月を待つ雨夜の宿りに。
高校生の雨野静雫には、好きな人がいる。
人見知りで臆病だった幼い自分の手を引いてくれた太陽みたいな少年、野坂秀哉。
幼い頃から今に至るまで彼との友人関係を続けてこられた静雫は、それでもまるで幼い頃のように彼に構い続けるのだが。
「普通に野坂のジャマになってるよね」
ある日ぶつけられた言葉を境に、静雫の心と日常が大きく揺さぶられて、──そして。
そろそろ秋めいてくる涼しい夕方。
窓を叩く雨が、徐々に頭を鈍らせていく。
そのせいだ、きっと。
だって、だって。
今ぼくの上に覆い被さっているのは、ずっと好きだった秀ちゃん──野坂秀哉くんじゃなくて、山上浩二くん──ぼくにとっても秀ちゃんにとっても仲のいい友達で、それ以上なんて絶対ないと思ってた人で。
こんな風になることなんて、想像もしたことがなくて。
だけど、でも。
「いいんだな、静雫……?」
山上くんの熱っぽい眼差しに、言葉に、余裕のなさそうな声に。
ぼくは、思わず喉を鳴らしながら頷いてしまう。
きっと、これは雨のせいだ。
冷えたぼくを温めてくれたのが山上くんだったから。雨音がぼくの頭を鈍らせるから──そんな、自分でも馬鹿馬鹿しいくらいの薄い理由を並べ立てながら、ぼくは山上くんのキスに応じる。
「俺は絶対、静雫を泣かせないから」
「……うん」
何となく、夢の中にいるみたいだ。
いい夢なのか悪い夢なのかは、まだわからないけど。
ごめんね、秀ちゃん。
届くはずのない無意味な言葉を、心のなかでそっと呟いて。
山上くんの熱っぽく大きな体を抱き返した。
* * * * * * *
『どうしたの、そんなところで?』
最初の出会いは、ひょっとしたら些細なものだったかも知れないけど。
『そんなとこじゃつまんないからさ、おれとあそぼう!』
それでも、ぼくにはきっとこの先も一生忘れられないもので。
隅っこでじっと背中を丸めているだけだったぼくの手を引いてくれて、楽しいことをたくさん教えてくれて。
ぼくは、秀ちゃんの友達になった。
小さい頃から、秀ちゃんはすごくキラキラした人で。
眩しくて、明るくて、太陽みたいに思える人だった。
特に、好きなものを見ているときの目は本当に見とれるくらいに輝くから──いつからだろう、その輝きがぼくに向いてくれればいいのに、なんて思うようになって。
だから。
「おい静雫、あんまくっつくなよ! 教室で女とベタベタしてんのとか変に目立つし、……目立つだろ」
「えぇ~、秀ちゃんがぼくをこんな風にしたんだよ? 昔はもっとくっついてたって文句なんて言わなかったくせに~」
「うるせぇってお前ほんと言い方っ……、ちょっ、助けろ浩二!」
「んなこと言って~、秀哉だって別に嫌じゃないんだろ? 照れてるだけ照れてるだけ」
「そーそー、山上くんナイスアシスト! 目立たなきゃイヤじゃないんでしょ?」
「四面楚歌かよ!?」
ぼくこと雨野静雫と秀ちゃんと、あと高校に入ってから知り合った、秀ちゃんの大親友な山上くんと。
3人で過ごす毎日は、本当にもう最高って感じで。
──うわ、入り浸ってる入り浸ってる。男好きすぎでしょ
──無邪気ぶってんのがキツいわ~
──野坂たちも追い返せばいいのに、あれ絶対鬱陶しいって
──体使って気ぃ引いてる感じ、彼氏のそばにいてほしくない女子ってやつ?
「…………、」
ままならないこともある毎日だけど、ぼくには秀ちゃんたちがいれば満、満、満足!
「えへへー」
「……ったく、ホント子供んときと全然変わんねぇな」
「変わらず、秀ちゃんのことが大好きだよー」
「へいへい、言ってろ言ってろ」
敢えてぶっきらぼうな態度で答えてくる秀ちゃんに頬を弛ませながら、ぼくは今日も、そして明日も、きっと明後日も──大好きな人たちとの毎日を過ごしていくんだ。
そんな風に、ずっと信じ込んでいた。
でも、そんなのただの独りよがりな思い込みに過ぎなくて。
だから、壊れるときには信じられないくらい簡単に壊れて。
「ウチさ、野坂に告ろうと思うんだけどね」
「……え?」
それは、夏休みが明けてすぐの、確か時間帯は放課後。
席替えで後ろの席になった神崎さんからそう言われたとき、ぼくは頭が真っ白になったように感じて。
咄嗟に何も言えなかった。
きっと、そのせいで。
次の言葉を許した。
「なんかさ、男セパの合宿試合の配信観たのね。そんときの野坂って凄かったっていうか……。なんか教室であんたに絡まれてるときと全然違ってて、キラキラしてたっていうか」
「──────」
キラキラ。
それは、ぼくが秀ちゃんに感じていたものと一緒で。
神崎さんの目は、彼女の本気を如実に物語っていて。
「てか前から思ってたけどさ、雨野さんって普通に野坂のジャマになってるよね」
「──え」
少し揺らいだ気持ちに、彼女の言葉が突き刺さった。
「雨野さんがダル絡みしてるとこ見てるとさ、『あー、野坂はあーゆー女で喜ぶ男なんだな』って見えるワケ。あんたって身長と仕草だけは子供っぽいじゃん? だから余計にね、男媚びが上手そうに見えるっての?」
「こ、媚び……」
「あんたの男媚びの話じゃないからね、今。んで、そんなやつを邪険にしない野坂の印象もぶっちゃけ悪かったわけ。あいつがあんなに輝くやつなんだとかウチは男セパの合宿見るまで知らなかったし……たぶん、みんなも知らない。それが、ウチはけっこう悔しい」
神崎さんの目が、はっきりとぼくに向けられる。間違いなく、秀ちゃんのために怒っている目だった──思わずたじろいでしまうくらい、まっすぐに。
「雨野さんもよく言ってるよね、『秀ちゃんキラキラしてて好き~♡』って? だったらさ、そんな『秀ちゃん』のキラキラをあんた自身が汚してんのはどう思ってんの?」
「……ぁ、えっ、と……あの、」
汚してるつもりなんてなかった。
だけど、そうなの?
ぼく、秀ちゃんの邪魔してたの?
昔よりちょっとぶっきらぼうになった受け答えとか。
抱きつくと振りほどいたり引き剥がそうとされることとか。
一緒に帰ろうとしてもセパタクロー部の人たちを優先されることとか。
女セパ──女子セパタクロー部の子たちと話してるときの顔が、なんとなくリラックスして見えることとか。
日頃からちょっとずつ積み重なってた──そうだって気付くことすら怖かった物事が、だんだん心を埋め尽くしていって。
気付いたら、ぼくは何も言えなくなって。
「ま、別に。最終的には雨野さん次第なんだけどさ。……少なくともウチの告白は、邪魔しないでよね。てか男ならもうひとりいるんだから、そっちにすればいいじゃん」
酷い言葉だけ投げつけて、その場で立ち尽くすばかりのぼくを置いて先に帰る神崎さんの背中に、言いたいことは山ほどあったはずなのに、何も言えないまま。
怖くなるくらい赤い夕陽から、目を背けることしかできなかった。
それから数日、ぼくは気が気じゃなかった。
神崎さんの告白もそうだけど、ぼくが秀ちゃんの邪魔になっちゃってるんじゃないかっていうこと。
気付けばチラチラと秀ちゃんの顔を覗き見てばかりになってしまって。
「おいどうしたよ静雫?」
「え、なに……山上くん? なんでもないよ?」
「そうか? ……わかんないけど、何かあったら言ってくれよ。秀哉が気まずいなら、俺でも全然話聞くから」
「そう……、ありがとね」
こんな風に山上くんに心配されてばかり。
秀ちゃんはというと、夏休み中の活躍で一躍クラスのスターになったみたいで、みんなから話しかけられている。
そうそう、セパタクローの話をしてる秀ちゃんってすごい楽しそうなんだよね。ぼくはルールとかわかんなくて相槌しかできないから、満足に話せてなさそうな気もするけど……、──っ!
『野坂のジャマになってるよね』
神崎さんの言葉が、甦ってくる。
どうしよう……頭がクラクラして、息が苦しくなって、目の前がチカチカして……どうしよう、どうしよう……!
──おい、大丈夫か静雫、おい!?
山上くんの声が、水の向こうみたく遠くに聞こえて、クラスのざわざわがその遠い音に加わって。────ああ。
なんか、わかった気がする。
ぼくは確かに、期待した。
秀ちゃんも、セパタクローの話をやめてこっちを見てくれないかな、って、期待した。
ああ、邪魔って、……確かに、そういう、
「ねえ野坂。ちょっといい?」
ちょうど彼女の言葉について考えていたからか。それともよっぽど気合いを入れて、ぼんやりした音なんて突き抜けるくらいの声だったからか。
神崎さんが秀ちゃんを呼ぶ声が、はっきりと聞こえた。





