【19】 マリエル・クロス男爵令嬢
朝から穏やかに晴れていた冬日和はとっくに暮れて、空には夜の紺色の帳が下りようとしていた。
遠くに見える山の端だけが、朱色の線を引いたように染まっている。半分になった月は空の下で白く輝っていた。
石畳の道をガス燈が照らしている。
駅前の広場には馬車のほかにも、蒸気自動車が二台、停められていた。
昼の間に晴れていた分だけ、暮れてからの空気の冷たさが沁みる。
手袋をしていても指先が冷える。
両手を擦り合わせて暖めていると、ノア様は自分が巻いていたストールを外した。ふわりとコートの上から掛けてくれる。
「ノア様……」
「大丈夫ですよ。野営で慣れております」
言い終わらないうちに、にこりと微笑まれる。
いいのかな……。
「ありがとうございます」
ノア様は軽く肯く。
女心は全然解ってないけど、基本的に優しい人なんだよね。
それにしても、近衛護衛騎士団。
野営訓練とかもしてるんだ。
汽車の到着時刻に合わせて、ノア様と一緒にマリエルを迎えにきていた。
サリファ王国の東の端、クロス男爵領から王都までは、汽車に揺られること半日。男爵領を早朝に出発し、王都に到着するのは夕方。ちょっとした旅行気分を味わうことができる。
マリエルを乗せた汽車は、予定では夕方五時にクイーンズ・ストレート駅四番ホームに到着するはずだった。
駅まで迎えに行くことは、クロス男爵夫妻から許可をもらっていた。
一刻でも早くマリエルに会いたい。
フィリップス子爵邸とクロス男爵家のタウンハウスは近いから、そのまま送って行くこともできるし。
そのことをノア様に手紙で伝えると、すぐに返事が返ってきた。
「私たちもお供をさせていただきます」と。
「私たち」。
ノア様以外の近衛護衛騎士の方々を、未だに周辺では見かけていない。
近衛護衛騎士団。
やっぱり、謎すぎる。
駅の構内には、暖かそうなオレンジ色のガス燈が灯されていた。
予定の時刻を若干、というか、それなりに過ぎた頃。
低くて重い汽笛を鳴らし、灰色の煙を大量に吐き出しながら、蒸気機関車はホームへと滑るように入ってきた。
アナウンスが到着を告げる。
汽車が停まり乗降口が開かれると、旅を終えた人々と、これから乗り込む人々とがホームで交じり合った。
今から乗車をするのは、王都に働きに出てきている近郊の人々。その中でも大きな荷物を抱えている者たちは、年の終わりと始まりを故郷で過ごすために、帰省するのだろう。
年の終わりが近づき、慌ただしい雰囲気が漂っていた。
その人混みの中にマリエルを探す。
ノア様はマリエルを知らない。簡単に『髪色はピンクブロンドです』と、伝えていた。
ピンクブロンドの髪はかなり珍しい。
特徴を伝えるときに、これを答えさえすればマリエルに辿り着く。はずなんだけど。
なにしろ……人が多すぎる。
マリエルを見つけるのは大変そう。
きょろきょろと首をめぐらせていると。
「ルナ様……あそこでは?」
先頭から3番目の車両。ノア様は乗降口付近を指した。
んん?
目を凝らす。
人垣の間からピンクブロンドの髪の毛が、ぴょこぴょこと上に跳ねているのがちらりと見える。
「マリエル! ここよ!」
わたしの居場所を知らせるために大きく手を振ると、人の波に右に左に流されつつも、ぴょこぴょこと跳ねる髪の毛が、だんだんとこちらに近づいてくるのがわかった。
人垣を分けて、大きな旅行鞄を引き摺ったマリエルがひょっこりと姿を現す。
「ルナ、会いたかった!」
顔を見るなり飛びついてきた。
「わたしもよ!」
ふんわりとしたピンクブロンドの髪。
顔は小さく、はっきりとした二重瞼の緑色の瞳は、見つめると強い印象を与える。
背は低い。身体は細くすらりとしている。
小動物に例えるなら、きりっとしたリスというところ。
マリエルの大きな鞄を、ノア様はさりげなく受け取った。
「あら、ありがとうございます」
「いいえ。どういたしまして」
青い瞳を細めて、唇を少し上げる。
必殺。麗しの微笑みだ。
この微笑みを向けられたご令嬢たちは、頬を赤らめて恥ずかし気に下を向いてしまう。
以前はわたしもそうだった。その気持ちは痛いほどによくわかる。
でも。
マリエルだけは例外。なのだ。
なにしろこのマリエル・クロス男爵令嬢。
興味があることといえば、商売と商品開発。
趣味はお金儲け……なのだから。
(マリエル曰く『あら、当たり前じゃない。うちみたいな男爵家が生き残ろうと思ったら、経済力にものを言わせなくちゃ! その点、アーバン子爵は尊敬するわ。クリスタは大っ嫌いだけど』)
ノア様を改めて紹介するも、マリエルはぽっと頬を赤らめることもなく、ましてや気恥ずかしそうにうつむくなんて素振りも、まったく見せなかった。
うん。ブレない。
安定の残念令嬢っぷりは、なにも変わってはいない。
久しぶりでも、マリエルは、やっぱりマリエルだ。
彼女は、王都での夜会にはほとんど参加をすることはなく、領地に引きこもっている。
学院を卒業して以来、タウンハウスを訪れることは年に二、三回あればいい方だった。
だけど、今年はついに一回もタウンハウスを訪れてはいない。つまりは、昨年の舞踏会に参加するために王都に出てきたのが最後。一年ぶりの再会だった。




