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星の聖女は、あなたが大人になるのを待っている

星々を渡り、古き人の血を集める役目を負うセラフィム。ある王国で、失われた人類の血脈を受け継ぐ子どもたちを見つける。血を託せる年齢になるまで、彼女は天の舟から見守ることにした。かつて自分が手放した未来と、まだ見ぬ人々への愛を胸に。

 星の朝は、赤く輝いていた。

 雲の海から陽が昇ると、朝焼けが、王都の尖塔を金色に染める。城壁の内側では鐘が鳴り、石畳の通りに人々が現れる。パン焼き窯から白い煙が上がり、川沿いの畑では、農夫たちが今日の仕事を始めていた。

 そんな様子を私は、今日も天の舟から見下ろしている。

 この星を巡るようになって、もう三度目の春だ。

「キャンディーを確認しました」

 舟の声が告げる。

 名前ではない。候補者(キャンディデイト)のことだ。彼なりのユーモアなのだろう。

 私は手元の水晶板に指を添えた。そこには、町のはずれを歩く二人の子どもが映っている。背の高い少年と、その手を引いて走る少女。少女が石につまずいた。膝小僧に赤い擦り傷ができ、血がにじんでいる。少年はすぐに立ち止まり、膝についた土を払ってやる。

 さっそく私の使役する羽虫ほどのアンジェロスが、彼女の膝にそっと触れ傷口から血をひとしずく採取する。

 それを少年が手でさっと追い払い、彼女の膝に布を巻いた。


 少女は泣かなかった。兄の手を振りほどくと、今度は自分から駆け出した。少年は困ったように笑い、その後を追っていく。

「確認しました。間違いなく、始祖の血を濃く受け継いでいます」

「そろそろかなぁ?」

「いいえ。まだ二人とも幼体です。血の記憶が定まるには、少なくとも、あと6年を要するでしょう」

「6年かぁ。しかたない。待つわ」

 舟は、しばし沈黙した。

 何百年、何千年と星々を渡る私にとって、6年など短い。旅の誤差と言ってもいいほどだ。

 けれど、かつて人間だったころの私には、6年は長い時間だった。

 白い病室。窓辺の椅子。私の手を握る、ひとりの男。

『手術が終わったら、また一緒に暮らそう』

 彼の声を、私は今も保存している。

 だが、その日の来ないことを、その時の私は知っていた。

 星々を渡るための身体を得る手術なのだ。それは私から人としての肉体を奪った。骨も、心臓も、肌も、すべてが作り替えられた。強い加速や減速に耐えられる身体、何千年、何万年と歳を取らず、遥か遠い星まで旅を続けられる身体。

 そして、私はセラフィムの名を得た。

 この身体では、恋をすることも、子どもを産むこともできない。

 そこに彼との生活の入る余地はない。

 私は彼を裏切って、遠い過去に置き去りにして、今、ここにいる。

 私と彼は、いつか子どもを迎えようと話していた。名前を考えたこともある。窓辺に小さな椅子を置き、庭の木が育つのを一緒に見ようと約束した。

 それでも私は、自分の使命を優先し、星々を巡る旅を選んだ。


 水晶板の中で、少年と少女が家の前にたどり着いたのが見えた。少女は兄に手を振り、扉の向こうへ消える。少年はしばらくその場に立っていたが、やがて隣家の老人に呼ばれて歩き出した。

 私は、二人の記録を読み返した。

 兄はシュラウド。妹はアーク。

 遺伝の記録に必要なのは、次代に血を伝えるための細胞だけだ。彼らがどのように笑うのか、転んだ妹の膝を兄がどんな手つきで払うのかは、記録する必要がない。

 そう分かっているのに、私は映像を消せなかった。

 翌日も、二人を見た。

 町の子どもたちと川で遊ぶ姿。市場で母親の荷物を持つ姿。シュラウドがアークの髪を結ぼうとして、何度も失敗する姿。アークが怒って兄を追いかけ、最後には二人そろって笑い出す姿。

 日々の暮らしは、どれも小さく、どれも同じように見えた。

 その小さな日々を、人は人生と呼ぶのだろう。

「記録対象に不要な情報が増えています」

「そうね」

「整理しますか」

「いいえ! お願い。このまま残させて」

 ――あの子たちは、私の、いいえ、私と彼の子どもでもあるの。

 私は、二人が大人になるまで、ここにいる。

 天の舟から降りることはできない。私が近づけば、町の人々は驚き、恐れるだろう。彼らの歴史に、私が入り込んではいけない。血を託す儀式も、私の使役するアンジェロスたちに任せることになる。

 だから私は、見守る。

 雨の夜には、町の屋根が無事かを確かめる。冬が来れば、二人が暖かな家にいることを確かめる。熱を出した子どもたちの寝顔を見て、医師が訪れるのを待つ。私は何もできないまま、ただ、見ている。

 かつて私は、ひとりの子どもを抱く未来を手放した。

 それを、後悔していないと言えば嘘になる。

 けれど、私が手放した未来の向こうには、まだ生まれていない子どもたちがいる。知らない星で、知らない言葉を話しながら、誰かの手を握る子どもたちがいる。

 私は、そのすべてを愛したいと思った。

 そんな気持ちは、機械の胸には不要なものだと、舟は言うかもしれない。


 かつて人間たちは、難病を克服するために、遺伝子をデザインし直すことに熱心だった。

 その成果は目覚ましく、人間たちは数々の根治不能と思われた病気を退けてきた。

 しかし、行き過ぎたリデザインにより、強靭さを失って逆に脆くもなった。

 多様性を失い、流行病が共通の弱点を突くようになった。

 そうして流行り病の度に、大量の死者を出すようになってしまった。

 いまや、神と悪魔の戦いは、悪魔が優勢だった。

 人間の住む星は、少しずつ滅びていた。

 古き人の血を集めること。それが、私に託された役目だった。

 だが、その使命は困難なものだった。


 病に倒れる星ばかりではなかった。人間は戦争を克服できなかった。戦で住む者すべてを失った星も多々あった。

 病や戦で人々の声が消えたあとの大地には、町や神殿や墓だけが残されていた。

 新しい種と交わり、元の人類とは違う姿に変わった星。

 特殊な環境から影響を受け、淘汰された末に新たな種として生き延びた星。

 そうした星々の人間ではダメなのだ。

 古き記憶を留める人間の住む星。

 再び、強靭な遺伝子を保持できるように。

 そして、人類が自分たちの姿を忘れてしまわぬように。どの星から来た者にも、帰るための道を残すために。


 手術のあと、彼は私が人の身体を失ったことを知った。

「セラ。本当は行かないでほしい。でも、君が守りたい人たちを見捨ててまで、僕のそばにいてほしいなんて言えないな」

 彼は、冷たい金属になった私の手を握った。彼の体温を感じられなくなった私にも、それでも彼が手を離さずにいることだけは伝わった。

 彼は、私を責めなかった。

 彼よりも星々を巡る旅を選んだ私を許してくれた。

『君は、遠くの誰かまで助けたいんだね』

 私は答えられなかった。

「ごめんなさい」

 私にはそれが精一杯だった。

 助けたいのは、ひとりではなかった。まだ出会っていない誰か。名も知らない子どもたち。彼らが暮らす町や、空を見上げる夜まで。人類と呼ばれるものすべてを、失いたくなかった。

 その願いは、彼を置いていく理由にはならなかった。

 けれど、私は置いていった。

 

 ある晩、アークが町外れの丘へ上った。

 空には月が浮かんでいた。彼女は、リュートを爪弾きながら、祖母から伝え聞いた「星の聖女」の叙事詩を歌っていた。星の上から人々を見守り、古き血を持つ者が大人になる日を待つ、誰にも会えない聖女の物語。それは、私より前にこの星を訪れたセラフィムがいた証だった。

 アークは月を見上げ、両手を口元に添えた。

「星の聖女さま。本当にそこにいるの? どうか、私たちを見守っていてね」

 声は届かないはずだった。

 だが、私はアンジェロスの力を借りて、その声を聞いている。

 返事の代わりに、舟の灯りを一度だけ瞬かせる。彼女にも、町の人にも、ただの星のまたたきにしか見えないだろう。

 彼女に気付いてほしいわけではない。ただ、私自身が返事をしたと思いたかったから。

 アークは、空に向かって手を振った。

 私は、彼女のそんな様子を記録した。

「ええ。あなたが大人になるまで、ずっと見守っているわ」

 その言葉は、彼女には届かない。


 だが、そんな私の静かな時間は、轟音と共に引き裂かれてしまった。

「そんな……」

 シュラウドとアークの住む町とは別の大陸ではあった。

 だが、その火山の噴火規模は、かつて私がどの町で見たものよりもすさまじかった。

 火山の近くに住む人々は恐らく助からない。

 だが、それだけでは済まないだろう。

 この星全体に計り知れない影響をもたらすことだろう。

 火山灰が空を覆い、作物や気候に影響するだろう。

 それ程の規模の噴火だった。


 私はこの星を巡り続ける。

 あなたたちが大人になるまで。

 そう信じていたのに。

 このまま見守るだけで良いのか。

 それは果たして、愛と呼べるのか。

 今や私は、決断と行動を迫られていた。

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