第1話 第五王子は王になりたくない
左手の王紋が光らなかった。
その瞬間、レオン・レグナリアは心の中で叫んだ。
――よし。これで静かに暮らせる。
王都の大聖堂には、国王と四人の王子、国の重臣たちが集まっていた。
白い石の床の中央で、レオンだけがひざをついている。左手には王冠の形をした紋がある。だが、いくら魔力を流しても色はつかなかった。
「魔力の反応はありません」
神官が青い顔で告げた。
貴族たちが小声で笑う。
「王族なのに、王の力を持たぬとは」
「これで王位を争う王子は四人ですな」
レオンはうつむいたまま、口元を引きしめた。笑うのをこらえていたのだ。
ほかの王子たちの王紋には、それぞれ色と力がある。
第一王子エドガーは、法と国を支える金。
第二王子アレクシスは、軍を率いる赤。
第三王子ユリウスは、人を治す白。
第四王子ノエルは、記録を読み解く青。
この国では、王子の番号は生まれた順ではなく、王族として登録された順に決まる。十四歳のノエルは、十六歳のレオンより先に登録されたため第四王子だった。
レオンが生まれたとき、地方小貴族出身の母ミレイユは、まだ側妃として正式に認められていなかった。貴族会議が審査を三年も止めたため、レオンの王籍登録も保留されていた。
レオンの紋だけが無色だった。
光らない左手を見ても、痛みはない。冷たい石の床の感触だけが、ひざから伝わっていた。
この国で王になるには、王紋の力だけでなく、貴族や教会、軍の支持も必要になる。力のない第五王子を支持する者はいない。
つまり、兄弟と争わなくていい。
レオンは前世でも、家族の争いが苦手だった。父と母が言い争うと、弟や妹を別の部屋へ連れていった。自分の意見を言えば、家族がもっと壊れる気がしたからだ。
この世界でも、考えは同じだった。
自分が王位を望まなければ、きょうだいの敵にならずに済む。
「静かに」
低い声が聖堂に響いた。
国王グスタフが玉座から貴族たちを見ていた。笑い声はすぐに消えた。
王の隣に立つ宰相ヴァルターが、神官へ目を向ける。
「別の魔石でも確かめなさい。記録に間違いは残せません」
神官たちは三つの魔石を使い、祈りも変えた。
それでも、レオンの王紋は光らない。
ヴァルターは結果を紙に書かせた。
「無色の王紋です。これまでの決まりでは、王になる資格がない紋として扱われます」
感情のない声だった。ヴァルターはレオンではなく、「王になる資格がない者」として話しているように見えた。
グスタフはしばらく黙っていた。
「レオン」
「はい、陛下」
「お前から王位を継ぐ権利を取り上げる」
望んでいた言葉だ。
それなのに、胸の奥が少し痛んだ。
父は国王として命令しただけだった。だが、その指は玉座のひじ掛けを強くつかんでいた。
「受け入れます」
レオンは頭を下げた。
顔を上げると、四人のきょうだいが見えた。
エドガーは神官の記録を受け取り、静かに確かめている。
「再判定を求める権利は残すべきです。今日だけで、すべてを決める必要はありません」
アレクシスは貴族席をにらんだ。
「力がない弟を笑う者が、戦場で役に立つとは思えないな」
ユリウスは笑みを浮かべたまま、レオンの手を見ていた。
「痛みはない? 少し赤くなっているよ」
病弱なノエルは、つえをついたまま神官へ言う。
「無色だから力がない。その決まりは、誰が作ったんですか」
ヴァルターが四人を見回した。
「判定は王国の決まりに従ったものです。感情で変えることはできません」
エドガーは記録の最後まで目を通した。
「決まりに従うなら、再判定の方法も同時に伝えるべきです。権利を失う者へ、残る権利を隠してはいけません」
アレクシスは腕を組む。
「俺が気にしているのは再判定ではない。力がないと決まった弟を、この場で笑う連中だ。護衛を減らすなら、俺の兵を出す」
「その言い方では、兄上の派閥へ入ったと思われます」
ユリウスは二人の間へ柔らかな声を入れた。
「まず手を冷やしましょう。赤くなったまま話を続ければ、レオンもつらいでしょう」
「赤いのは魔石を何度も当てたからです」
ノエルは神官の手元へ目を落とす。
「使った魔石の番号も記録してください。あとで一つだけ反応が違ったと言われても困ります」
同じ結果を前にしても、四人が見る場所は違った。
エドガーは手続き。
アレクシスは力と護衛。
ユリウスは目の前の痛み。
ノエルは、あとで残る証拠。
誰も喜んでいなかった。
レオンは困った。
自分が退けば、きょうだいは安心すると思っていた。だが四人とも、別の理由で結果を受け入れていない。
「ただし」
グスタフの声で、全員が正面を向いた。
「お前には王家の者として国へ尽くす義務が残る。同時に、今日まで王子の務めを果たした分のほうびを与える。望むものを言え」
レオンは迷った。
金を求めれば、兵を集めるためだと疑われる。
王都の屋敷を求めれば、一生、きょうだいの支持者に見張られる。
ならば、遠くへ行けばいい。
「セレナ辺境領をください」
聖堂が静まり返った。
やがて、貴族たちが騒ぎ始める。
「三年も不作が続く土地だぞ」
「村がいくつも消えたと聞く」
「魔物まで出る。王国で最も貧しい土地ではないか」
レオンがセレナを選んだ理由は簡単だった。
王都から遠く、軍も産業もない。誰も欲しがらない土地なら、王位争いも起きないはずだ。
古い屋敷で本を読み、小さな庭を作る。それがレオンの望みだった。
「なぜセレナを選ぶ」
グスタフが聞いた。
「誰も欲しがらない土地だからです」
レオンは正直に答えた。
「俺は王位も、軍もいりません。誰も欲しがらないものなら、俺が受け取っても争いにはならないと思いました」
少し間を置いて、貴族の一人が目頭を押さえた。
「自分がすべてを失った日に、最も苦しい土地を引き受けるとは」
「王紋がなくても、民を思う心は王そのものだ」
別の者までうなずき始める。
レオンは耳を疑った。
――いや、どうしてそうなる。
「よかろう」
グスタフは短く言った。
「レオンにセレナを与える。かの地を治めよ」
父として何か続けようとしたのか、グスタフの唇が一度動いた。
「出発まで七日ある。必要な物を――いや」
王の言葉が途中で止まる。
「必要な物を選べ。お前が、自分で」
命令の形ではあった。
それでもレオンは、父が「持っていけ」と決めなかったことに気づいた。
「分かりました」
レオンが礼を終えると、ノエルが近づいてきた。
「兄上。辺境なら仕事が少ないと思いましたか?」
「……違うのか?」
「不作、人口の減少、壊れた道、代官の不正。昨年の報告書だけで、問題は四十二件あります」
「四十二?」
「昨年だけです」
ノエルは青い顔のまま、少しだけ笑った。
「静かに暮らせるといいですね」
それから半刻後。
王宮の執務室で、ヴァルターはセレナ領主の任命書を読んでいた。
灰色の頭巾をかぶった男が、窓のそばに立っている。
「第五王子は七日後に出発します」
「護衛は?」
「王宮騎士が数名。責任者の一人は、反逆者とされた騎士の娘です」
ヴァルターは書類をきれいに二つ折りにした。
「無色の王紋に、今のところ力はありません」
ヴァルターは男へ事実を伝える。
「支持する貴族も軍もなく、本人も王位を望んでいない。脅威になる可能性は低いでしょう」
「では、なぜ殺すのですか」
「低いことと、ないことは違います」
ヴァルターは机の時計を見た。秒を刻む音に乱れはない。
「今日の聖堂では、四人の王子が別々の理由で第五王子を守ろうとしました。本人が頼んでいないのにです」
男は黙っている。
「人が自分から集まる者は、力を持つ者より予測が難しい」
「第五王子を、セレナへ着かせる必要はありません」
男がひざをつく。
「山道には崖が多い。古い馬車が落ちても、事故に見えるでしょう」
男が部屋を出たあと、ヴァルターは冷めた茶へ手を伸ばした。
「王位を望まない、か」
カップを持つ手が止まる。
「その言葉を信じて滅びた国を、私は知っている」




