第9話 空の備蓄庫、満ちた隠し倉庫
古い倉庫の扉が閉まる前に、リディアが走った。
御者が短剣へ手を伸ばす。
リディアは剣の鞘で手首を打った。短剣が石の道へ落ちる。
倉庫の中にいた男たちが扉を押し返す。王宮の護衛二人が身体を入れ、扉を開いた。
「第五王子レオンだ」
レオンは国王の印がある任命書を見せた。
「領主として、この倉庫を調べる。抵抗しなければ傷つけない」
一人が奥の出口へ走る。
外から声がした。先に裏へ回った護衛が捕らえていた。
「裏口も見てたの?」
「逃げ道の確認は必要です」
リディアは当然のように答えた。
倉庫の中には、麦袋、塩の樽、油のつぼ、干し肉の箱が並んでいた。
天井の近くまで積まれている。
かびの匂いはない。袋は乾き、油の栓も新しい。
町の倉庫は空だった。
広場では、家族が薄いかゆを分けていた。
その近くに、これだけの食料が隠されていた。
「中にいる人を拘束して。入口と裏口を封じる」
レオンの声から、前置きが消えた。
「お待ちください」
後ろからケスラーの声がした。
濃い青の上着を着たまま、代官府の兵を十人連れている。
「早いな」
「町の治安を守るのが私の役目です。夜に武器を持つ者が動けば、報告は届きます」
「この食料は何?」
「非常時のための備蓄です」
ケスラーは一枚の法令を部下に持たせた。
「不作や暴動の恐れがあるとき、代官は食料を別の場所へ隠して保管できます」
リディアが紙を読む。
「法令は本物です」
ケスラーの笑みが戻った。
「飢えた住民へ場所を知らせれば、皆が押し寄せます。食料を奪い合い、人が死ぬかもしれません。私は秩序を守りました」
レオンは一つだけ聞く。
「その決まりは、誰を守るためにある?」
「セレナの住民すべてです」
「では、なぜ食料を隣の領地へ運ぶ?」
荷車の袋には代官府の印がある。その横には、黒い鷲の商人印もあった。
「古い食料を売り、新しい食料へ替えるためです」
「傷んでいないように見える」
「見ただけでは分かりません」
「明るくなったら、町の商人に調べてもらう。取引の記録も公開する」
「食料の場所を公開すれば、暴徒が来ます」
「兵を置く」
レオンはケスラーの後ろにいる兵を見た。
到着した日に腹を鳴らした若い兵もいる。
「この倉庫を封鎖して。許可なく食料を出す人を止める。従った兵をケスラーが罰することも禁じる」
兵たちは動かない。
代官と新しい領主。どちらに従っても、もう一方を敵にする。
「命令したのは俺だ。責任も俺が持つ」
若い兵が槍を握り直した。
倉庫の扉へ一歩進む。
それを見て、ほかの兵も動いた。
全員が同じ反応ではなかった。
若い兵は、自分の腹を押さえながら入口へ立った。
年上の兵はケスラーを見たまま動かない。
もう一人は槍を下げ、どちらにも向けない位置で立つ。
「従わない兵も罰しないでください」
レオンは言った。
「今は倉庫から物を出さない。それだけ守って。どちらへ従うかは、証拠を見てから決めていい」
年上の兵が、ようやく入口から少し離れた。
レオンの味方になったわけではない。
だがケスラーの命令で倉庫を開けることもしなかった。
ケスラーの表情が消えた。
「到着して二日で、町の秩序を壊すのですか」
「壊れていたものを、見なかったことにはしない」
夜明けまで、倉庫の食料を数えた。
ミナの証言を使わないと決めたため、町の商人と護衛が別々に記録する。
箱は大きさが違い、中身と印が合わない物もあった。数える作業はなかなか進まない。
奥には小さな机があった。
引き出しは空だ。
だがリディアが床を見る。
「この板だけ、釘が新しいです」
板の下から、油紙に包んだ取引記録が出てきた。
売った麦の量、売った相手、受け取った金額が書いてある。
代官府へ入れた金は、受け取った金の半分だけだった。
「残りをケスラーが取った証拠はありません」
リディアが言う。
「でも、報告せずに売った証拠にはなる」
紙の最後には、ケスラーの封があった。
だが送り先の名前だけが空いている。
「空欄へ、あとから別の名前を書けます」
リディアは紙へ触れずに言った。
「今の状態を、別の人にも見せましょう」
町の商人二人と護衛二人を呼び、空欄の場所と封の形を確認させた。
紙を油紙へ戻し、四人が違う場所へ自分の印をつける。
「一人の印だけなら、その人が替えたと言われます」
リディアは証拠の扱いまで先に考えていた。
「その列は二百四十六箱です」
入口から声がした。
ミナが父親と護衛を連れて立っている。
「来なくていいと言ったはずだけど」
「言われてません。調査から外すと言われただけです」
確かにそうだった。
「家族は?」
「護衛がいます。父さんも、行ってこいって」
ミナの父は木片を握ったまま、娘へうなずいた。
「怖くない?」
「怖いです」
ミナの指が服を四回たたく。
「でも、今日は父さんの仕事を勝手に切られません。扉に印をつけた人も捕まっています。何が起きるか分かった上で、私が話します」
「昨日の話を、もう一度する?」
「はい。十三袋だったのも、倉庫が閉まってたのも本当です。数え紐も使ってください」
「また狙われるかもしれない」
「分かっています」
ミナは目をそらさなかった。
「では、頼みたい。ただし、分からないものは分からないと言って。別の人も同じ数を確かめる」
「当たり前です」
ミナはすぐ箱を数え始めた。
「ここから十二、十二、十一。奥の五箱は空です」
「どうして空だと分かる?」
「昨日運ばれたときより、床の跡が浅いです。念のため開けてください」
開けると、本当に空だった。
ミナが加わったあとも、商人と護衛が別に数えた。
三つの記録は同じ数になった。
麦は、町全体へ一か月以上配れる量がある。
「正確には三十四日です」
ミナが言う。
「住民と兵を合わせた人数で、一日二食のうち一食分を麦にした場合です。病人と乳幼児へ多く回すなら、三十一日」
「油と塩は?」
「塩は五十二日。油は四十日。ただし、昨日運び出した袋を戻せるかは入れていません」
「一か月以上ある、で終わらせないんだな」
「三十一日と三十四日では、次の荷を探す期限が三日違います」
ミナは「たくさんある」とは言わなかった。
数が分かるからこそ、いつまでに次を用意する必要があるかも分かる。
「倉庫の鍵は、一人だけに持たせない」
レオンは言った。
「代官府、兵、住民の三人で持つ。二人以上そろわないと開けられない鍵にしたい」
「今日すぐには作れません」
ミナが答える。
「では、できるまで護衛を置く」
「住民側の鍵は、誰へ渡しますか」
ミナが聞く。
「一人を選ぶと、その人が狙われます」
レオンは答えに詰まった。
倉庫を一人に任せない仕組みを作っても、鍵を持つ人を守れなければ同じだ。
「今日決めない。住民が相談できる場を作って、交代する方法も考える」
「その間の護衛費は?」
「……先に聞く?」
「何日置くかで食事と賃金が変わります」
「三日分を先に出して。三日以内に鍵の方法を決める」
ミナはうなずき、すぐ数字を書ける者へ伝えた。
箱の側面には、黒い鷲の印がある。
リディアは印を調べた。
「隣の領主の印ではありません。許可を受けた商人の印です。領主本人が関わったとは、まだ言えません」
「分かった。印のある箱は別にして、記録も探そう」
箱を外へ運ぶと、地下牢の窓から鎖の音がした。
橋で捕らえたラルフが、鉄格子へ顔を寄せている。
「その印を、どこで見つけた?」
初めて、ラルフの方から話しかけた。
「この倉庫だ」
「なら、小さな穴を見つけただけだ」
「何を知っている?」
「王都の帳簿にも、同じ取引がある」
ラルフは首に巻かれていた灰色の紐の跡を指でなぞった。
「明日、代官を縛るつもりか?」
「証拠を見せて、職務から外す」
「それなら聞けるさ」
ラルフは笑った。
「食料を売った金が、王都で誰の名前に変わったのかを」




