第2話 命令違反の護衛騎士
出発の朝、レオンは自分の馬車を見上げた。
白い車体に金色の王家の紋章。窓には銀の飾り。座席には厚い絹の布が使われている。
「もっと目立たない馬車はないのか?」
王宮の係が首を横へ振った。
「王子殿下を荷運びの馬車へ乗せることはできません」
「もう王位を継ぐ権利はない」
「それでも王子でございます」
レオンはあきらめた。
後ろには荷車が二台ある。本人が頼んだのは、服と本、それに母の形見の小箱だけだった。
「あの荷物は?」
「殿下の食器、寝具、予備の服、式典用の道具です」
「半分にできないか?」
「すでに半分です」
辺境で静かに暮らすまでには、まだ長い道がありそうだった。
荷車の一番奥には、手のひらほどの木箱があった。
亡くなった母が残した物だ。ふたには五つの小さな穴があるが、鍵は見つかっていない。
王都へ置いていくことも考えた。だが、母の物を誰もいない倉へ入れる気にはなれなかった。
「この箱だけは、俺の近くへ置いて」
荷物について自分から望みを言ったのは、それだけだった。
石畳を打つ足音が近づく。
赤い髪を後ろで結んだ若い女騎士が、レオンの前でひざをついた。胸当ても長剣も古い。だが、よく手入れされていた。
「リディア・ローゼンです。本日から殿下をお守りします」
ローゼン家は、十二年前に反逆の罪で取りつぶされた騎士の家だ。
周りの騎士たちが、リディアから少し離れた。
「よろしく、リディア」
レオンが手を出したが、彼女は取らなかった。
「何か言いたいことがある?」
「答えなければなりませんか」
「できれば聞きたい」
リディアは背筋を伸ばした。
「殿下は王位争いから逃げた方です。国が苦しいときに、責任を捨てたと思っています」
近くの騎士が「無礼だ」と声を上げた。
「だいたい合っている」
レオンが答えると、リディアの方が言葉を失った。
「否定しないのですか」
「否定しても、君の考えは変わらないだろう?」
「変わりません」
「正直だな」
「嘘が苦手です」
見れば分かる。
レオンは馬車へ乗る前に、もう一つ聞いた。
「護衛以外の命令も受けている?」
リディアの手が、剣を下げる帯の金具へ動いた。
「殿下の行動を記録し、王都へ報告せよと言われています」
「監視役でもあるのか」
「はい」
「分かった。見たままを書いてくれ」
「私を外さないのですか?」
「君を外したら、次は監視役だと教えない人が来る」
リディアはしばらく黙り、短く頭を下げた。
王都を出て三日目。
一行は、崖に沿った山道を進んでいた。左は深い谷、右は岩の壁だ。
初日からリディアは、宿へ着くたびに窓と裏口を確かめた。食事の前には馬の水を見て、最後にレオンの剣帯が緩んでいないかを見る。
「監視の記録にも、窓の数を書くの?」
二日目に聞くと、リディアは真顔で答えた。
「必要なら書きます」
「俺が何を話したかだけじゃないんだ」
「護衛の報告と監視の報告は分けています。混ぜると、どちらも役に立ちません」
レオンを好きではない。それでも仕事は手を抜かず、二つの役目も混ぜないらしい。
リディアは馬車の左後ろを走りながら、何度も車輪を見ている。
「何か気になる?」
「左の後ろの車輪から、金属の音がします」
レオンも窓を開けて耳をすませた。
石を踏む音に混じって、ときどき高い音がする。
「止めて調べよう」
先頭の騎士隊長ハインツが振り返った。
「古い車輪なら音は出ます。日暮れまでに決められた野営地へ着かなければなりません」
「音は朝より大きくなっています」
「ローゼン。指揮をするのは私だ」
リディアは口を閉じた。
レオンはハインツへ聞く。
「調べるのに、どれくらいかかる?」
「十五分ほどです。しかし、この森には盗賊が出ます」
「分かった。次に道が広くなる場所で止めよう」
「殿下」
「盗賊がいる場所で車輪が外れる方が危ない」
ハインツは何か言いかけ、やめた。
リディアがレオンを見る。
「私を信じるのですか」
「俺にも音は聞こえた。それに、君は俺を軽蔑していても、馬車を谷へ落としたいわけではないだろう?」
「嫌いとは言っていません」
「そうだった?」
「軽蔑しています」
「違いがよく分からない」
リディアの口元が、少しだけ動いた。
次の瞬間、馬車の下で木が折れる音がした。
車体が大きく左へ傾く。
「飛び降りて!」
リディアが叫んだ。
後ろの車輪が外れ、谷へ落ちていく。
レオンは座席から投げ出された。肩を壁へぶつける。馬が暴れ、傾いた馬車を谷側へ引っぱった。
リディアは自分の馬から御者台へ飛び移った。
「手綱を貸して! 馬を止めないで!」
「止めないのか!」
「止めたら、そのまま谷へ引かれます!」
彼女は二頭の馬を岩壁へ寄せた。車体が石を削り、激しい音を立てる。
岩壁が目の前に迫る。
リディアは片方の手綱だけを強く引いた。
馬が道に沿って向きを変える。馬車の横が岩へぶつかり、ようやく止まった。
開いた扉のすぐ外は、崖だった。
「殿下!」
リディアが車内へ入ってくる。
「怪我は?」
「肩を打った。動くから、折れてはいない。御者は?」
「額を切っていますが、話せます」
レオンは息を吐いた。
外へ出ると、リディアは落ちた車輪のそばへひざをついた。
「隊長。事故ではありません」
折れた車軸の半分には、刃物で切ったような平らな傷があった。その上に泥と油が塗られている。
「出発前に切り込みを入れています。走るうちに残りも折れたのでしょう」
ハインツの顔色が変わった。
御者が青ざめる。
「私は何も知りません。本当です」
レオンは一つだけ聞いた。
「御者が切った証拠はありますか?」
ハインツは車軸を見た。
「ありません」
「では、御者のせいにはしない。報告書には、俺がそう決めたと書いてください」
ハインツは咳払いをした。
「王宮輸送規則では、御者に管理責任があります。しかし、故意の細工を見抜けない場合の決まりはありません」
彼は手帳を開いた。
「今回に限り、殿下の判断を責任者の命令として記録します。私も署名します」
規則を曲げたことまで、自分で書いていた。
リディアは車軸の傷へ指を近づけたが、触れる前に止めた。
「この傷は出発前につけられています。車輪を外せる場所は、王宮の車庫です」
「誰が入れる?」
ハインツが手帳をめくる。
「車両係、王宮騎士、荷を確認する書記です。王族の使いも、通行札があれば入れます」
「多いな」
「はい。今ここで犯人は決められません」
リディアは「王宮の誰かです」とは言わなかった。分かることと、まだ分からないことを分けている。
「傷のある部分を持っていける?」
「切り取って封をします」
ハインツは保管する者、封をする者、開くときに立ち会う者まで手帳へ書いた。
「そこまで必要?」
「途中で別の木へ替えられれば、事故だったことにされます」
レオンは壊れた馬車を見た。
犯人を探す前に、起きたことを消されない形で残す必要がある。それは自分だけでは考えつかない仕事だった。
「王都へ戻りますか?」
リディアが聞いた。
王宮で細工されたなら、戻っても安全とは限らない。
「荷車を一台空けよう。それでセレナへ進む」
「道は?」
「君に任せる。危険に最初に気づいたのは君だ」
リディアは目を見開いた。
「私が命令に背いても?」
「命を守るためならいい。責任が必要なら、俺の命令だったと書いてくれ」
「なぜ、そこまで信用できるのですか」
「君は監視役だと自分から話した。俺をだます人なら、もう少し上手に好かれようとする」
リディアは剣帯の金具から手を離した。
「分かりました。ここからは私が先に道を確かめます」
ハインツが咳払いをした。
「指揮を変えるなら、範囲を決めてください。進む道と野営場所はローゼン。隊列と休憩時刻は私が決めます」
「それでいい?」
レオンがリディアへ聞く。
「はい。隊長の方が、負傷者と荷車を動かす手順に詳しいです」
二人はまだ互いを信用していない。
それでも、何をどちらへ任せるかは決められた。
夕方、一行は街道を外れた岩場で止まった。
リディアが、灰色の細い布を持って戻ってくる。
「枝に結ばれていました。私たちが進んだ方向を示す印です」
「馬車に細工した人の印?」
「分かりません。ただ、結び目は新しいです」
リディアは森の暗がりへ目を向け、長剣を少し抜いた。
「誰かが追ってきています。今夜、来ます」




