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サイショードーキョ(妻妾同居) 〜妻と元カノと三人で暮らしたら、家族が増えていった話〜  作者: カトーSOS


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第34話 通い夫の感覚

挿絵(By みてみん)



第34話 通い夫の感覚


 朝、目が覚めたとき、一瞬だけ自分がどの部屋にいるのか分からないことがある。


 目の前のカーテンの色で気づく。

 天井の照明の形で思い出す。

 ああ、今日は香織の部屋か、となる。


 慎也は薄く目を開けたまま、しばらく天井を見ていた。


 カーテンの隙間から朝の光が細く差し込んでいる。

 隣では香織がまだ眠っていた。

 寝息は浅くて、もうすぐ起きそうな気配だった。


 慎也はそっと布団を抜け出す。


 足音を立てないように床に降りて、

 昨日脱いだルームウェアを拾う。

 そのまま部屋を出て、リビングを横切る。


 食洗機はもう止まっていた。

 家の中は静かで、廊下だけが少しひんやりしている。


 自分の部屋に入る。


 昨夜脱いだ服が椅子の背にかかっていて、

 充電器のコードが床に垂れていた。


「……あ」


 スマホの充電ケーブルが香織の部屋に置きっぱなしだったことを思い出す。

 いや、こっちにも一本あったか、と引き出しを開ける。

 出てきたのは古い方だった。


 着替えを取って、

 仕事用のシャツをハンガーから外す。


 洗面所で顔を洗って、歯を磨いて、

 ようやく頭が少し動き出した。


 そのとき、後ろから声がした。


「おはよう」


 振り向くと、香織が廊下に立っていた。

 まだ少し眠そうな顔で、髪だけ手で押さえている。


「おはよう」


「自分の部屋、寄ってた?」


「寄った。着替え取りに」


「やっぱりそうなるよね」


 香織は軽く笑って、洗面所へ入ってきた。


 慎也は口をすすいでタオルで拭く。

 その横で香織が歯ブラシを取る。


「千尋、まだ寝てるかな」

と香織が言う。


「たぶん」

と慎也。


 言ってから、慎也は少しだけ黙った。


 こういう朝が、前より増えている。


 どの部屋で寝たかによって、

 朝の最初の動きが少し変わる。

 着替えを取りに自室へ戻る日もあれば、

 スマホの充電器を取りに戻る日もある。

 タブレットを置きっぱなしにしていたり、

 読みかけの本が違う部屋にあったりすることもある。


 全部が一つの部屋に収まっていない。


 慎也は洗面所を出て、自分の部屋へ戻った。

 ネクタイを探して、鞄の横に置く。

 ベッドの脇には昨夜読みかけた漫画の続きが、開きっぱなしになっていた。


「……僕、通い夫みたいだな」


 ぽろっと口に出た。


 自分の部屋から出て、

 別の部屋で寝て、

 朝になるとまた自分の部屋へ戻ってくる。


 着替えも、

 充電器も、

 細かい生活用品も、

 どこか一か所にきれいに固定されているわけじゃない。


 家の中を行ったり来たりしている。


 その感覚にいちばん近い言葉が、ふと頭に浮かんだ。


「今さら?」


 すぐ近くから声が返ってきた。


 見ると、香織が部屋の入口にもたれていた。

 どうやら聞こえていたらしい。


「今さらって言うなよ」

と慎也は顔をしかめる。


「だって、もうだいぶ前からそうじゃん」

と香織は笑う。


「そうだけどさ」


「でも、ちょっと分かる」


 今度は別の声だった。


 千尋が自分の部屋のドアを半分だけ開けて、そこから顔を出している。


「起きてたのか」

と慎也が言う。


「今、起きた」

と千尋は欠伸をこらえながら言った。

「というか、その言い方、ちょっと面白い」


「面白がるなよ」


「でも、たしかに行き来してるよね」


 千尋はそう言って、廊下の先からこっちを見る。


 玄関側にある自分の部屋。

 その途中に慎也の部屋。

 リビングを挟んで、バルコニー側にある香織の部屋。


 その配置を頭の中でなぞるみたいに、

 慎也も自然と視線を動かしていた。


 夫の部屋、という感じではない。


 自分の部屋はちゃんとある。

 でも、夜の居場所はそこだけじゃない。


 香織の部屋には香織の空気がある。

 千尋の部屋には千尋の空気がある。

 自分の部屋は、自分が一人に戻るための場所だ。


 どこにも居場所がないわけじゃない。

 むしろ全部の部屋に、自分の生活が少しずつかかっている。


「まあ、実際そうだよな」

と慎也は小さく言った。


「でしょ」

と香織。


「でも、嫌そうではないよね」

と千尋が言う。


「嫌っていうか……」


 慎也は言葉を探した。


 嫌ではない。

 少なくとももう、

 こんなのおかしい、で止まる感覚ではなかった。


 むしろ、こういう構造だから回るのだと分かってきている。


「しっくりは来てる」

と慎也は言った。


 香織が少し目を丸くした。


「へえ」


「へえ、って何だよ」


「いや、ちゃんと言うんだなと思って」


「たまには言うよ」


 香織は笑った。

 千尋も、その向こうで少し笑った。


 朝の空気は軽かった。


 重たい話でもない。

 大事な話のはずなのに、こうして口に出すと妙に軽くなる。


 それもこの家らしかった。


 千尋が部屋から出てきて、髪を手でまとめながら洗面所へ向かう。


「先、顔洗っていい?」


「どうぞ」

と香織が道を空ける。


「ありがと」


 そのやり取りを見ながら、慎也は廊下に立ったまま三つのドアを見た。


 右手に自分の部屋。

 奥に千尋の部屋。

 リビングを挟んだ先に香織の部屋。


 全部、自分の生活に関わっている。


 前なら、この配置そのものが落ち着かなかった。

 なんで僕の人生なのに、こんな間取りでこんな運用になってるんだ、と思っていた。


 今は、奇妙さよりも構造の方が先に立つ。


 ああ、だからこの形なのか、と。


 三つの部屋は、

 誰かを遠ざけるためにあるわけじゃない。


 全部を一緒にしないためにある。

 全部を一緒にしないから、

 逆に続いている。


 慎也は自分の部屋へ戻り、

 ネクタイを締めながら鏡を見た。


「通い夫、ねえ」


 もう一度、小さく呟く。


 冗談みたいな言葉なのに、

 妙にしっくり来る。


 妻の部屋があって、

 元カノの部屋があって、

 自分はその間を行き来する。


 その言い方だけ聞くと無茶苦茶だ。

 でも、実際の生活は思ったよりちゃんとしている。


 少なくとも、

 壊れてはいない。


 むしろ、前より整っている部分すらある。


 ネクタイを締め終えると、慎也は鞄を持ってリビングへ出た。


 香織が朝食の皿を並べている。

 千尋はコーヒーを淹れていた。


「今日は慎也、普通に帰れる?」

と香織が聞く。


「たぶん」

と慎也。


「じゃあ牛乳だけ買ってきて」

と千尋が言う。

「昨日で終わったから」


「了解」


 慎也は頷いた。


 そういう頼まれ方にも、もう違和感はなかった。


 香織が妻で、

 千尋が元カノで、

 でも二人ともこの家の共同生活者で、

 自分はその中を動いている。


 役割は一つじゃない。

 立場も一言では説明しづらい。

 それでも、日々の動きはちゃんとある。


「慎也?」

と香織が顔を上げた。


「ん?」


「また考えごとしてる」


「してないよ」


「してる顔」


 慎也は少し笑って、椅子を引いた。


 朝食の湯気が上がっている。

 コーヒーの匂いがする。


 さっきまでの妙な実感も、

 こうして食卓につくと少し薄れる。


 でも、消えるわけじゃない。


 この家の構造は、

 もう自分の中で“変なもの”から“しっくり来るもの”に変わり始めている。


 慎也はパンをちぎりながら、

 もう一度だけ思った。


 通い夫みたいだ、というのは、

 たぶん悪口じゃない。


 少なくとも今の僕にとっては、

 この家で暮らしている自分を、

 いちばんよく表している気がした。


あとがき


香織のひとりごと


 慎也と千尋が出かけたあと、食器を食洗機に丁寧に並べて、スイッチを押した。


 低い作動音が立ち上がる。


 冷蔵庫からトマトジュースを取り出して、グラスに注ぐ。

 食卓に座って、一口飲む。


「通い夫ねぇ」


 朝の慎也の言葉を思い出して、くすりと笑った。


 慎也を千尋と共有する方法として、

 部屋を行き来させる、という形を思いついたのは自分だった。


 最初は、正直に言って複雑だった。


 でも、やってみると分かる。


 近すぎず、

 離れすぎず。


 ちょうどいい距離になる。


 毎日ずっと一緒だと、どうしても慣れてしまう。


 慎也は、私の部屋に来る前に、

 ひげを整えたり、

 服を選んだりしている。


 その時間がある。


 私も、迎える前に少しだけ整える。


 なんとなく、

 “部屋に来てもらう”感じになる。


 お部屋デート、みたいなものだ。


 ふと、口に出た。


「二人で暮らしてたときは、こんなふうじゃなかったなぁ」


 あの頃は、

 慎也が帰ってきて、

 ご飯を食べて、

 そのまま同じ部屋で寝るだけだった。


 それが普通だと思っていたし、

 それでいいとも思っていた。


 でも、今は違う。


 慎也がこちらに来る。

 こちらが迎える。


 そのやり取りがある。


 気づけば、

 求められることも増えたし、

 自分から求めてしまうこともある。


 そこまで考えて、少しだけ顔が熱くなる。


 グラスに残ったトマトジュースを飲み干して、

 小さく息をついた。


「……悪くないなぁ」


 誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。

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