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無能判定された第五王子は王になりたくない ~辺境で落ちこぼれを登用していたら、なぜか名君扱いされて王位が近づいてきました~  作者: あるあーる


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第7話 死者が受け取ったパン

 帳簿の受け取り印は、別々の人が書いたように作られていた。


 大きな字、小さな字、丸、十字。


 だが続けて見ると、同じ癖がある。最初の線だけが濃く、最後はいつも右へ曲がっていた。


「一人が書き分けた可能性があります」


 リディアが言った。


「証明できる?」


「王都には、字の癖を調べる役人がいます。ですが、呼ぶまでに帳簿がなくなるかもしれません」


 ケスラーの屋敷には、代官府の役人が大勢いる。


「帳簿を護衛の部屋へ移そう。写しも二つ作る」


「分かりました」


「それから、名前がある人へ直接聞きたい」


 リディアは窓、扉、廊下を順に見た。


「先に知らせると、答えを用意されます。今から行きましょう」


「俺、ミナ、君でいい?」


「護衛を二人つけます」


「町の家へ行くだけだよ」


「この三日で、馬車、夜襲、橋の三回です」


「……二人つけよう」


 町の大通りを外れると、家の傷みがひどくなった。


 割れた窓には板が打たれ、壁のすき間は泥でふさいである。料理の煙はほとんど見えない。


 最初の家では、帳簿どおり食料を受け取ったと言われた。


 だが量を聞くと、書かれた数の半分だった。


 二軒目も同じだった。


 三軒目の女は、レオンを見ると扉を閉めようとした。


「配給について聞きたい」


「何も知りません」


「罰しに来たわけじゃない」


「帳簿に受け取ったとあるなら、受け取ったんでしょう」


 扉のすき間から、怯えた目だけが見える。


 レオンは帳簿を開いた。


「ヨハン・クルツさんは、ここにいる?」


 女の手が止まった。


「夫です」


「話せる?」


 女は答えない。


 部屋の奥にいた幼い少女が言った。


「父ちゃんは、冬の前に埋めたよ」


 母親が少女の口をふさいだ。


 帳簿では、ヨハンが先月まで毎週パンと麦を受け取っている。


 半年も前に死んでいる人が、食料を受け取れるはずがない。


「答えたくなければ、それでいい」


 レオンは帳簿を閉じた。


「今の話をしたことで、あなたたちを罰することはない」


「殿下が帰ったあとも?」


 女は聞いた。


「代官様はずっとここにいます。あなたは、いつまでいますか」


 レオンは答えられなかった。


 自分は王都へ戻ろうと思えば戻れる。この家族は、明日もこの町で暮らす。


「分からない」


 嘘は言えなかった。


「でも、話を聞いた人を置いて逃げるつもりはない」


「つもりだけで守れますか」


 その問いにも、すぐ答えは出なかった。


 リディアが扉、窓、細い裏道を見た。


「聞き取りをした家は、王宮の護衛が見回ります。今夜から始めます」


「君が決めたの?」


 レオンが聞く。


「はい。必要です」


「分かった。交代の時間と、危険があったときの合図も決めて」


 リディアが少し驚いた顔をした。


「一人で全部守れとは言わないよ」


「……分かりました」


 リディアはその場で、護衛の人数を数えた。


「家の前へ立つと、話した家だと周囲へ知らせることになります。二人一組で通りを回ります」


「何時間ごと?」


「二時間で交代します。危険があれば笛を三回。住民は裏口から礼拝堂へ逃がします」


 女はリディアを見る。


「本当に来るの?」


「来ます」


「代官様に止められても?」


 リディアは剣帯の金具へ触れた。


「領主の命令です。止められた場合も記録し、別の道から回ります」


 女はようやく、少女の口から手を離した。


 ミナが数え紐を探した。


「ヨハンさんが死んだのは、秋の市場の次の日です」


「どうして分かるの?」


 女が聞く。


「棺を運ぶために、父さんの荷車を貸しました。車輪が壊れて、直すのに銀貨三枚かかりました」


 ミナは赤い糸のついた紐を出す。


「この日から、この家へ入るパンは一人分減っています。でも帳簿では、ずっと四人分です」


 女は初めて扉を少し広く開けた。


「代官府には、夫が死んだと伝えました。墓地へ入れる税も払っています」


「受け取りの紙はある?」


「もらっていません」


 レオンは帳簿の印を見せた。


「これは夫が書いた?」


「違います。夫は字を書けません。左の親指で印を押していました」


 帳簿には、整った文字でヨハンの名前がある。


 死者がパンを受け取ったのではない。


 誰かが死者の名前を使い、パンを別の場所へ動かしたのだ。


 町の礼拝堂には、死んだ人の名前と日付を残す記録があった。


 礼拝堂の鐘は割れ、扉の塗装もほとんど残っていなかった。


 老神官はレオンたちを見ると、埋葬簿を抱えたまま首を横へ振る。


「原本は外へ出せません。前に代官府へ貸した税の記録が、三枚戻りませんでした」


「取り上げるつもりはない」


 レオンは入口から離れ、神官と同じ高さの椅子へ座った。


「ヨハンさんが亡くなった日だけ、ここで確認させてください」


 神官はリディアの任命書の写しを見てから、祭壇の下にある箱を開けた。


 ヨハン・クルツ。秋の月、十八日。


 埋葬税を代官府へ払った印もある。


 代官府は、ヨハンが死んだことを知らなかったとは言えない。


 老神官は原本を外へ出すことを断った。


「では、ここで写しを二つ作ります。一つは礼拝堂へ残し、もう一つは俺が持つ。原本には護衛を置く」


「護衛を置けば、ここが狙われます」


 老神官が言う。


「では、原本は今までの場所へ戻す。護衛は礼拝堂だけでなく、この通り全体を回る。写しの一つは別の家へ置きたい」


 リディアが周囲の建物を思い出すように、目を細めた。


「鍛冶屋の地下に石の保管箱があります。持ち主が同意すれば、そこへ置けます」


「写しを三つにしよう」


 老神官はしばらくレオンを見た。


「殿下ご自身は、どこへ置かれますか」


「一つは俺が持つ。でも俺の分がなくなっても、残りがある形にする」


 一人の王子が守る証拠ではない。


 三つの場所に残る証拠へ変えることにした。


 証言する人を増やさなくても、証拠は残せる。


 そのあとも、同じような名前が見つかった。


 町を出た家族。足を失って配給所へ行けない老人。まだ生まれていなかった子ども。


 帳簿では、全員が食料を受け取っている。


 反応は家ごとに違った。


 すぐ扉を閉める者。


 食料を返せとは言わず、死んだ家族の名前だけ消してほしいと頼む者。


 代官を罰するより、次の配給が止まることを恐れる者。


 誰も同じ理由で黙っているわけではなかった。


 だが書面へ名前を残すことに同意した住民は、一人もいなかった。


 レオンは最初、真実を知れば皆が一緒に声を上げると思っていた。


 実際には、家族、次の食事、家を失う恐怖が、それぞれの口を閉ざしていた。


 同じ言葉で全員を動かすことはできない。


 まず、黙っていても暮らせる安全が必要だった。


 屋敷へ戻る道で、レオンは左手の王紋をなぞった。


「話を聞けば、何か変えられると思ってた」


「変わりました」


 リディアが答える。


「私たちは、何が起きているか知りました」


「でも、話した人を危険にした」


「だから守ります。知らなかったことにはできません」


 レオンは足を止めた。


「聞く前に守り方を決めるべきだった」


「はい」


 リディアはなぐさめなかった。


「次は、先に決めてください」


「うん」


 代官屋敷の門から、護衛が走ってきた。


「殿下。ミナの家の扉に、灰の印がつけられました」


 ミナの手から数え紐が落ちる。


「丸の中に一本線。家を取り壊す前につける印です」


 ミナの顔から血の気が消えた。


 脅しは、彼女一人へ向けたものではない。


 今日、扉を開けた全員へ向けている。


 次に話せば、お前たちの家も壊す。


 その意味だった。


「ミナの家へ護衛を二人」


 レオンはすぐに言った。


「父親と弟たちを先に守って。聞き取りをした家も、今夜から見回る」


 証言を聞いてから守るのでは遅い。


 レオンは、その順番を一度間違えた。


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