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第2章 事例No.49 聖火の黙示録──(昭和三十九年)

1.

昭和三十九年、四月。

東京は、十九年前の灰燼かいじんから奇跡の復活を遂げ、狂熱の中にあった。

高架を鋭く走り抜ける東海道新幹線、街を縫うように張り巡らされる首都高速道路。そして、半年後に控えた「東京オリンピック」へ向けて、国立競技場の建設が急ピッチで進んでいる。日本中が「戦後の終わり」を確信し、輝かしい未来へと突き進んでいた。

だが、その光が強ければ強いほど、街が落とす影はより深く、よりくらくなる。

新設された警視庁庁舎の地下深く。

一般の警察官の立ち入りが決して許されない「国家安全保証課(国安)」の執務室で、一人の男が苦い煙草の煙を吐き出していた。

三崎恒成、五十代。国安の責任者である。

彼のデスクの上には、一通の匿名書状が置かれていた。新聞紙の文字を切り貼りした、古典的だが不気味な脅迫状。

『聖なる火が灯る時、この国は滅びる』

「──悪戯いたずらにしては、少々手が込みすぎていますね」

そう言って、資料の束をデスクに置いたのは、公安畑出身の白石真澄だった。三十代半ばの彼は、整った容姿の裏に、徹底した合理主義と冷徹さを秘めている。

「神宮外苑周辺のインフラ工事現場、それから聖火リレーの予定ルート周辺で、不審な測量を行っているグループが確認されました。手口から見て、ただの学生運動の過激派ノンセクトではありません。もっと統率された、軍隊染みた動きです」

三崎は煙草を灰皿に揉み消し、古い引き出しの奥から、セピア色に変色した一冊のファイルを引っ張り出した。

表紙には『事例No.30』と擦れた文字で書かれている。

「白石。お前は『黄昏会』という名を聞いたことがあるか」

「……終戦直後に壊滅したはずの、国家転覆を目論んだ右翼の秘密結社ですか?」

「そうだ。十九年前、俺がまだ小僧だった頃、当時の国安の先輩たちが命を懸けて潰した亡霊どもだ。あの時、奴らの首領と共に、皇室の秘宝『アマテラスの鍵』が上野の地下に埋まった」

三崎の目が、鋭く細められる。

「だが、奴らの狂信的な思想は死んでいなかった。今回の狙いは五輪の妨害、いや──五輪の開会式に臨席される天皇陛下、そして内閣総理大臣だ。奴らは、総理が極秘裏に管理している第二の鍵、『スサノオ』の奪取を狙っている」

「第二の鍵……。明治の禁忌がいよいよ動き出す、ということですか」

白石の言葉に、部屋の扉が勢いよく開いた。

「三崎さん! ルートの解析が出ました!」

飛び込んできたのは、爆発物・工学専門の神林涼だ。油の匂いを漂わせた作業着姿の彼は、徹夜明けの目を輝かせながら、東京の最新インフラマップを広げた。

「敵の狙いは、単なる競技場の爆破じゃありません。聖火リレーが通過する『首都高速の地下インターチェンジ』、それと『国立競技場』を繋ぐ共同ドメインの爆破です。もしここに一発仕掛けられたら、五輪開会式の瞬間に、周辺の通信・電気・ガスがすべて文字通り『機能停止』します。世界中の衛星中継が見守る前で、日本は暗黒に包まれる」

「国際社会の目の前で、戦後復興の欺瞞を暴く、か」

三崎が呟いた。

「そんなこと、絶対にさせません」

最後に部屋に入ってきたのは、フィールド担当の若手、南雲俊だった。五輪の記念バッジを胸につけた彼は、この国安において、唯一「戦後の光」を純粋に信じている世代だった。

「僕たちの親の世代が、あの焼け野原からここまでこの国を立ち上がらせたんだ。オリンピックは、その血と汗の結晶だ。それを、過去の亡霊なんかに汚されてたまるか!」

熱くなる南雲を、白石が冷ややかな目で見つめる。

「熱くなるな、南雲。僕たちの任務は、正義の味方になることじゃない。国の体面と、歴史の裏の秘密を守ることだ。そのためには、どれほど泥に塗れても構わない。……それが国安だ」

「白石、お前──」

「そこまでにしろ」

三崎が二人を制するように手を挙げた。

「神林、爆破ポイントの特定を急げ。白石は過激派の思想ネットワークから、黄昏会の現首領の居場所を割り出せ。南雲、お前は現場に飛べ。潜入捜査だ」

三崎は立ち上がり、かつて昭和二十年に鷲尾朔太郎から受け継いだガバメントを懐に収めた。

「任務はただ一つ。聖火が何事もなく灯る未来を守る事。作戦開始だ」

「了解!」

高度経済成長の狂騒の裏側、東京五輪を半年後に控えた首都の闇で、第二の「国安事例」が、いま静かに幕を開けた。


2.

神宮外苑、国立競技場の建設現場。

巨大なクレーンが唸りを上げ、鉄骨が組み上がる金属音が響くその足元で、南雲俊は泥に塗れた作業着を身にまとい、ツルハシを握っていた。

「おい、新入り! 手を休めるな! 今日中にここの基礎を固めねえと、明日のコンクリート流し込みに間に合わねえぞ!」

「はい、すいません!」

南雲は荒々しい現場監督の声に快活に答えながらも、視線は常に周囲の作業員たちの動きを追っていた。

白石が急進思想グループの通信網から割り出した情報によれば、テロ組織「黄昏会」の工作員が、工事業者になりすまして現場の最深部──地下の「共同溝(ライフラインが集中する巨大トンネル)」に爆発物を運び込んでいる可能性が高い。

(この熱気、この活気の裏で、本当に国を滅ぼそうとしている奴らがいるのか……?)

南雲は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

現場で働く労働者たちはみな、貧しくとも「自分の手で新しい日本を作っている」という誇りに満ちた目をしている。彼らの流す汗を、過去の怨念のために無にさせてたまるか。

その時、南雲の無線インカムから、科捜研から引き抜かれた技術官・神林涼の、焦燥を孕んだ声が響いた。

『──南雲、聞こえるか。神林だ。大変なことが分かった』

「神林さん、どうしました?」

南雲は不自然に周囲から距離を置き、資材置き場の陰で低く囁いた。

『敵の狙う爆破ポイントが完全に特定できた。……国立競技場の地下だけじゃない。競技場の真下を通る特高高圧電線網と、内閣総理大臣の移動ルートである首都高速四号線の高架基礎、その両方が交差する「第一ジャンクション」だ』

神林のタイピングの音が、無線の向こうで激しく響く。

『そこに仕掛けられた爆弾が起爆すれば、競技場は一瞬で大停電を起こすだけじゃない。総理の車両が通過する瞬間に高架が崩落する。……そして問題は、その構造だ。敵が使おうとしているのは、旧日本軍が開発した未公開の液体爆薬。成分が特殊すぎて、通常の処理技術じゃ解体できない。……俺が直接行くしかない』

「待ってください、現場は危険すぎます!」

『お前じゃコード一本切れないだろう、南雲。白石にも連絡した。現地で合流する』

通信が切れた。南雲は冷や汗が背中を伝うのを感じながら、ツルハシを放り出し、地下へと続く立ち入り禁止の鉄扉へと向かった。

同じ頃、赤坂の高級料亭の一室。

一見すると、どこにでもある政治家たちの密談の席。だが、そこに漂う空気は異様だった。

部屋の主賓席に座るのは、内閣総理大臣の側近である大物政治家。そしてその対面に座るのは、端正な三つ揃えのスーツを着こなした、白石真澄だった。

白石は、相手の前に一枚の古い、錆びついた金属片を差し出した。十九年前、上野の地下で回収された「アマテラスの鍵」の一部──あの爆発で砕け散ったレプリカの破片だ。

「……何の本のつもりかね、公安の君」

政治家は不快そうに眉をひそめた。

「本番はこれからです、先生」

白石は感情の籠らない声で言った。

「現在、東京五輪を狙った大規模テロが進行中。敵の目的は、あなたがた政府が極秘裏に管理している第二の鍵──『スサノオ』の強奪、および総理の暗殺です。否定なさいますか? 明治の御代から続く、あの国会議事堂地下の『禁忌』の存在を」

政治家は絶句し、手にしていた湯呑みをカタカタと震わせた。

「……あの部屋は、我が国がすべてを失う瞬間にのみ開かれるべきものだ。戦後、我々はアメリカの目を盗み、必死にその秘密を守ってきた。もし黄昏会にスサノオの鍵が渡れば、奴らは日銀の『ツクヨミ』をも狙うだろう。三本が揃えば、日本のすべてのインフラ、財政データは物理的に消滅する……!」

「分かっているなら、総理の移動ルートを変更してください。これ以上、過去の遺物に振り回されるのは反吐が出る」

白石は立ち上がり、冷徹に言い放った。

「国家の体面など、僕にはどうでもいい。だが、この国が次の時代へ進むために、あなた方の隠し事はここで僕たちが処理する」

国立競技場地下、暗い静寂が支配する共同溝。

コンクリートの壁に反響する足音と共に、南雲と、現場に駆けつけた神林、そして公安の網をかいくぐって合流した白石の三人は、巨大な配管が複雑に絡み合う最深部へと到達していた。

「──あった。あれだ」

神林の懐中電灯の光が、極太の送電コンジットパイプに取り付けられた、異様な機械を捉えた。

軍用規格の信管と、不気味な緑色の液体が満たされたガラス瓶。デジタルタイマーなどない時代、時計仕掛けの歯車がチクタクと冷酷な音を刻んでいる。

開会式を想定したリハーサルの開始まで、あとわずか三十分。

「神林さん、やれますか……!」

南雲が息を呑む。

神林は素早く工具箱を開け、ルーペを目に装着した。「……やってみせるさ。俺は高度経済成長の技術者だ。こんな戦時中の遺物に、俺たちの未来を止められてたまるか」

神林の手が、繊細に、しかし確実に爆弾の信管へと伸びる。

だが、その時。

暗闇の奥から、乾いた拍手の音が響いた。

「素晴らしい手際だ、国安の諸君」

太い鉄パイプの影から現れたのは、カーキ色の古い軍服を着た、片腕のない男だった。その鋭い眼光は、昭和二十年に上野の地下で死んだはずの国枝中佐──その実の息子であり、黄昏会の現首領、国枝正臣まさおみだった。

彼の背後から、自動小銃を構えた数人の工作員が現れ、国安の三人を取り囲む。

「十九年前、お前たちは我が父を騙し、神聖なる『アマテラス』を闇に葬った」

国枝正臣は、憎悪に満ちた目で白石たちを睨みつけた。

「だが、この戦後の繁栄が何だ! アメリカに魂を売り、過去の英霊たちを忘却し、ただ消費を貪るだけの浅ましい豚の国に変貌した! オリンピックなどという偽りの祭典の火が灯る瞬間、この国は一度死ぬべきなのだ! 総理の命と、この『スサノオの鍵』によってな!」

国枝の左手には、内閣総理大臣の身辺からすでに盗み出されたという、禍々しい意匠の第二の鍵──「スサノオ」が握られていた。

「撃て! 亡霊どもに未来を渡すな!」

白石の鋭い号令と同時に、暗い地下迷宮で、二度目の時代を跨ぐ銃撃戦が勃発した。


3.

激しい銃撃戦の音が、コンクリートの空洞に反響する。

飛び交う弾丸が太い配管を穿ち、高圧の蒸気が激しい音を立てて噴き出した。一瞬で視界が白く遮られる。

「南雲、神林をカバーしろ!」

白石は素早く柱の影に身を隠しながら、公安仕込みの正確な射撃で敵の工作員を一人、また一人と無力化していく。その表情には焦りも恐怖もなく、ただ精密機械のような冷徹さだけがあった。

「うお、おぉぉッ!」

南雲は蒸気の幕を突き破り、国枝の部下に突進した。相手の小銃の銃身を掴んで上方に逸らし、そのまま背負い投げの要領でコンクリートの床に叩きつける。泥に塗れた作業着のまま、遮二無二に拳を振るう。

「あんたたちの言う『過去の無念』なんて、俺には分からない!」

南雲は叫びながら、さらに襲いかかる男の顎を突き上げた。

「だけど、今この街を生きてる人たちには、これからの未来があるんだ! あんたたちの腹いせで、それを奪わせるもんか!」

その背後で、神林は極限の集中力の中にいた。

銃弾がすぐ近くの壁を削り、火花が散る。だが、彼の細い指先は微塵も震えていなかった。

「時計仕掛けの信管……。旧陸軍の九八式遅延信管の応用か。液体爆薬の対流を利用して起爆感度を上げている。なら、切るべきはコードじゃない」

神林は懐から冷却スプレーを取り出すと、ガラス瓶の結合部へと一気に噴射した。キィンと金属が凍りつく悲鳴のような音が響く。

「熱膨張による起爆スイッチだ。冷やし続ければ、歯車が回っても信管は叩けない!」

タイマーの針が、残り一分のところでカチリと止まった。

「──バカなッ! 我が父の、黄昏会の悲願が……!」

国枝正臣が目を剥く。計画の失敗を悟った彼は、懐の「スサノオの鍵」を握りしめ、地下共同溝の奥、暗い排水路へと逃れようとした。

「逃がさない!」

南雲が後を追おうとするが、国枝が放った最後の一発が南雲の足元を狙い、コンクリートの破片が彼の頬をかすめた。一瞬、足が止まる。

「南雲、神林を連れて先に脱出しろ! ここは僕が引き受ける!」

白石が冷酷な声を響かせ、国枝の後を追って闇の中へと消えていった。

数分後。排水路の最奥、地上への出口へと続く鉄梯子の下。

国枝正臣は片腕で梯子を登ろうとしていたが、背後から迫る足音に振り返った。そこには、銃口を真っ直ぐに向ける白石真澄の姿があった。

「……ここまでだ、国枝。お前の『思想』も、ここで終わりだ」

「フハハ、終わりだと?」

国枝は血の混じった唾を吐き、不気味に笑った。

「私はここで死ぬかもしれん。だが、この『スサノオの鍵』は、すでに我が組織の『次の世代』へと引き継がれる手筈になっている。三本の鍵は……百年かけてでも必ず揃う。お前たちがどれだけ必死に光を取り繕おうと、この国の根底にある『禁忌』は、いつか必ず暴かれるのだ……!」

国枝が懐から手榴弾を取り出そうとした瞬間、白石の指が引き金を引いた。

乾いた銃声。国枝の身体が崩れ落ち、その手から零れ落ちた「スサノオの鍵」が、激しく流れる地下の濁流へと落ちていく。

「──白石!」

遅れて駆けつけた南雲が、水路に飛び込もうとする。だが、白石はその肩を強く掴んで止めた。

「よせ、南雲。水流が早すぎる。追えば命はない」

「でも、あの鍵が流されたら……!」

「これでいい」

白石は冷たい目で濁流を見つめた。

「敵の手にも渡らず、政府の手元にも残らない。歴史の裏の毒物は、泥水に流されるのがお似合いだ。……僕たちの任務は、完了した」

南雲は悔しそうに拳を握りしめたが、白石の言う通り、これ以上の追跡は不可能だった。

昭和三十九年、十月十日。

秋晴れの青空の下、東京オリンピックの開会式が執り行われていた。

溢れんばかりの歓声の中、聖火ランナーが競技場の階段を駆け上がり、聖火台に命の火を灯す。パッと広がった鮮やかな炎が、平和と復興の象徴として東京の空を焦がした。世界中が、その美しい光を称賛していた。

警視庁庁舎の屋上。

三崎恒成は、遠くに見える競技場の聖火を静かに見つめていた。その隣には、怪我を負った南雲、そして白石と神林が並んでいる。

「……無事に、灯りましたね」

南雲が、どこか晴れ晴れとした、しかし複雑な表情で呟いた。

「ああ。お前たちが繋いだバトンだ」

三崎はそう言って、ポケットから一冊の手帳を取り出した。そこには、昭和二十年の事件(No.30)の記録と、今回の事件(No.49)の記録が並べて書き込まれていた。

「だが、白石。スサノオの鍵が濁流に消え、国枝の言っていた『次の世代』とやらが生き残っている以上、この件はまだ完全には終わっていない」

白石は視線を遠くへ向けたまま、淡々と応じた。

「ええ。奴らはまた、何十年後かに現れるでしょう。最後の鍵、日銀総裁が持つ『ツクヨミ』を狙って。その時、三本の鍵が本当に揃ってしまうかもしれない」

「その時は、俺たちの次の世代が止めるさ」

神林が工具を磨きながら、不敵に笑った。

「俺たちがこうして未来を守ったんだ。次の奴らだって、そう簡単に負けやしないよ」

三崎は深く頷き、手帳を閉じた。

「──その通りだな。我々は歴史に名は残らない。だが、この光の裏で、次の時代へバトンを渡す。それが『国安』だ」

東京五輪の聖火が輝くその下で、第二の事例は幕を閉じた。

しかし、濁流に消えた「スサノオの鍵」、そして未だ見ぬ「ツクヨミの鍵」を巡る因縁は、何十年もの時間を超え、現代へと静かに、確実に引き継がれていく。



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