第5話 飢えた町の歓迎宴
セレナの城門には、新しい歓迎の旗が一本だけあった。
旗を結んだ見張り台は黒く汚れ、屋根の板も抜けている。
門の前には、二十人ほどの兵士が並んでいた。鎧はばらばらで、槍には赤いさびが浮いている。
「第五王子レオン殿下、ご到着!」
号令とともに、太った男が歩み出た。
年は五十ほど。濃い青の上着には銀の刺しゅうがあり、靴には泥一つない。
「セレナ代官、オスカー・ケスラーでございます。ご無事で何よりです」
「道で襲われた。捕虜が二人いる」
レオンは後ろの荷車を示した。
「牢へ入れ、先に傷を治してくれ。話を聞く前に死なれては困る」
「傷を治すのでございますか」
ケスラーの笑顔が一瞬止まった。
「監視はリディアが決める。許可なく捕虜へ近づかないでほしい」
「さすが殿下。先のことまでお考えですな」
ただ必要なことを頼んだだけだが、レオンは何も言わなかった。
兵士たちが負傷したハインツを運び始める。
若い兵がよろめき、槍で身体を支えた。
「怪我か?」
レオンが聞くと、兵は急いで背筋を伸ばした。
「問題ありません」
その直後、腹の鳴る音がした。
ケスラーが兵へ冷たい目を向ける。
「長い警備で疲れたのでしょう。食事は決まりどおり与えています」
レオンは門の内側を見た。
道の両側に住民が立っている。痩せた老人、赤ん坊を抱く母親、裸足の子ども。
誰も王子の顔を見ていない。
荷車に積んだパンと干し肉を見ている。
開いている店は少なかった。
パン屋の棚には、粉を払った跡だけがある。井戸のそばでは、空の鍋を持った女が何度も城門を見ていた。
レオンは歓迎の列だと思っていた住民を見直した。
きれいに並んでいるのではない。
兵に並ばされ、動く力もなく立っているだけだった。
一人の少年が列から出た。母親が腕をつかむ。
「だめ」
少年は立ち止まったが、食料から目を離さなかった。
「歓迎の式は中止しよう」
ケスラーが首をかしげる。
「領民は殿下のお言葉を待っております」
「そうは見えない。皆を家へ帰してくれ」
「長旅でお疲れなのに、領民の暮らしまで気にかけてくださるとは」
ケスラーが大きな声で言った。
違う。レオンは長いあいさつを考えていなかっただけだ。
だが今は、その話を直すより先にすることがある。
「荷車の食料を、兵と住民へ分けたい」
ケスラーの笑顔が止まる。
「殿下ご自身の食料です。まず屋敷へ運び、数を記録しなければなりません」
「俺のものなら、俺が配っていいだろう?」
「一度だけ与えれば、次ももらえると思わせます。領民が自分で生活する力を失う恐れがございます」
レオンは少年の細い腕を見た。
「明日からのことは、町の食料を調べて決める」
「では、今日は――」
「今日、腹を空かせている人へ、今日の食料を渡す」
ケスラーの目から温かさが消えた。
兵士たちは代官とレオンを交互に見る。どちらの命令を聞けばいいのか迷っていた。
レオンは国王の印がある任命書を出した。
「俺が今日からセレナの領主だ。配った責任は俺が持つ」
リディアが前へ出る。
最初に窓と門を見た。次にレオンと、列の子どもたちの位置を確かめる。
「荷車を広場へ。子ども、病人、年寄りがいる家を先にします。入口と出口の列は分けてください」
兵士たちが動き始める。
「お待ちなさい。代官である私の許可が――」
ケスラーの声で、足が止まる。
リディアは短く聞いた。
「領主と代官では、どちらの命令が上ですか」
ケスラーは任命書を見た。
「……領主でございます」
「では、列を作ります」
リディアは若い兵へ向き直る。
「家族の人数を聞く者、袋を渡す者、受け取った家を覚える者に分かれてください」
「帳簿はありません」
「今は紙がなくても構いません。石を家ごとに一つ置いて、あとで数えます」
彼女は広場の出口を指した。
「受け取った人はこちらから帰してください。入口へ戻ると、同じ人が二度並んだと疑われます」
食料を渡すだけでも、奪い合いを起こさない順番が必要だった。
レオンは自分の「配りたい」という考えだけでは足りなかったことに気づく。
「リディア、助かる」
「護衛任務です」
「食料を配るのも?」
彼女は一拍止まった。
「人が押し合えば危険です」
好意ではなく仕事だと言いたいらしい。背筋だけが不自然に固くなっていた。
レオンは、さきほどの少年へ目を向けた。
「パン、もらえるの?」
「うん」
「母ちゃんの分もある?」
「家族は何人?」
「三人。妹もいる」
「なら三人分だ。兵に伝えて」
少年は母親のもとへ走った。
兵から小さな袋を受け取ると、少年はすぐに開けなかった。
両手で持ち上げ、重さを確かめる。
「三人分ある?」
若い兵が困ってレオンを見る。
「今は同じ大きさで分けています。子どもの家だけ多くはできません」
兵の声は弱かった。
レオンは袋を見た。
「少年の家だけ増やすんじゃない。家族の人数で量を変えられる?」
「秤がありません」
「厨房には?」
ケスラーの使用人が、屋敷にあると答えた。
「持ってきて。三人なら三人分にする。家族の数は、兵と住民の二人で確かめて」
少年は母親の手を引き、列の前へ戻った。
「母ちゃん、妹も三人に入るって」
母親はすぐには笑わなかった。
「本当に、明日もあるの?」
レオンは答えを作れなかった。
「明日の分があるか、今から調べます」
「ないかもしれない?」
「うん」
女の顔に不安が戻る。
それでもレオンは、安心させるためだけの約束をしなかった。
リディアは少年が離れるまで、レオンの前に立っていた。
「子どもだよ」
「確認が済むまでは、誰でも同じです」
短い返事だった。
代官屋敷へ入ると、焼けた肉と香辛料の匂いがした。
広間の食卓には、丸焼きの鳥、白いパン、果物、酒が並んでいる。
窓の外では、住民が黒パンを受け取るために並んでいた。
「殿下を迎える宴です」
ケスラーが深い椅子を引く。
「町に食料がないのに?」
「殿下の分だけは、特別に用意しました」
壁際の使用人たちも痩せていた。
給仕の一人が、丸焼きの鳥へ何度も目を向けている。
別の給仕は、白いパンが近くを通るたびに唾を飲んだ。
ケスラーの皿とナイフだけは、すでに食卓へ置かれている。レオンの席には金のふちの皿。使用人の分は、最初からない。
レオンは椅子へ座らない。
「とりあえず、この料理も外へ運んで。冷める前に」
「正式な歓迎宴でございます」
「俺一人では食べきれない」
「残りは使用人へ下げます」
「なら最初から皆で食べればいい」
「身分の順序がございます。それが町を治めるということです」
「この宴に、いくら使った?」
「殿下を迎える正式な費用です」
「金額を聞いてる」
ケスラーは給仕へ視線を向けた。
「細かな支出は書記が管理しております」
「その書記は、十日戻らない人?」
「別の担当でございます」
「では、その人を呼んで」
ケスラーの返事が遅れた。
レオンは食卓を見た。
歓迎の言葉は多い。
だが、誰が金を使い、誰が食べるのかを聞くと、答えは急に見えなくなる。
食卓のこちら側には、王子と代官がいる。
窓の外には、食べ物を待つ人がいる。
何も選ばず、この椅子へ座れば、それも一つの選択になる。
レオンは左手の王紋から指を離した。
「リディア。料理を広場へ」
「分かりました」
リディアはすぐ扉を開けた。
「運ぶ料理と皿の数を、二人で確認してください。酒は子どもの列から離します。肉は小さく切り、同じ大きさに」
ケスラーは止めようとしたが、任命書を見て口を閉じる。
給仕たちが料理を持ち上げる。
丸焼きの鳥を運ぶ若い給仕の手が震えていた。
「君も外で食べて」
レオンが言うと、給仕は動きを止めた。
「私は給仕でございます」
「運び終えたら、列へ並んでいい。ここにいる人も家族の人数を伝えて」
給仕はケスラーを見た。
ケスラーは笑みを作ったまま何も言わない。
リディアが扉の横へ立つ。
「領主の命令です」
給仕は深く頭を下げ、料理を外へ運んだ。
「ケスラー」
任命書を食卓の中央へ置く。
「引き継ぎを始める。町にある食料と、三年分の金の記録を見せて」
ケスラーは任命書へ触れず、給仕へ目で合図した。
「かしこまりました、領主殿」
その声には、もう笑みがなかった。




