第6話 文字を読めない会計係
歓迎宴の料理が運び出されたあと、食卓には三冊の帳簿が残った。
革の表紙は新しく、紙の端まできれいにそろっている。
「三年分の収入と支出でございます」
ケスラーは相手に合わせて用意した上等な茶器を、レオンの前へ置かせた。
「不作の間も、決まりどおり食料を配りました。この帳簿が証明しております」
レオンは一冊を開いた。
何袋の麦が町へ入り、どの倉庫へ運ばれ、何人へ配られたかが書いてある。
だが、数字が正しいかは、帳簿だけでは分からない。
「倉庫に残る食料と比べたい」
「管理する書記が、北の村へ出ています」
「いつ戻る?」
「早くても十日後でございます」
広場へ配った食料は数日分しかない。十日も待てない。
「ほかに数を知る人は?」
「専門の教育を受けた者はおりません」
「七袋です」
広間の隅から、少女の声がした。
皿を片づけていた小柄な少女が、木の盆を抱えたまま立っている。栗色の短い髪で、指には墨とすすがついていた。
「何の話だ、ミナ」
ケスラーの声が低くなる。
「昨日、東の倉庫から運んだ麦です。十三袋しかなかったのに、そこには二十袋って書いてあります」
ミナは帳簿の一行を指した。
「この娘は雑用係です。文字も読めません」
ケスラーは笑った。
「数字は読める?」
レオンがミナへ聞く。
「はい。文字は少しだけです」
「では、なぜそこが麦の記録だと分かった?」
「昨日、書記がそのページを開いて書きました。私が机の泥を落としていたから、見ています」
ケスラーは茶器の向きを静かに直した。
「残りの七袋は、兵舎へ直接運ばれました。ミナが見ていないだけです」
「兵舎には行ってません」
「なぜ分かる」
「荷車の泥が夕方まで裏庭に残っていました。兵舎へ行く道は白い砂だから、車輪の跡が変わるはずです」
ケスラーの手が止まった。
レオンはミナへ向き直る。
「ほかの日も、数が違った?」
ミナは答える前に、ケスラーを見た。
「……ありません」
レオンは彼女の顔を見た。
ここで何度も聞けば、ミナを危険にするかもしれない。
「質問を変える。どうして袋を数えていた?」
「仕事だからです」
「運ぶのは仕事だ。でも、帳簿を見るのは仕事ではないと言われた」
レオンはそこで黙った。
急かさず、返事を待つ。
やがてミナは、盆を食卓へ置いた。
「前の冬、弟が二日間、何も食べられませんでした」
彼女は腰の袋から、結び目の多い麻紐を出した。
「なのに帳簿では、うちも食料を受け取ったことになっていました。父さんが売ったと言われた。でも違います」
紐には大きい結び目、小さい結び目、木片、金属の輪がついている。
「文字が書けないから、数を結びました。大きい結び目は十袋。小さいのは一袋。木片は塩。輪は油です」
「いつから?」
「三年前から」
ケスラーが椅子を引いた。
「子どもの遊びです。正式な帳簿と比べる物ではございません」
「正式な帳簿が正しいか、それを今から確かめる」
ミナは厨房裏の物置へ案内した。
薪の中をくり抜いた場所に、何本もの数え紐が隠されていた。
「市場の日には赤い糸をつけます。雪の日は白い糸。倉庫が開かなかった日は、端を大きな輪にします」
ミナは一本取るだけで、その日に来た荷車と袋の数を答えた。
「この木片は何?」
「塩です。角が一つ欠けていたら、袋が破れていた印です」
「この二重の輪は?」
「油が届かなかった日です。鐘が二回鳴る祝日だったので、輪も二つにしました」
レオンには、結び方を一度聞いただけでは覚えられなかった。
ミナは同じ説明を繰り返さない。別の紐を出し、レオン自身に数えさせた。
「大きい結び目が二つ。小さいのが三つ。麦が二十三袋?」
「違います。小さい結び目の前に木片があります。塩が三袋です」
「難しいな」
「文字を読める人には、帳簿の方が簡単です」
ミナは自分を卑下するようには言わなかった。
「私は文字が遅いから、間違えない方法を作っただけです」
「全部覚えているの?」
「数字は忘れません」
ミナは数え紐を強く握った。
「忘れたら、なかったことにされるから」
レオンの左手が熱くなった。
無色だった王紋から、細い光が出る。
ミナの胸元に、銅色の小さな星が見えた。袋、箱、帳簿、町の家々へ、星から細い線が伸びている。
彼女が数と配給を管理する仕事に向いている。
王紋が見せたのは、それだけだ。
彼女が正しい人か、信用できる人かまでは分からない。
さらに星の半分を、黒い影が覆っていた。
ミナは家族を恐れている。
そう思ったが、それが能力で見えた事実なのか、今までの話から考えたことなのか、レオンには区別できなかった。
「殿下?」
リディアの声で光が消えた。
「あとで話す」
物置を出たあと、レオンはリディアへ左手を見せた。
「成人の儀では光らなかった。でも今、ミナの近くで光った」
「何が見えましたか」
「銅色の星と、物や家へ伸びる線。ミナが数を管理する仕事に向いているように見えた」
「信用できる人物だとも?」
「そこまでは分からない」
レオンはすぐ答えた。
「黒い影も見えた。でも家族への心配なのか、別の意味なのかは分からない。能力が教えたことと、俺が考えたことを混ぜたくない」
リディアは王紋ではなく、レオンの顔を見た。
「では、星が見えたことだけで役目を与えないでください」
「うん。本人の望みと、実際の仕事を確かめる」
「それなら構いません」
無色の王紋が初めて力を見せた。
だがそれは、人の心をすべて読む便利な力ではなかった。
広間へ戻り、帳簿と紐を同じ日ごとに比べた。
七袋。十一袋。油が二つ。
違いは何度も見つかった。
ケスラーは、捨てた、兵舎へ回した、特別に配ったと説明する。
ミナは説明を聞くたび、人数と日数へ戻した。
「捨てたのは何袋ですか」
「正確な量は補助の帳簿にあります」
「兵舎へ回したのは何人分ですか」
「必要な量です」
「必要な量では分かりません。何袋ですか」
ケスラーの敬語は、質問が具体的になるほど丁寧になった。
「雑用係には理解の難しい処理でございましょう」
ミナの指が食卓を四回たたく。
「分からないから、数を聞いています」
レオンは口を挟まず、ミナの返事が終わるまで待った。
彼女はほめられるより、曖昧な数字をそのままにされる方が嫌なのだ。
「その記録は?」
「北の村にいる主任書記が持っています」
「十日後まで待てと?」
「正確な仕事には時間が必要です」
ミナが一本の紐を持ち上げた。
「この日、東の倉庫は開いてません」
「どうして覚えている?」
「大雪で屋根が落ちました。三日間、皆で雪をどけました」
帳簿には、その日、東倉庫から麦八十袋を出し、百二十七の家へ配ったとある。
倉庫は閉まっていた。
それなのに、百二十七人分の受け取りの印がある。
レオンは印を順番に見た。
名前も形も違う。
だが、どの印も最初の線が濃く、最後は同じ方向へ曲がっていた。
一人が、百二十七人のふりをして書いたように見えた。
「この印を、本人へ確かめたい」
レオンが言うと、ミナの指が止まった。
「家へ行くんですか」
「嫌なら、君は来なくていい」
「行きます」
答えは早かったが、ミナは数え紐を服の中へ入れた。
「ただ、代官府の人には先に知らせないでください」
「理由を聞いてもいい?」
ミナはケスラーを見ないまま答えた。
「答えを教えに来ます。帳簿と同じことを言えって」
ケスラーが茶器を置く。音は立たなかった。
「根拠のない疑いでございます」
「では、確かめよう」
レオンは帳簿を閉じた。
倉庫が閉じた日に配られた、百二十七人分のパン。
最初に確かめる名前は、ヨハン・クルツ。
帳簿では、先月も本人が受け取ったことになっていた。




