。
ずっと悩んで考えていたことだ。当面の方針は自分の中で決めたはずだった。だが、ここにきて揺らぎ始めている。
「その様子だと、運営面を含めて全面的に協力してくれる、ということでいいのかしら?」
「あ……」
積極的に運営に口を出してくる迅の姿をそう捕らえたのか、ほぼ確定事項のようににこりと確認され、迅はこくりと息を呑む。
セラピストとして、鳴かず飛ばずだった八カ月の活動期間。そもそも長く続ける前提の仕事ではなく、収入も不安定で社会保証もなにもない。
そんな仕事に賭けてみることの愚かさはわかっているつもりだった。
だから、今まで通り。本業の隙間時間を使って、無理のないように。
そう、思っていたというのに。
「……はい」
気づけば頷いてしまっている自分がいた。
自分に期待してくれているミサトの思いに応えたい。
ミサトの、というよりも、自分の理想を追いたいと思ってしまった。
女性の望みに寄り添いたい、と。
「もしかして、専業にすることも考えてくれていたりする?」
「あ。いえ。まだそこまでは……」
ここは迅を落とすチャンスだとでも嗅覚が働いたのか、ぐいぐいと迫ってくるミサトの勢いに押されながら、迅は焦って首を横に振る。
間違いなく人生の転機になる決断を、やはりそう簡単に下せるはずがない。
だが、片手間ではなく、真剣に取り組みたいとは思った。
「考えておいてね!」
「はい……」
力強い笑顔を向けられ、苦笑いが洩れる。
バイタリティ溢れるミサトらしい言動だ。
下手なことを口にするとミサトの熱意に流されてしまいそうで、自らはとても「専業」などと言い出すことはできなかったが、それでも胸のどこかで「これは大きなチャンスかもしれない」と感じている自分もいた。
専業になることを仮定して、今後の生活へ真剣に思いを馳せてみる。
無職になっても、あの時に支払った百万円を失った今でも、ある程度の貯金はある。できれば手をつけたくなかったが、万が一の保険は重要だ。
新たな扉を、全力で開いてみてもいいのかもしれない。
まだ、迷いを振り切ることは難しいけれど。
そうしてこれからのスケジュールをざっくりと決めていき、全員の連絡先を共有したところで、今日のところは解散という流れになったのだった。




