【07】 理由
テオ殿下の執務室の壁には書架が造り付けられていた。
難しいタイトルの本が、ぎっしりと収まっている。
収納しきれずに溢れた本は、横にして床に積まれていた。
テオ殿下はかなりの勉強家だということがわかる。
書架と反対側の壁には、一枚の大きな肖像画が飾られていた。
その肖像画を見た瞬間――。
……どういう、こと?
描かれているのは、長い金色の髪と青い瞳をもった美しい女性。その肖像画の中で淡く微笑んでいる。
その微笑みには、どこかもの哀し気というか、儚い雰囲気が漂っていた。
女性の傍らには、艶々とした金色の髪に利発そうな灰色の瞳の、いかにも絵物語の中から抜け出してきた王子様といった、幼い男の子が立っていた。
両手で女性のドレスのスカートの裾をぎゅっと握りしめている。
とても可愛らしい子どもだ。
だけど利発そうな灰色の瞳は、女性の淡い微笑みと同じく、どこか不安そうな眼差しを投げかけていた。
一体、どなたの肖像画?
「ルナ様、こちらは……今は亡きステラ第三妃様と、幼少時代のセオドア殿下です」
ノア様がわたしの視線の先を説明した。
「そう……なのですか」
ステラ第三妃様はテオ殿下のお母様だ。テオ殿下が幼い頃に亡くなっている。
ノア様はとても大切なものを見守るように、肖像画を見つめて優しく微笑んでいた。
細められた目元はとても麗しく、艶っぽかった。
の、だが……。
わたしが感じていたのはドキドキとしたトキメキではなかった。
困惑が胸の中に、ざわざわとした波紋を描いていた。
だって。
ステラ様の、このドレス。
テオ殿下が推していた婚礼衣装と、よく、似ている。
テオ殿下は……ステラ様と同じようなドレスをわたしに着せたいの?
こんなにも儚げで美しいステラ様と同じような衣装が、わたしにも似合うなどと本気で思っているのだろうか?
もしかして。
わたしと亡きステラ様の面影を重ねている?
いや、いや、まさか……ね。
だって、ステラ様とわたしじゃ、似ても似つかないよ?
それに――幼少期のテオ殿下。
さらさら艶々の金色の髪。ふっくらとした赤い唇。桃色の頬。賢そうな灰色の瞳。
くりっとした瞳は、そういわれると面影が残っている……ような気もする。
不安そうな眼差しは気になるけど。
それが……どうしてああなったの?
なぜ、そのまま成長しないの!?
「ステラ様は……お美しい方だったのですね……。テオ殿下も、とてもお可愛らしい。今でも面影があるというか、ないというか……」
言葉に詰まってしまった。
根が素直な性格なので仕方がない。
ノア様はくすりと微笑んだ、ような気がした。
「セオドア殿下はステラ様をお守りしたかったのです。しかし、幼い殿下にはその術がなかった。ステラ様が亡くなられてから……。それからです。セオドア殿下が身体を鍛え、剣を学び、鍛練を始めたのは。今では近衛護衛騎士団の中でもセオドア殿下にかなう者はほとんどおりません。臣下にもとても慕われていて、素晴らしい方です。……どうか、お幸せになっていただきたい」
ノア様の瞳は潤んでいるようだった。
「……」
あのマッチョ体形には、そういう事情があったのか……。
そのあと、公務から戻ってきたテオ殿下と執務室でお茶を飲んだ。
テオ殿下は一緒に衣装を決められなかったことを、しきりに申し訳ないと謝ってくれた。
「お仕事だったのですから。気になさらないでください。次回でも大丈夫ですから」
「優しいのですね。ところで……先ほど兄上に遭われたと聞きました。その……なにかルナに失礼なことを……?」
「大丈夫です。特になにもありませんでした」
心配することはありません。と、微笑んでみせる。
テオ殿下は少しだけ眉を下げた。
ルドア第二王子殿下が失礼だったのはテオ殿下に対してだ。
それに、ルドア第二王子殿下たちのような態度には慣れている。
弱小子爵家の娘は、それなりに世間に揉まれているのである。
それよりも……。
ちらりと肖像画に目を遣る。
……心の中に、なんだか、もやもやとした正体不明の気持ちがあった。
▲▽▲▽▲
「ねえ、お父様。テオ殿下のお母様、ステラ第三妃様のこと、なにか知ってる?」
夕食の席で尋ねると、お父様とお母様のナイフとフォークを持つ手がぴたりと止まった。
「ルナ。……どうしたのだ。今日、王宮でなにかあったのか?」
「なにもないけど……。ステラ様とテオ殿下の肖像画を見たの。……わたしって、ステラ様と似てるのかな?」
「ルナが? ううん。背格好は同じような……。いや、いや……やっぱり似てはいないな。ステラ様は……なんというか、どことなく浮世離れした雰囲気のある美しいお方だった」
お父様が思い出すように目を閉じると、お母様が冷めた視線を向けた。
「似ているなんて、なぜそう思ったの?」
「……ううん。やっぱり、なんでもない」
お父様とお母様が目配せをして、頷き合う。
「ええと、その、なにか……噂でも聞いたのか?」
噂?
「なにそれ?」
「いや……。聞いていないのならいい」
「そこまで言ったら気になるよ。なに?」
お父様は余計なことを言ってしまったというように、気まずそうに咳払いをした。
「……ステラ様がお亡くなりになったときに、暗殺されたのでは、という噂が流れてな」
暗殺!? そんな物騒な!
「ステラ様は第三妃様だったが、陛下に寵愛されていた。それをよしとしなかった第二妃様側の息のかかった手の者に、馬車に細工をされたのではないかと……」
「でもね……証拠はなにもなかったの。結局、不運な事故として葬儀が執り行われたわ」
「ステラ様の出身は男爵家だった。忘れ形見であるセオドア殿下の後見としてはあまりにも弱かった。だからセオドア殿下を守るために、陛下は早くから、いずれは臣下に下ることを公表されたのだ」
そうだったの……。
テオ殿下とルドア第二王子殿下の間にある溝は、かなり深いのかもしれない。




