不変的な二次方程式
メイドに淡い恋心を抱いた少年がいた。彼は毎日の様に「お嫁さんになって」と告げる。
だが、年の離れたメイドは幼子の言う事と。
伯爵家の跡取りの彼への気持ちは親愛と感じる。
そして、二人の道は別れた。
――――――――果たして、二人の想いは
純愛ラブストーリー
貴方の一時を私に下さる事を願います。どうぞお楽しみあれ。
「ジェ」
愛称で私の名前を呼ぶ。
坊ちゃまは、まだ五歳で歩く足はしっかりしているものの、フルネームは言いにくいらしく、可愛い声で着けてくれた。金髪の巻き毛はふわふわで、緑の大きな瞳がパチリと、瞬く。
ジェーンセルリア・ユーセルド、それが私の名前。二十五になったばかり、である。派手な顔立ち、出で立ちでは無い私。髪を長く伸ばし、後ろできっちり纏めていた。
古くから栄えて来た伯爵家のメイドを勤めさせて頂いてる。
仕事は坊ちゃま、伯爵家の跡取りの彼。
リカルド・ライアン様のお世話。
最初、面接で聞かされた時は不安だった。
子どもは嫌いでは無いが、あまり接した事等無かったから。
でも、何故か合格し初対面の時名乗った私に。
「ジェー………いたっ」
どうやら、舌を噛んだらしい坊ちゃまに慌てて駆け寄り、しゃがみ込み。
「見せて頂けますか?お口開いて」
あーん、と素直に口を開ける彼が、可愛く私の目に映る。
「?」
動きが止まった私の頭を小さな手で、撫でてくれたのは。
今でも忘れない。
「ジェ、これ読んで」
「お好きですね…この絵本」
そこには、お姫様と騎士が描かれている。
ソファーに座り、横に並ぶ坊ちゃまは、私の声に耳を傾けた。
「ある時お姫様は言いました。私は貴方しかいません」
気付けば、坊ちゃまは私の膝の上に頭を預け、微かな寝息を立てていて。
そっと、その髪を撫で。
「お休みなさいませ、坊ちゃま」
と、そのまま絵本を閉じた。
◇◇◇
「ジェーンは働き者ですね」
「いえ、まだまだです。メイド長」
メイド控室にて、休憩を取る。
テーブルには芳醇な香りの紅茶とクッキーがあり。伯爵様のご好意に感謝する。
「でも、ご実家は大丈夫ですか?」
「今は母が仕立て屋をやっておりますので」
「ご年配と聞きましたが」
ええ、まぁと返事をする。
母はもう六十近く。まだ元気だよ、と笑顔で送り出してくれたのは、一年前だった。
父は流行り病で既にいない。私には母だけ。
次の休暇には顔を見に帰ろうと、心に決めた。
「ジェ、僕探した」
聞き覚えのある声に、顔を向けると。
そこには坊ちゃまがドアを開け、此方を見ていて。
「ジェ、駄目」
と、たたたっと走ってきて、長いメイド服のスカートに掴まる。
「傍いて」
「どこにもいきません。ずっと坊ちゃまのお傍にいますから」
そう、告げると。
花が咲いた様なお顔が満面の笑顔に変わり。
「ジェすき」
と、愛らしい彼にメイド長と私は微笑んでいた。
◇◇◇
あれから三回冬を越し、時の流れは早いと春の空を見上げる。
坊ちゃまは八歳。背丈も伸び、成長なされた。
「ジェ、庭に行こう」
もう言える筈なのに、変わらず私の愛称。
彼が着けてくれた、たった一つ私だけの…………宝物。
「はい、坊ちゃま」
「そろそろ、その坊ちゃま止めてよ」
「ですが………」
「名前」
「え………」
「名前で呼んで、僕聞きたい」
中庭には多種多様な薔薇が見事に咲き誇り、風がそっとそれらと私達の服を揺らす。
少しの間の沈黙。
「リカルド……坊ちゃま」
「坊ちゃまいらない」
少し拗ねた様な表情、愛らしい頬がぷくーっと膨らんでいて。私は少し笑ってしまった。
「今笑ったね?」
「申し訳ありません」
「…………許してもいいけど、お願い聞いてくれる?」
「何なりと」
他ならない、坊ちゃま…リカルド様のお願いなら。私に出来る事なら何でも。
次の言葉に一瞬驚く。
「ジェ、僕のお嫁さんになって」
「………リカルド様」
これは、きっと親しい者に対する感情。恋では無い。
少しだけ微笑み。
「…………お天気いいですね、ほら風が気持ちいい」
複雑そうな、リカルド様の顔を見つめながら、お願いには答えず。
そう呟く様に言った。
◇◇◇
あれから、何度もリカルド様は。
「僕はキミをお嫁さんにする」
「大人になったら結婚しよう」
「キミだけが好きなんだ」
嬉しく思わない筈が無い。でも、リカルド様はまだ幼い。愛と親愛は違う。
だから、私は微笑むだけ。
ほんの少しの寂しさを含んで。
彼の成長をずっとお傍で見守ってきた。それは私の誇り、何より大事な自慢の………私の坊ちゃま。
私の感情は弟に向ける様な物で。それは初めてお会いした、あの日から変わらないのだから。
◇◇◇
何度も季節は変わり、移ろう。
リカルド様の年齢が十を超える、その年。
母が倒れた、と手紙が舞い込んだ。
たった一人の大切な家族。
伯爵様と奥方様、そしてメイド長には既にお話してある。
散々お世話になっておいて、辞める。
それは申し訳なさと、一抹の寂しさを伴い。
胸の奥に小さな棘となった。
何より、これからリカルド様にもご説明しなければならない。それが一番辛い。
―――――――私の坊ちゃま。
軽く頭を振り、キッと前を向き長い廊下を歩く。
大きな御屋敷だが、それ程長くは無い筈なのに、長い時間が過ぎていく様で。足元のメイド服が私の動きに合わせ揺れた。
漸く、リカルド様のお部屋前に立ち。
一回大きく息を吸い吐いた。
コンコン、と二回ノックする。それはリカルド様と私の合図。
カチャリとドアが開く。
「ジェ」
「少しお時間を頂けませんか?」
「…………それ、ジェがここ辞めるって話だろ」
また、ズキリと今度は頭が痛む。
「はい、私の母は老い……多分もう長くは無いでしょう」
ですから
「父が遺してくれた店は私にしか継ぐ者はいません」
「ジェは僕とお別れになってもいいのっ!」
「お別れではありません、貴方様を忘れる事は決してございません」
私の心はずっと、お傍に控えておりますよ。
そう伝える、と。
リカルド様は、たった一言。
「分かった」
と、だけぶっきらぼうにそうお答えなされた。
◇◇◇
「今日も良い天気」
洗濯物が風に吹かれ、ふわりと波を作る。
街外れにある、一軒の小さな仕立て屋には生活スペースがあり。私は一人そこに住んでいた。
御屋敷を辞め、何度か知り合いや馴染みとなった方々から縁談のお話があった。
でも、そんな気にはなれなくて。全部お断りし続け。
私はもう、四十になる。
「リカルド様はお元気でしょうか」
私の中のリカルド様は、あの時のお姿の儘。忘れた事等無かった大事な大事な私の坊ちゃま。
「あ、いけない…お店開けないと」
裏口から回り、店舗のドアの鍵を開け。開店の文字が書かれたプレートをひっくり返す、と。
一台の馬車が店の前の小道に停まった。
上品な造りのそれは珍しく、私の店に訪れたとは、とても思えない。
少しの間、馬車を見つめる。
ガチャと扉が開き、どこか見覚えがある品のある青年が降りてきて。
金髪の巻き毛は変わり、ストレート。
優しげな瞳は記憶の儘。翡翠の様で。
「ジェ」
懐かしくも痛みを伴う名前、それが意味する物は―――――――。
「迎えに来たよ、僕の愛しいキミ」
ああ、私は。
漸く分かった、気付いた。
本当は。
言い訳をして、幼いからと自分に言い聞かせてきた。
私はこの方を好きなのだと。
愛しているのだと。
涙が一雫頬を伝う。それは堰を切ったように止まらなく、私はその場に泣き崩れた。
慌てて駆け寄るリカルド様。
手を伸ばし、あの時と同じ様に笑う成長し、逞しくなられたお顔とお身体。
手を差し伸べ、私のそれと重なり。
「ジェ、愛している」
だから
「僕と行こう」
もう、僕は跡取りじゃない。
「周囲は説得したよ、今は僕が当主だ」
ね、僕のお嫁さん。
風が吹く、それは優しげに。
周囲の木々の葉を揺らし、謳う。
そして、二人にもそれは
舞い降り、た。





