第三話 出発②
この人は誰だろう……?
それから間もなく迎えた顔合わせの日。店に到着し、店員の案内で個室に顔を出した時にはすでに席に着いていた見知らぬ女性を前にした迅が最初に思ったことはそれだった。
その女性の隣にミサトが座っていることを考えると、おのずと出てくる答えは一つになるのだが、脳がそれを認めたがらなかった。
今日、ここに集まると聞かされているメンバーは女性二人に男性二人。つまり、予定外の珍客がいなければ彼女の正体は。
「はじめまして。愛穂です」
そうなるよな!? と動揺しながらも挨拶を返そうとした迅ははたと悩んだ。
目の前の女性が名乗った名前はユーザー名だ。まさか、本名をユーザー名として使っているわけはないだろう。
ならば、自分はどう名乗ればいいのだろう。すでに辞めてしまったセラピスト時代の源氏名か、それとも今すぐこの場で新しい名前を考えるか、本名か。
「えと……、迅です。今日はよろしくお願いします」
ほんの数秒だけ悩んでとりあえず本名を選択した。数秒後、やはり本名ではないほうがよかっただろうかとも思ったが、別段本名を知られたからと困るようなことがあるわけではない。
それよりも、改めて前に座る女性を眺めて迅は動揺する。
歯に衣着せぬ物言いで女性向け風俗界にズバズバと毒舌を吐く「物申し系カリスマユーザー・愛穂」。
誹謗中傷を受けるようなことがあってもまったく気にすることなく我が道を行く性格や辛辣な投稿内容から、自分の容姿に自信ありの三十歳手前くらいのきつめの女性を想像していたのだが、ある意味迅の不安は裏切られた。
さすがに年齢を聞くことは憚られるため、確認をしたりはしないが、想像より十は年上に見える。
失礼な話だが、美人の枠にはとても入らない。お笑い芸人にいそうな、可愛らしいぽっちゃりさん、という形容が一番しっくりくるだろうか。
さらには。
「ラブホさんて、あのラブホさんでいいんですよね? ミサトさんから、ラブホさんが協力してくれるって聞いてびっくりしました。どうして手伝おうと思ったんですか?」
「……〝どうして〟……?」
声、ちっさ……! という感想が思わず口から飛び出そうになる。
SNS上ではあれほど自信満々に毒舌の限りを尽くしているというのに、本当に同一人物かと疑ってしまう。
SNS上の人格と現物がまったく違う女性というのはそれなりにいて、慣れているつもりではあったものの、さすがにこれは後にも先にもないような一番の驚きだ。
しかも、そのまま黙り込んでしまい、迅が発した問いかけに答えが返ってくる様子はない。
「ラブホちゃんは私の話にすごく共感してくれたのよ。『なにかお手伝いできることがあればいいんですけど』って言うから、それなら! って遠慮なく誘っちゃった」
「そんな……。わたしはただ、ミサトさんが理想を追い求める姿がすごいな、って思っただけで」
「ラブホちゃんの発信力は今さら言うまでもないしね」
ミサトが簡単に経緯を説明してくれるものの、胸の奥から湧き上がるこのなんとも言えないもやもやした気持ちはなんだろうか。
ラブトと会話が弾む気がしない。
もしかしたら自分は、ラブホに嫌われているのだろうか。
少なくとも、ラブホはミサトとは普通に会話をしているように見える。
なにか嫌われるようなことをしただろうか……、と思うと、答えはかつてのSNSでの出来事しか思いつかず、だからといって、その件にはできるだけ触れたくない自分がいる。
ラブホは、迅が〝ハヤト〟であることをミサトから聞いているのだろうか。そして、聞いていて、あの時自分が引用したセラピストだということを覚えているのだろうか。
とてもではないが、怖くてこの場では聞く勇気がない。
ラブホがなにを考えているのかまるでわからない。
迅の胸の中に湧き上がる思いは、この人は本当にあのラブホなのか? SNS上のあの勢いはいったいどこにいったのか? という困惑ばかりだ。
とにかく会話が続かない……、成り立たないのでは気まずすぎる。
これから一緒に仕事をしていくというのであれば、このままでいいわけがない。この状況を打破するにはどうしたら……、と頭を抱えた時だった。
「すみません! 遅れました!」
個室の扉が開かれると同時に少しだけ息の上がった勢いのある声が響き、全員の視線が一斉にそちらへ向く。
そこにいたのは、笑顔が爽やかな長身の青年だった。
「フウガ。減点よ」
「もうお客様じゃないんですから!」
「そうね。お客様には絶対ダメよ」
「さすがにそれは大丈夫です」
青年――フウガの遅刻を苦笑で許すミサトからは、相手の性分をよく理解していて容認している気配を感じた。
このやりとり一つ取っただけでも、充分二人の親しい関係性が伝わってくる。
「あ。こんちは。はじめまして、フウガです」
そこで、ミサト以外の二人に気づいたらしいフウガが声をかけてきて、迅とラブホはぺこりと小さく頭を下げる。
「迅です」
「……ラブホです」
やはりラブホは消極的だ。
この雰囲気は、迅のことが嫌いというよりも、もはや〝男性全般〟を嫌悪しているのではないかとすら感じられた。
「あ。フウガさん、こちらの席へどうぞ」
空いている席を確認するように視線を彷徨わせたフウガの動きを見て取って、迅は自分の隣を指し示す。
「どうも」
するとフウガもまた小さく頭を下げ、着ていたコートを壁に吊るしてあったハンガーにかけるといそいそと空いていた席に着く。
この青年が、ミサトが関西に出張に行った際に呼んでいたというセラピストだ。
同じ系列の店に所属していても、元々迅が他のセラピストにあまり興味を持っていなかったため、フウガのことはミサトに聞いてはじめて知った。
迅が事前にチェックしてきた店の紹介ページによると、フウガは三十二歳と書かれていたが、たしかにそれくらいの年には見えた。迅を含め、実年齢を記載するセラピストは少ないため、本当のところはわからないが。
キックボクシングが趣味だというフウガは、服の上からでも筋肉質な身体であることが窺えて、決してイケメンというわけではないものの、爽やかな笑顔もあって「雰囲気イケメン」という言い回しがしっくりくるような青年だった。
「フウガさんは……、関西のセラピストさんなんですよね?」
ミサトから渡された飲み物のメニューに目を通し始めたフウガに向かい、消え入りそうな音量ながらも声をかけたのはラブホだった。
なんだが怖々という表現が合いそうな雰囲気だが、フウガを見つめる瞳からは隠し切れない好奇心が覗いていて、その点だけはラブホの情報収集力を思わせた。
一方、関心を向けられているフウガは、ラブホの視線など気にする様子もなくさらりと口を開く。
「はい。関西のセラピストでした」
「どういうことですか?」
なんだか意味深な物言いに、迅の眉は訝しげに顰められた。
「辞めてきたので」
「辞めた!?」
「いえ、正しくは本業の都合でこっちに引っ越すことになったので、物理的にあっちで働き続けるのは無理になっただけです」
思わず突っ込んでしまった迅に淡々と返事をしてくるフウガは、我が道をいくようなタイプなのかもしれない。
「そうなの。それで、ちょうどいいから声をかけた、ってわけ」
「なるほど……」
すかさず声をかけた自分の行動はかなりのファインプレーだったと自慢げな笑みを浮かべるミサトに、迅は納得の吐息を洩らす。
本業で決まった転勤先が、偶然にもミサトの仕事の本拠地であったことは、フウガにとって吉と出るのかどうなるのか。
そんな三人の話をラブホは静かに聞いていて、想像とのギャップがありすぎて少しだけ警戒してしまう。
フウガとは違い、ラブホが迅に〝ハヤト〟のことをなにも尋ねてこないのは、やはりミサトから〝ハヤト〟のことを聞いていて、すでに知っているからなのか。そして、知っているからこそ例の出来事には寄らず触らずでなにごともなかったかのように流したいと思っているからなのか。
とりあえず、勝手にそう納得することにする。
「全員揃ったところで、せっかくの料理が冷めないうちに食べながらざっくばらんに話をしましょう」
フウガが合流したことで次から次へと運ばれてくる料理を前にして、にこりと笑ったミサトが食事を勧めてくる。
「はい」
「いただきます」
「いただきま~す」
ラブホ、迅、フウガ、と、三者三様の食事の挨拶をして、それぞれ目の前の料理に手をつける。
そうして口と手を動かしながら、簡単な自己紹介をし、ミサトを中心とした話し合いが始まった。




