第4話 反逆者の娘
夜が明ける前に、一行は森を出た。
負傷したハインツを荷車へ寝かせる。捕虜の両手は縛った。森へ逃げた襲撃者が戻るかもしれないため、立ち止まる時間はなかった。
前を歩くリディアは、地面の足跡と周りの木を交互に見ている。
昨夜投げた長剣は少し曲がり、鞘へ入らなくなっていた。布を巻いた剣を右手に持ち、左手はすぐ縄へ届く位置に置いている。
「石橋まで、あとどれくらい?」
「この速さなら四時間ほどです」
「ほかの道は?」
リディアは地図を広げた。
「上流は雪解け水が多く、馬では渡れません。下流には細い道がありますが、担架と荷車は通れません」
「負傷者と荷物を置けば通れる?」
「はい。ですが森には、逃げた二人が残っています。ここへ人を残せば、守る兵も必要です」
レオンはハインツの荷車を見た。
人も食料も捨てられない。
「橋へ行こう」
リディアが顔を上げた。
「罠があると分かっている橋です」
「分かってる。皆で近づく気はない。君なら、離れた場所から調べる方法を考えられる?」
「考えるのは私ですか」
「道の安全は君に任せた。俺には分からないから、案を聞きたい」
リディアは地図の一点を指した。
「橋の手前に古い見張り塔があります。そこから橋と対岸を見られます。まず全員で塔へ向かいます」
「分かった。それで行こう」
リディアは地図を畳んだが、歩き出さなかった。
「殿下は、決める責任まで人へ渡しているのですか」
レオンの左手が、無意識に王紋へ触れた。
前世でも「どちらでもいい」と何度も言った。相手に任せたつもりだった。だが本当は、間違えた責任を負いたくなかっただけかもしれない。
「そう見える?」
「まだ分かりません」
リディアは少し間を置いた。
「父は、自分で決めた結果、反逆者になりました」
それ以上は話さず、前へ向き直った。
見張り塔は、石の階段が半分崩れていた。
上から谷を見下ろすと、幅の広い川に古い石橋が架かっている。荷車が一台通れる広さだ。
リディアは橋、対岸の岩、川岸の草むらを順番に見た。
「人影はありません。煙もありません」
「罠は見える?」
「ここからでは分かりません」
リディアは長い縄を腰へ結んだ。
「私が一人で調べます。何かあれば縄を二回引きます。皆は塔まで下がってください」
「君を置いて?」
「護衛する相手を生かすためです」
彼女は当然のことのように言った。
レオンは橋を見る。
自分も行けば、橋にかかる重さが増える。リディアが守る相手も増える。
だが、彼女だけを捨てる命令は出せない。
「橋を調べて、必ず戻ってきてくれ」
「罠を止めることと戻ることを、同時にできない場合があります」
「そのときは戻って。橋の代わりは探せる。君の代わりはいない」
リディアの背筋が、いつも以上に固くなった。
「……護衛に出す命令としては変です」
「間違ってる?」
「安全だけを考えれば、間違っています」
「そうか」
「ですが、分かりました。戻ります」
リディアは橋へ向かった。
一歩進むごとに、小さな金づちで石をたたく。乾いた音が谷へ響いた。
橋の半分まで進んだところで、彼女はしゃがんだ。
石のすき間から、油の染みた黒い紐を引き出す。
「火をつける紐です!」
対岸の岩陰で光が動いた。
「伏せろ!」
矢がリディアの胸当てをかすめる。
続けて二本飛んだ。彼女は低い欄干へ身を寄せる。
黒い服の男が岩陰から出て、橋へ走ってきた。昨夜逃げた襲撃者の一人だ。
リディアは曲がった長剣を構える。
二人の刃がぶつかった。
橋は狭い。大きく横へ動けば、川へ落ちる。
男は短い剣で何度も突いた。リディアは受けながら、少しずつ後ろへ下がる。
「反逆者の娘が、今度は王子の犬か」
リディアの動きが一瞬止まった。
男の刃が頬を切る。
「お前の父は、国境の砦を敵へ渡した。娘も、いつか同じことをする」
「黙れ」
リディアが踏み込み、男の短剣を強く打った。
男は体勢を崩しながら、火打ち金を石へたたきつけた。
火花が黒い紐へ移る。
赤い火が、二つに分かれた紐を走った。
「紐を切れ!」
レオンが叫ぶ。
リディアは男を斬らず、橋の中央へ伸びる方の紐を切った。
すぐに爆発が起きる。
石と白い煙が空へ飛んだ。橋の端と欄干が崩れたが、中央は残った。
リディアと男が倒れる。
「縄を引け!」
レオンと騎士たちが縄を引く。
男は起き上がり、リディアの背へ飛びかかった。
レオンは足元の石を投げた。
石は男の肩へ当たる。
男が振り向いたすきに、リディアが足を払った。
男の身体が欄干の外へ落ちる。片手だけが石の端をつかんだ。
リディアは剣を捨て、その腕をつかむ。
「何をしている! 俺はお前を殺そうとしたんだぞ!」
「知っています」
「なら離せ!」
「生きて話してください。誰に命じられたのかを」
壊れた橋がきしむ。
「二人とも引く!」
レオンは縄を腰へ回し、足を石柱へ当てた。
「一、二、今!」
騎士たちと一緒に縄を引く。
もう一度。
リディアの身体が近づく。彼女は男の腕を離さない。
三度目で、二人とも橋の安全な場所まで戻った。
リディアは息を切らしながら、捕虜の手を縛った。
「殿下。あの男は落とすべきでした」
「必ず戻れと君に言った。その君が連れて帰ろうとしたんだ。俺も手を離せない」
捕虜が笑った。
「似ているな」
リディアの手が止まる。
「誰に?」
「お前の父親だ。助ける価値のない者まで助けて、自分が死んだ」
リディアの指が震えた。
「父を知っているの?」
男は答えない。
代わりに、橋を渡り終えたあとで名を聞かれ、ラルフ・クルーガーとだけ名乗った。
リディアの頬から血が流れている。
レオンは自分の外套を渡した。
「傷を押さえて」
「殿下が寒くなります」
「俺より無茶をした人が言うことじゃない」
リディアは外套を受け取った。
爆発で壊れたのは、対岸側の欄干と道の端だった。
リディアが切った紐は、橋の中央にある大きな火薬へ続いていた。もし切るのが遅ければ、橋そのものが川へ落ちていた。
「すぐ荷車を通せる?」
「まだです」
リディアは頬へ外套を当てながら答えた。
「見える場所が残っていても、下の石が割れているかもしれません」
御者と騎士が、小さな金づちで石を一つずつたたいた。乾いた音なら問題はない。低くにごった音がする石は、縄で印をつけて避けた。
荷物は先に人の手で運ぶ。
空になった荷車へ二本の縄を結び、前と後ろから支えた。
最初の車輪が爆発跡を越えたとき、全員の息が止まった。
石は動かなかった。
人、荷物、負傷者、馬の順に渡す。
最後にリディアが橋の入口を振り返り、切った導火紐を布へ包んだ。
「これも証拠です」
ハインツは荷車に横になったまま、保管者の名前を手帳へ書かせた。
「父のことを聞きたい?」
レオンが聞くと、彼女はすぐに首を横へ振った。
「聞きたくありません」
少ししてから言い直す。
「いいえ。聞くのが怖いです」
「分かった。今は聞かなくていい」
それから一行は負傷者に合わせ、十日かけてゆっくり進んだ。
捕虜の男は、二日目の夜にようやく名乗った。
「ラルフ・クルーガー」
レオンは焚き火から離れた場所で、一つだけ聞いた。
「リディアの父を、どこで知った?」
「ローゼン砦だ」
ラルフは短く答えた。
「俺の兄は、あの男の命令で死んだ」
リディアは焚き火の外に立っていた。剣帯の金具を押さえたまま、近づかない。
「それ以上は?」
レオンが聞く。
「今は話さない」
「分かった」
レオンは問いを止めた。
ラルフの話が真実かは分からない。兄を失った怒りと、誰かに教えられた話が混ざっているかもしれない。
ただ、リディアの父を知る人間が生きている。その事実だけは残った。
セレナまでは、あと三日だった。
三日後、森が終わる。
低い丘の向こうに、セレナの町が見えた。
城壁は崩れ、見張り台には旗もない。
門の外には、多くの人が列を作っていた。
町へ入る列ではない。
家を捨て、町から出ていく人々の列だった。




