【31】 それぞれの事情
「ルナ!」
「マリエル! オーギュスト!」
大扉を越えて避難をする人々。その騒めく列の中から、慌てふためいて飛び出してきたのはお父様とお母様、クロス男爵夫妻だった。
「お父様! お母様!」
「父上! 母上!」
「ルナ! 大丈夫か!? どこも怪我してないか!?」
いつもはわりとのんびりなお父様なのに、早口でまくし立てる。
「わたしは大丈夫よ。お父様とお母様は?」
「私たちも大丈夫だ」
お母様に肩や背中をさすられながら、心配そうに「本当にどこも、なんともないわね?」と念を押される。「うん」と肯くと、お母様はやっと、ほっとしたように笑った。お父様の強ばっていた表情も弛む。
マリエルとオーギュスト様たちも、クロス男爵夫妻とだいたい同じようなやり取りをしていた。
「会えてよかった。ルナ。一緒に行くぞ」
「さあ、急いで。行きましょう」
お母様が手をとる。細かく震えているのはきっと、この状況のせい。
きゅっと握り返してから。だけど、その手をやんわりと外した。
ごめんね。
「ルナ?」
「わたしは……行かないわ。お父様たちだけで避難して」
「なぜだ?」
「どうして?」
「だって、テオ殿下が……まだ、いらっしゃるから」
「……」
「……ルナ。テオ殿下はもう……」
お父様は無言。お母様は言いにくそうに口をつぐんだ。
そして、ふと、目を留める。
「……ルナ。あちらの方は……もしかして?」
お母様の視線の先には、遠巻きにこちらを眺めていた、晴天の冬の空の色を纏うドレス姿のノア様がいた。
剣はどこから出したのかと思っていたけど、どうやらスカートの中からみたい。
「そうなの。お母様も気がついて……」
いたの? と訊く途中で、お母様はノア様に向かってつかつかと歩き出す。
「お母様? ちょっと……」
どうしたの?
そのままノア様の前に立つ、と。
足を後ろにひき、丁寧に礼をした。
「お初にお目にかかります。私、セオドア殿下の婚約者、ルナ・フィリップスの母にございます」
そしていきなり自己紹介。なんで?
それに、お母様の声は硬くて……ちょっと怖いよ。
「ご丁寧にありがとうございます。でも、私は……」
にこやかに微笑んで礼を返すノア様。
「ルナは多少、夢見がちなところがございます」
お母様はノア様を見上げると、ノア様の言葉を遮った。そりゃあもう、ぴしゃりと。まるで、聞く耳はもちません! と、ばかりに。
ちょっと待って……イヤな予感がするというか、イヤな予感しかしないというか……。
「しかしながら、親の私から申し上げるのもなんですが、根は素直ないい子なのです。……それなのにっ!」
「お母様っ!?」
「リナリー!?」
なにを言うつもりなのか分からないお母様を、お父様と慌てて止めに入る、も……遅かった。
「婚約者がいる殿方と恋仲になって娘を悲しませるなんて! いくらご自分の美貌に自信がおありになるからってっ……むぐぐっ!?」
お父様はお母様を後ろから抱えて、頭の後ろから手を回して口を塞いだ。
お母様は口をもごもごとさせながら、それでもまだ、なにかを言おうとしていた。
うん。解ってる……。解ってるよ。娘のためにしてくれたんだよね。
でもね、それ、ものすっごい勘違いだから!
「申し訳ありません! 失礼なことを申し上げて」
ノア様に頭を下げるそばから、「ルナ! 謝る必要なんてっ……むがっ!」と、お父様の手をどうにかして外したお母様が口を出し、その途中でまた口を塞がれた。
なにやら騒がしい様子に、「どうしたの?」と、マリエルたちも寄ってくる。
「いいのですよ。なにか勘違いをされている様子ですが。ルナ様思いの、とてもいいお母様ですよね」
ふわりと微笑んだノア様。
ううっ。優しい。その上に……本当に美しい。
そのとき――。
ノア様は長い金色の髪の毛を無造作に勢いよく引っ張った。ずるりと、金色の髪の毛が頭から剥がされる。
金髪の鬘が外れると、頭の下のほうに一つに結った艶々しい黒髪が現れた。
「これですっきりとしました」
乱れた前髪をかきあげて、軽く頭を振る。
「申し訳ないですが、持っていていただけますか?」
金色の髪の鬘を無造作にぽいと、マリエルに放った。
「わ、わ、わ、わ」
あたふたとしながらも、マリエルはそれをとっさに両手で受けとる。
「もがっ!? ……もがもが?」
お母様はよほど驚いたのだろう。口を塞がれたまま、なにかを叫んだ。
お父様が目を瞠く。
オーギュスト様も心なしか、ちょっと固まってる?
クロス男爵夫妻は驚いたように、お互いに顔を見合わせた。
唇を愉快そうに少し上げたノア様は、ドレスを左右に素早く引きちぎった。
真っ二つにきれいに裂けたドレスの下からは、黒と白の近衛護衛騎士団の軍服が現れる。
サーカスで行われる、早替えのショーのように鮮やかだった。
お化粧はそのまま。だけど……黒髪にもとっても似合うっ!
軍服姿だと歌劇に登場する男装の麗人みたい。
この状況を忘れて、思わずまた見惚れてしまうところだった。……あぶない、あぶない。
「さあ、ルナ様、皆さまも参りましょう」
マリエルとわたしを除いてはあっけに取られているお父様たちに、にこりと微笑む。
そして、左手を差し出すノア様。
だけど。
「わたしは……行きません。テオ殿下がまだ……」
ここにいても、テオ殿下の役には立たないけど。
でも。
「ルナ様。お気持ちはわかりますが。セオドア殿下はもう、ここにはいらっしゃらないと思います。壇上の裏には、緊急時に使われる通路がありますので。陛下をお護りして、すでに会場からは脱出されたのではないか、と」
そうなの?
静かな青い瞳でノア様は深く肯く。
「おそらくは。すでに王太子派の近衛護衛騎士団が動いているはずです。セオドア殿下はルドア殿下派の討伐の指揮を執ることになっていますので」
なって、いる?
「ルナ、行こう」
マリエルが金髪の鬘を首に巻いて、腕を引いた。




